書名:
(みえない)欲望に向けて
       クィア批評との対話

著者:村山敏勝

定価:2940円 (本体価格2800円+税140円)
サイズ:四六判上製 
244ページ 刊行日2005年7月 
ISBN4-409-04075-8(専門書/現代思想・批評論)

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目次
序章

T 見えない欲望を読む
第一章 セジウィックとホモソーシャル/ホモセクシャル連続体/第二章 男と男の間――『ディヴィッド・コバーフィールド』のセクシュアリティ/第三章 ジェイン・オースティンを読む兵士たち

U プライヴァシーの亀裂と侵犯
第四章 わたしは作文を引き裂いた――『ヴィレット』と語る女性の私的領域/第五章 登場人物には秘密がない――E・M・フォースターのクローゼット

V 精神分析とクィア批評の往還
第六章 欲望はそこにある――ジジェク、コプチェタ、固い現実界/主体化されない残余≒去勢――ジュディス、バトラーと誤読のポリティックス/第八章 孤独なマゾヒズム――レオ・ベルサーニへの斜線

あとがき


著者・内容紹介

村山敏勝  むらやま としかつ
1967年生まれ。筑波大学文芸言語研究科博士課程中退。成蹊大学文学部助教授。英文学(イギリス小説、批評理論)
共編著:『からだはどこにある――ポップカルチャーにおける身体表象』(彩流社,2004)
訳書:D・A・ミラー『小説と警察』(国文社、1995)、ディヴィッド・ハルブリン『聖フーコー』(太田出版、1997)、J・バトラー、E・ラクラウ、S・ジジェク『偶発性、ヘゲモニー、普遍性』(青土社、2002、共訳)、ジェアン・コプチェク『女なんていないと想像してごらん』(河出書房新社、2004、共訳)など。


多様な展開の可能性をもつ、新しい批評の視点

クィアとは、ゲイ/レズビアン運動のなかで使われはじめた言葉だが、多様で融通無碍なアイデンティティを含むもので、クィア批評はジェンダー、セクシャリティはもちろん、人種や民族、ポストコロニアル・ナショナリティなどをめぐり、アイデンティティを構築/脱構築するよう様々な言説について考える一端となるものである。本書は、英文学の正典を分析の対象とするとともにバトラー、ジジェクら精神分析の理論家の著作をも、そのレトリックのうえで分析し思想的往還を辿り、他に例をみない。第一部では、セジウィックのいうホモソーシャルな欲望を、英文学の古典を通じて探る。第二部は、同じく英文学の正典をとおして、プライヴァシーという概念装置を再考する。第三部は狭義の英文学から離れ、クィア批評と精神分析の思想的往還をおもに四人の批評家――ジジェク、バトラー、コプチェク、ベルサーニ――を読むことでたどっている。


 

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