塩崎敬子は三十年以上も薔薇を描いてきた。その足跡は、一昨年出版された『塩崎敬子画集 薔薇宇宙』(人文書院刊、三千八百円)で、ほぼ掴むことができる。
一九八六年の『形而上的な薔薇(I)』(一六二・〇a×二二七・三a)。
暗い水平線の向こうに、海の色と溶けあう巨大な薔薇。肉厚の花弁が重なり、その真ん中で影に沈んだ花心が、じっと海を見下ろしている。鉛のような波が寄せ、海水が市松模様のタイルを浸し、そこにある卵型の立体、紙片、小さなバラに迫る。
ダリが描きそうな「シュールな世界」と見なせば、それはそれで分かりやすい。
これは現在の世界。汚された海が静かに人間に復讐する。薔薇は不安におびえる人間のシンボル。
絵はその時、シンボルが持つ意味に満たされ、いわばどのようにでも見ることができる。意味を見つけた私たちは、薔薇について、海とタイルについて、いつまでもしゃべり続ける。
しかし実際には、この絵の前に立つと、私たちは黙ってしまう。黙るのは、そこにあるのがシンボルではなく、薔薇であり、海であり、タイルだからだ。塩崎敬子の絵では、薔薇も海もタイルも「シンボルになるか」と見えた瞬間、やはり薔薇、海、タイルであり続ける。
見続けた女房の顔が、なじんだヌカミソと見紛う瞬間、いつもと違う見知らぬ顔となっている、亭主の預かり知らぬ歳月を刻んで。あの時に似ている。「”よく働く、何でも知ってくれている”と、私のことを思っているのね。でも、あなたにとって都合のいい、そんな便利な役回りだけが、私ではないわ」と、女房の顔は冷ややかだ。
たいていの絵は「薔薇が薔薇であること」だけを語る。塩崎敬子の薔薇は違う。
薔薇が、薔薇でありながら、薔薇を超えた意味を担いそうになる。あるいは薔薇が、薔薇を超えた意味を担いそうになりながら、薔薇であり続ける。そんな、あるかなきかの運動、慄えのような運動。それを、この画家の薔薇は語る。
旧姓「森」の塩崎は、鹿児島県枕崎市の出身で今年七十歳。県立鶴丸高から女子美術短大に学んだ。七〇年代前半から二科展に入選し七八年に特選。野田弘志氏に師事し九〇年代後半には「花の美術大賞」に相次いで入選。二十一世紀に入ってからは精力的に各地で個展を開催している。
その世界は、普段は奥に秘めている、ダイナミックで、しかし私たちを脅かしかねない静謐な慄え。その慄えに塩崎敬子は共鳴してきた。小刻みに慄えるうちに、世界がいつかひっくり返る。その慄きを見つめてきた。
ところが、昨年の十一月下旬、心斎橋の大丸で開かれた『塩崎敬子油彩画展』。
「わたしの小さな庭に咲いてくれた薔薇たち」(30号F)。
折り目のついた白い紙の上に、濃い緑のガラス玉。その玉に統べられているかのように、幾つもの白薔薇、ピンク、真紅の薔薇が、葉も生き生きと、透き通ったガラス瓶に、かわいい茎を下ろし整列している。
この薔薇たちは、薔薇とシンボルの間を揺れ動かない。揺れ動かずに、薔薇でありシンボルでありおおせている。慄きに代えて、居直ったような明るさがまぶしい。絵の芯のところで光が輝いている。
どうしてこうも変わったのだろうか。だが今は、考えるよりも、絵を見る喜びに鷲づかみされ、私はますますこの画家の薔薇から目を離せなくなる。
七月九日から京都・三条神宮道「たづアート」にて開催の『花の輝き』展に出品する。
(美学専修・教授) |