書名:(みえない)欲望に向けて クィア批評との対話 著者:村山敏勝 定価:2940円
(本体価格2800円+税140円) |
目次 |
序章 T 見えない欲望を読む U プライヴァシーの亀裂と侵犯 V 精神分析とクィア批評の往還 あとがき |
著者・内容紹介 |
村山敏勝 むらやま としかつ
1967年生まれ。筑波大学文芸言語研究科博士課程中退。成蹊大学文学部助教授。英文学(イギリス小説、批評理論)
共編著:『からだはどこにある――ポップカルチャーにおける身体表象』(彩流社,2004)
訳書:D・A・ミラー『小説と警察』(国文社、1995)、ディヴィッド・ハルブリン『聖フーコー』(太田出版、1997)、J・バトラー、E・ラクラウ、S・ジジェク『偶発性、ヘゲモニー、普遍性』(青土社、2002、共訳)、ジェアン・コプチェク『女なんていないと想像してごらん』(河出書房新社、2004、共訳)など。
多様な展開の可能性をもつ、新しい批評の視点
クィアとは、ゲイ/レズビアン運動のなかで使われはじめた言葉だが、多様で融通無碍なアイデンティティを含むもので、クィア批評はジェンダー、セクシャリティはもちろん、人種や民族、ポストコロニアル・ナショナリティなどをめぐり、アイデンティティを構築/脱構築するよう様々な言説について考える一端となるものである。本書は、英文学の正典を分析の対象とするとともにバトラー、ジジェクら精神分析の理論家の著作をも、そのレトリックのうえで分析し思想的往還を辿り、他に例をみない。第一部では、セジウィックのいうホモソーシャルな欲望を、英文学の古典を通じて探る。第二部は、同じく英文学の正典をとおして、プライヴァシーという概念装置を再考する。第三部は狭義の英文学から離れ、クィア批評と精神分析の思想的往還をおもに四人の批評家――ジジェク、バトラー、コプチェク、ベルサーニ――を読むことでたどっている。