書名:映像論序説 <デジタル/アナログ>を越えて

者:北野圭介

定価:2730円 (本体価格2600円+税130円)
サイズ:四六判並製 326
ページ 刊行日2009年1月 
ISBN978-4-409-10026-4 (現代思想・映画)

目次

序章

1 新たな映像と映像の新たな事態 ざわめく映像の時代/複数化する映像/映像との距離/映像のなかの思考
2 「ニュー・メディア研究」と「イメージの科学」 新しい知の領域の出現/既存の思考から遠く離れて/理論ではなく理論化という探求法
3 求められる方法論と求められる問題系 概念分析という方法/系譜学的懐疑の確保/創造的実践への注視/「映像」の曖昧さ/概念分析、系譜学的考証、作品分析

第1章 画面とは何か

第1節 アナログとデジタルの断絶と連続
1 メディアとメディアのあいだ あいだの映像/「ハリウッド映画みたい…」/イメージの同時多発
2 技術開発と近代批判 デジタルとアナログのあいだ/デジタル化は写真を殺したか?
3 画面的思考と編集的思考 インターネットは夢の民主主義空間か、それともスターリニズムの具現か/マノヴィッチのニュー・メディア論/フォルマリズムからみた映画なるものの後継者としてのデジタル映像/リアリズムを嫌うデジタル映像論/写真行為が撮影しうるもの、そして映し出しうるもの/リアリズムのフォーマリティ、フォルマリズムのリアリティ/「現代映画理論」の偏向
4 小さなまとめ

第2節 映し出されたものと映し出されるはずだったもののあいだ
1 離散数理システムと「現代思想」 情報技術と映像技術/シミュレーショニズムの終わり/現代美術へのまなざしの再構築
2 非文字世界と文字世界 写真が捉えた世界とはいかなるものか/プログラムと痕跡/文字(エクリチュール)の痕跡、プロ-グラムと像/画像の祝祭性、文字の概念性、そしてXXX
3 間ミディウム性とポスト・ポストモダン美学 間ミディウム性/ポストモダニズム以降の芸術実践/ミディウムとミディウムの交差と交渉/いくつもの連続体としての、いつくもの連続体のなかの、映像
4 小さなまとめ

第2章 映像と身体

第1節 見つめる身体と操作する身体
1 遊戯世界と行為空間 「インタラクティヴィティ」に戸惑ってみること/ゲームという遊び/ゲームにおいてデザインされていること/インタラクティヴィティというコンテクスト
2 リメディエイションと文脈的デザイン リメディエイションのなかのデジタル映像/インターフェイスをめぐるさらにふたつの神話――メディアの収斂と脱身体化/文脈的デザイン
3 情動の映像と映像の情動 映画における身体、映画へ向かう身体/インタラクティヴィティの向こう側、あるいはその手前/映像と情動(1)――アナログ映像の場合/映像と情動(2)――デジタル映像の場合/認知システムと身体、あるいはその身体化/概念の系譜のなかの「情動」
4 小さなまとめ

第2節 身体イメージの厚みと膨らみ
1 対峙する身体と没入する身体
 ヴァーチャル・アートはいかなる意味で「芸術」といえるか/「没入」のなかの芸術史/間ミディウム性と身体の記憶/痕跡と身体性
2 計算論主義と行為産出論 計算論主義の有効範囲と意味作用の下位ネットワーク/身体というコンテクスト
3 身体イメージの生成とその痕跡 身体のロマンティシズムを越えて/不可能な表象としての身体イメージ/存在論的軌跡の厚みと膨らみ/像(Bild, picture)とはいったい何なのか/斧で木を倒すこと、写真で彫刻を撮ること
4 小さなまとめ

第3章 映像とその外部

第1節 映し出された物語と語られた物語
1 映画の語る物語――構造主義と映像論
 すべての映画は物語映画である/映画は明晰に語る/出来事の継起としての物語/映画の範型としての物語
2 虚構と物語、そのねじれた境界線 映像が映し出す世界――虚構とは何か/語り手の移動/認知としての物語
3 虚構と物語られたもの 物語が語り出すもの/確定しえない世界/物語論と虚構論の隔たり/物語内容(=ストーリー)の現象学的還元/物語内容(=ストーリー)の存在論的身分
4 小さなまとめ

第2節 遮断する映像と接続する映像
1 世界の境目と世界の継ぎ目 虚構世界と現実世界の境目/記述と命名/記述は個体にアプローチできるか/ルールのなかの個体
2 深い表面と浅い奥行き リアルなものの痕跡/指標性/第三の意味、あるいは分配の痕跡/事物の表情/痕跡の神話ではなく
3 スクリーンの遮断とモニターの接続 アクセス再考――あるいは、確定記述VS固有名の二項対立を越えて/タブローと映画、あるいは身体の画面への転位/平面上のまなざしと平面からのまなざし/時制の混濁/繰り返される死と化粧に貼りつく死/現象論的時間解析
4 小さなまとめ

結語――言葉と映像、その新たなる距離 写真のなかの精神分析/スクリーンのなかの精神分析/「脳の中の映画」/ハイデッガーの「世界像」を歴史化する/映像の消滅と映像の出現/距離を穿つ映像、距離を愛でる映像――暴力の回復へ向けて

 あとがき
 人名解説
 索引


編者紹介

北野 圭介(きたの・けいすけ)/1963 年生。ニューヨーク大学大学院映画研究科博士課程中途退学。ニューヨーク大学教員、新潟大学人文学部助教授を経て、現在、立命館大学映像学部教授。著書に、『ハリウッド100年史講義:夢の工場から夢の王国へ』(平凡社新書、2001年)、『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』(平凡社新書、 2005年)、『大人のための「ローマの休日」講義: オードリーはなぜベスパに乗るのか』(平凡社新書、2007年)など。


内容紹介

いま、「映像論的転回」が始動する。

現在、「映像」はあらゆる場所に溢れ、私たちの生活において不可欠のものとなっている。アナログからデジタル映像への変化、インターネットなど画面を通した双方向コミュニケーション技術の進歩とその爆発的拡大などにより、もはや「映像」はただ眺めるだけのものではなくなった。変貌した「映像」が持つ意味と、それが与える衝撃とは何か。北米のニューメディア研究、欧州のイメージの科学をはじめ、情報理論、認知科学、脳科学、分析哲学、映画、ゲーム、メディアアート、フィクション論など、多岐にわたる分野を大胆に横断し、来るべき「映像の理論」を構築する、挑発的な一書。


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