まえがき 序章
T
第一章 希望のありか――ベンヤミンの「ゲーテの『親和力』について:「神話的なもの」のしくみ、あるいは啓蒙期の事象内実と真理内実について――結婚の真理的内実/「救済」のしくみ、あるいはゲーテの近代未到達性について――神的なものの欠落/「希望」のしくみ、あるいは希望のない決断について――希望のありか
U
第二章啓蒙の弁証法――アドルノの『啓蒙の弁証法」またはカントの理性的私的使用論・倫理学・美学について:カントの理性私的使用論または高度資本主義の現代――アドルノの「啓蒙の概念」/カントの倫理学またはベッヒャー派――アドルノの「啓蒙と道徳」/カントの美学またはウィリアム・モリス――「文化産業」
/第三章 浸透と弾性のポジー――メヴァーリス「モノローグ」「ザイスの弟子たち」の言語論:概念と弾性――あるいはアレゴリー/浸透のポエジー――あるいは事物/弾性のポエジー――あるいは真理/第四章 終末の改良主義社会とその小説――クリストフ・ハイン『タンゴ弾き』小論:「東」批判の無――近代/ドイツの終末――現代/デウス・エクス・マキーナー――現代
V (企投的間奏)
第五章 特異点と真への意志――アドルノの「啓蒙の弁証法」またはカントにおける根拠としての理性と崇高について:特異点、またはアドルノの図式二段構造――理性/理性と欲望、またはアドルノの「主観性の歴史」の偏倚――意志/同じい適意、またはアドルノの破綻のモダニズム――崇高/第六章 意思の形――カントの理性公的使用またはベンヤミンの<神的暴力>について:プリヴァート(「過去分詞プリヴェ」)とエコノミー(「オイコスのノモス」)――カントにおける〈公的><私的>逆転の確認/ヘーゲル的な「否定的」わくぐみとしてのラング――最良でも必要悪にすぎぬ「公共性」/理性の<公的使用>と<神的暴力>のかたち――加藤典洋『可能性としての戦後以後』『日本の無思想』と吉本隆明『私の「戦争論」』/第七章 近代の五つのステージ――ベンヤミンの時代論および暴力批判論の再展開のための序論またはカントについての四つの小さな補足:超時代的な人間構造の基礎としての<非在の抽象><反省と意識><時空と本能>――小浜逸郎『なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために―』を読みかえて/近代の五つのステージ――笹沢豊『自分の頭で考える倫理―カント・ヘーゲル・ニーチェ』を読みかえて/時代論および暴力批判論の序論としての歴史意識と倫理の交点――応用問題としての小浜第七―十章
W
第八章 事物と表現――ベンヤミンの言語論について(T):言語哲学の地平」、あるいは言語論における媒質の性質について――事物と名/初期ベンヤミンのオブセッション、あるいは楽園における媒質の性質について――表現と概念/第九章 表現と真理――ベンヤミンの言語論について(U):言語の表現――翻訳という形式と親縁製/表現の翻訳――志向と意味されるもの・意味するしかた/翻訳の真理――伝達不可能なものと表現の真理/第十章 ベンヤミンのカント論――真に「来るべき」哲学のプログラムのために:本論の諸前提と対象領域――ベンヤミンと、カント、ヘーゲル、フィヒテ及びシェリング、ノヴァーリス及びシュレーゲル/同一性と知覚――ちょうえつろんてきもんだいこうせいにおける経験と経験の認識/超越論的統覚と経験――希望の地位/終章
注/あとがき/初出一覧 |