書名:
英語圏文学
   
国家・文化・記憶をめぐるフォーラム

著者: 横山幸三監修
   竹内悦子/長岡真吾/中田元子/山口恵理子・編

価格:3400円
サイズ:A5 426
ページ 刊行日2002年4月 
ISBN4-409-14053‐1 (専門/ポストコロニアル文学・批評)

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目次
   はじめに 横山幸三 
序 文 長岡真吾

 第一部 英語が築いた〈国)――ナショナリズム/植民地主義
二〇世妃初頭の多文化/多民族社会:ジエイムズのアメリカの風景』再読 別府恵子 / 帝国主義の公母(パブリック・マザー):一九世紀アメリカの女性、地理書、コロニアリズム 竹内悦子 /アイダ・B・ウエルズ:トランスナショナルな視座から キヤロリン・L・カーチャー(宮本陽一郎訳)/ 一八六一年頃のウィリアム・ウェルズ・ブラウン:ハイチ、『ミラルダ』、カナダ、南北戦争 ロバート・S・レヴイン(鋲村英樹訳)/処女女王の嘆き(The Wonder of the Virgin Queen):初期ヴァージニア植民地言説をとおして 浜名恵美/ベン・オクリとポストコロニアリズム 大熊昭信 /オーストラリアSF史序説 巽 孝之

 第二部 英語で造られた〈私〉――アイデンティティ/記憶  
サルマン・ルシュデイと英語 大熊 栄 /ブラック・マリアはだれのために語っているのか:『西インド諸島の奴隷メアリ・プリンス自身によって語られた身の上話」 田中元子/ 波の舌:ヴァージニア・ウルフの『波』 対馬美千子/ 記憶の旅・記憶の場:メアリ・エディス・ダラムのバルカン 山口恵理子 /カズオ・イシグロの中の小津安二郎の日本:カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』 坂口明徳 /アメリカ文学における人種としての白人性:アイルランド人の白人化――メアリー・ゴードン『海の向こう側』をとおして パトリシア・キーフ・デーソ(飯村秀樹訳)/ 「敵の言語」とインデイアン作家:モマディ、シルコウ、アレクシー 長岡真吾

第三部 英語で語られる〈他者)――文化翻訳/エグゾティシズム   
インデイアン/インド/インデイーズ:『夏の夜の夢』と『ブル島四部作』における異種混淆の政治学 本橋哲也 /異国趣味(エグゾティズム)彼方へ:T・S・ストリプリングと熱帯アメリカ 余田真也 /父の娘たち 批判的写実主義による家父長制の考察:ジェイン・オースティンの「傲慢と偏見」と朴婉緒の「よろめく午後』 ユミ・パク(金 秀珍訳) /反帝国主義者になったレナード・ウルフ:『ジャングルの中の部落』を中心に 岡谷慶子 /ニュージーランド辺填を語る植民地文学:キャサリン・マンスフィールドの「小屋の女」 腹部千代子 / ガゼルに育てられる:クィア・ボーイと野生児物語 ケネス・B・キッド(長岡真吾・一谷智子訳)/内なる異邦人の目:ティモシーモウの文学世界 横山幸三

あとがき:竹内悦子/人名索引/筆者紹介


監修者・内容紹介

横山幸三 よこやま こうぞう
筑波大学現代語・現代文化系教授。20世紀イギリス小説。
『伝統と実験―フォースターとウルフの世界』(成美堂、1988)、『今日のイギリス小説』(共著、金星堂、1989)


 「英語圏文学」とは、言うまでもなく「英米文学」という言葉では本来包摂され得ない、かつての植民地あるいは入植地における文学、移民や先住民による文学をも含みこんでいる。あるいは、英語で書かれた文学でさえないのかもしれない。とはいえ、「英語圏」と銘打つことによって、境界を強化し「英米文学」の主流が維持しようとする文化的覇権に加担してしまうのではなく、「国家文学」や「国民言語」という概念に異議申立てを行うという、ポストコロニアル文学が持つ方向性を示すものである。
 「植民者」と「被植民者」、「西欧」と「西欧以外の世界」、「白人」と「現地人(ネイティヴ)」、「真の同国人(ナショナルズ)」と「偽りの同国人」これらのあいだに存在する境界を突き崩すような知的実践、「国家文学」の枠組みを事実上解体しつつ再編していく、あるいは「国家文学」に付与された多様な固定イメージを刷新しようとする文学作品の力に焦点があてられる。カズオ・イシグロやS・ラシュディ、インディアン作家S・アレクシーらのほか、歴史的・民族誌的記述やジェーン・オースティン、シェイクスピアなど英米文学の正典(キャノン)の新たな読み直しも、その射程に入る。


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