ポピュラー音楽史・序説

安田昌弘

 
     

 

1 ポピュラー音楽史とはなにか

 ポピュラー音楽のアカデミックな研究というものに興味を持ち始めたみなさんは、ポピュラー音楽の歴史を学ぶということに、どのようなイメージを持ち、あるいはどのような期待を抱くだろう? J-POPの展開の研究だろうか? アイドル歌手の時代的変遷だろうか? 宝塚歌劇団や劇団四季などのミュージカルやレヴューの系譜学だろうか? あるいは、英米を中心とするロックシーンの動向とか、ブルースからジャズを経てリズム&ブルースやヒップホップに至る黒人音楽の流れかもしれない。フォックストロットやジッターバグ、ツイストからブレイクダンスに至る音楽スタイルとダンスステップの変遷とか、ディスコやレイヴなどのダンス文化とLGBT(レスビアン・ゲイ・バイセクシュアル&トランスジェンダー)運動との結びつきに興味のある読者もいるだろう。楽器や録音スタジオの発達とか、演奏法や作編曲理論・技法の変化なども、ポピュラー音楽の歴史には欠かせないという意見もあるかもしれない。

 ポピュラー音楽の歴史というのは、これら全てであるどころか、これだけでは済まない広がりを持った領域である。例えば上に挙げた項目は、日本に住んでいる一般的な若者が関心を持ちそうなポピュラー音楽の歴史的側面に関するものであり、同じ日本でも年齢層や性別、学歴や社会階層が違えば、ポピュラー音楽史観はまた違うだろう。さらに日本の外に目を向ければ、韓国や中国、インドやスリランカ、イラクやエジプト、エチオピアやジンバブエ、ブラジルやペルー、ウクライナやベルギーなどの人々(「ポピュラー(popular)」とは、本来「人々(people)」という名詞の形容詞形である)のポピュラー音楽史観は、簡単には想像し難いし、人並みはずれた語学力と外国経験のある人であっても、これらの国・地域全ての人々のポピュラー音楽観を一人で網羅することは物理的に不可能なはずだ。

 当然、ポピュラー音楽の歴史すべてを一冊の本にまとめることは出来ない。私が「ポピュラー音楽史」というご大層なタイトルでこの本のなかで展開する議論は、それゆえ、世界中の様々な場所で、様々な人種や宗教や世代や性別や社会階層の人々により、様々に演奏され、聴かれ、踊られ、口ずさまれているポピュラー音楽なるもののなかから、私の関心に沿って選択・編集されたものに過ぎない。歴史を物語る作業――つまり本を書く作業――とは、いわばカラオケバーの司会のようなもので、他人の声を体裁よくつなぎあわせ、あたかも一つの大きな流れを(錬金術的に)呼び出そうとする作業にほかならない。この本が、元々は複数の声によって語られる歴史をどれだけ上手く一つの流れに演出出来るかどうかは、読者の判断に任せるとして、まずは私自身がどんな問題意識を持ってこの「ポピュラー音楽史」を紡いだのかを大まかに説明しておく。さしあたって「ポピュラー音楽史」を構成する三要素――「ポピュラー」、「音楽」、「歴史」――について考えてみたい。ただし私はあまのじゃくなので、「歴史」、「音楽」、「ポピュラー」の順番で話を進める。

 

 1.1 歴史を作るために歴史を学ぶ

 なぜ歴史を学ぶのか? これにはいろいろな答えがあるが、ここでは私たちが暮らしている「(後期)近代《モダニティ》」という時代の特性に関するアンソニー・ギデンズ(1990=1993)の議論を参照してみたい。ギデンズによれば、近代とはおしなべて未来志向であり、近代社会において、歴史を学ぶことは、未来に向けて現在を方向付けることである。つまり、歴史学は未来学なのである(pp. 69-72)。ええっ、近代って終わったんじゃないの? ポストモダンは? という人もいるかもしれない。そういう議論の有効性も認めないわけではないが(例えば東(2001))、私はやはり、ギデンズが指摘するように、私たちの暮らすこの世界は、いまもまだ近代化の途上にあり、一部の産業国および新興国において「ポストモダン」といわれている現象は、むしろ近代という社会制度が高度に徹底化している状態を指すのだ、と考えている(脚注1

 では、近代とはなになのか? ギデンズによれば、近代とは、「およそ一七世紀以降のヨーロッパに出現し、その後ほぼ世界中に影響が及んでいった社会生活や社会組織の様式のこと」(p. 13)である。それは、「[近代の]グローバル化してゆく傾向」(p. 219)とあるように、ある日突然世界中で始まったのではなく、現在も地球規模で進行しているプロセスとして捉えるべきものだ(ギデンズの議論は、ポピュラー音楽のグローバリゼーションと絡めて第三章及び第四章でさらに詳しく説明する)。近代化する、とは具体的にどういうことなのかというと、これもまたいくつかの要素があるのだが、さしあたりここでは、近代(人)の歴史観を説明する上で重要だと思われる二つの点について簡単に説明する。

 一つは、「時間と空間の分離」(p. 33)である。つまり、近代化とは、特定の場所に左右されない時間概念の普及と、それによって引き起こされた、同じく特定の場所に左右されない空間概念の普及のプロセスのことである。こうした動きの具体的なきっかけとなったのは、前者は「機械で動く時計」(p. 31)の、後者は「世界地図」(p. 33)の発明・完成であり、普及であった。近代以前の社会では、時間はそれが気にされる場所――その地特有の季節や天体の運行など――と切り離すことが出来なかった。ある場所の暦は、ほかの場所の暦と互換性がなかったのである。機械時計の発明と普及は、そうした地域差を均し、場所に関係なく時間を共有することを可能にした。世界地図についても、同じようなことが言える。世界地図なるものが世界の現実の姿であるということが当然視されるようになる前は、世界観というものは特定の場所その地特有の宗教観や勢力布置などと切り離すことは出来なかった。ギデンズの指摘する通り、「世界地図は、空間を、特定の場所からも地域からも『独立した』存在として確立していったのである」(p. 33)。

 このようにして、私たちが暮らしている具体的な場所に根ざしていた時間と空間は、近代化とともに、世界中どこに行っても通用する抽象的な概念となってゆく。地球の裏側にいる友人と約束の時間にインターネットでビデオ会議をするとか、bpmbeats par minute:一分あたりの拍数)なんていう楽曲のテンポの単位を世界中で共有できるというのは、今となっては全く日常的な所為になっているのだが、こうした時間・空間の把握の仕方の端緒が、機械時計が発明され、また世界地図が誕生した一七、一八世紀にあったということだ。

 もう一つの重要な近代の特徴は、ギデンズが「再帰性」(p. 53)と呼ぶものである。私たちは、自分がある行為をすることによって、自分や他人、あるいは社会全体にどのような影響が及ぶのかについて、過去の同じような出来事を学ぶことでつねに思案して、実際に次にどういう行為をするかを決めている。ここでは行為が思索を促し、そして思索が行為を促すというような反復運動がある。このような、行為とその結果のあいだの円環的な関係を「再帰性」というのである。ギデンズによれば、このような再帰性は近代以前にも存在したが、近代化に伴い過去・現在・未来という時間軸における過去、つまり「伝統」なるものの位置づけが変わった(pp. 54-62)。別の言葉でいえば、「伝統的文化では、過去は尊敬の対象」(p. 54)であったのが、「近代という時代の到来とともに…【中略】…あるしきたりを、それが伝承されてきたものであるという理由だけで是認することはできな」(p. 55)くなる。つまり、近代においては、時間軸における価値観の比重が、過去から未来へと、つまり、伝統に束縛され、過去から伝承されたものを無条件に未来に伝えるという価値観から、未来を志向し、未来にとって重要かどうかを基準に過去から伝えられた情報を取捨選択する価値観へとシフトするのだ。

 では、近代化に伴うこれらの変化は、私たちの歴史観にどのような影響を及ぼしているのだろうか? これには二つの局面がある。一つは、歴史的な因果関係――つまり、ある特定の時点で起こった事柄が原因となって、別の事柄がその後に引き起こされるというような原因と結果の関係――がそれらの事柄が発生した場所だけと結びついているという前提の崩壊である。つまり、近代以前においては、「社会生活の空間的特性は『目の前にあるもの』によって…【中略】…支配されていたため、場所と空間とはおおむね一致していた」(pp. 32-3)のだが、近代の出現は、「『目の前にいない』他者との、つまり、所与の対面的相互行為の状況から位置的に隔てられた他者との関係の発達を促進することで、空間を無理やり場所から切り離していったのである」(p. 33)。

 ギデンズは、こうした状況を、「ファンタスマゴリア(phantasmagoria)」に喩えている(p. 33)。ファンタスマゴリアとは、一八世紀末にヨーロッパで流行した幻灯劇で、観客には見えないところから骸骨や亡霊のイメージを投影し、観客を驚かせるという趣旨のものであった。要するに、近代において、私たちの「目の前で」起こっている事柄は必ずしも私たちの「目の前で」起こったことが直接の原因であるとは限らない。私たちがポピュラー音楽を楽しむやり方も、目の前での演奏を楽しむ時間よりも、CDやデジタルデータを通して、自室で、あるいは通勤・通学など移動中に、実際には目の前にいないミュージシャンの演奏を楽しむ時間の方が多いだろう。その意味で、ポピュラー音楽という現象は、多分に「近代的」である。このことは、ポピュラー音楽の歴史を記述するにあたっては、ファンタスマゴリア的な因果関係をも掬い上げられるような視点が不可欠になることを示唆している。

 もう一つの局面は、歴史なるものの捉え方に関する、より直接的な変化である。それは、冒頭でも述べたように、未来に向けて現在を方向付けるために歴史を参照するという態度だ。もう少し具体的に言えば、近代という時代に特徴的なのはむしろ、歴史を学ぶことが、過去を未来に伝えるということだけではなく、過去から訣別する可能性を含むようになったということだろう(ギデンズ(前掲書)pp. 69-70)。つまり、近代において歴史を学ぶということは、伝統という過去の資産をやみくもに受け継ぐことを意味するのではなく、それから解き放たれた新しい歴史をつくることをこそ意味する。これはちょうど、DJがすでに発表された作品を選択し、混ぜ合わせ新しい作品をつくる所為とか、あるいはロックギタリストが、すでに発表されたほかのギタリストの音色やフレージングを参照して組み合わせ、新しいソロをつくる所為と、あるいは似ているかもしれない。既存の楽曲を聴き込み、分析し、あるいはその成立背景を知ることは、ミュージシャンにとってもリスナーにとっても、未来に広がる「より良い音楽」の可能性を思索することであり、歴史的な理解を深めることは、「より良い音楽」の可能性の自由度、つまり選択肢の数を拡げることを意味するのである(脚注2

 

 1.2 「音楽」と「雑音」

 

 現代社会において、「歴史」を考える意義については、これまでの話でおわかりいただけたと思う。「歴史」に関する議論はこれくらいにして、今度は「音楽」について考えてみよう。音楽とはなにか? 至極哲学的な問いである。ジョン・ブラッキング(1973=1978)というイギリスの音楽民族学者は、1973年に発表された画期的な論文のなかで、音楽とは「人間により組織づけられた音(サウンド)」(pp. 11-2)であるとした。ブラッキングは、当時の音楽学で、西洋の芸術音楽以外を「音楽」と認めないような自民族中心主義がはびこっていたことへの異議申し立てをおこなったのである(「音楽学」の西洋中心主義については後述する)。「音楽」という捉え方そのものの不安定さについては、ブラッキングの功績を引き受けつつ、現在ではいくつか別の視点も提示されている(脚注3。しかし、さしあたってここで重要なのは、「音楽」というものと「音」というものが対比されていることだろう。つまり、人間によって組織されていない「音」は、「音楽」ではない、ということになる。

 では、「音楽」ではない「音」とはなんだろうか? 私たちはこれを、「雑音」とか「騒音」などと呼んでいる。尤も、なにを「雑音」として、なにを「音楽」とするかは、私たち一人ひとり境界線の引きかたが違うはずだ。例えば自宅で弾いているピアノが隣人には「騒音」として聞こえているかもしれない。同じようなことは、自然音についても言えるだろう。雨音や小川のせせらぎや動物の鳴き声などは、それそのものはただの音だが、最近では「癒し」などとしてそこに意味を与え、「音楽」として鑑賞することがある。自然音といっても様々だが、この場合は「癒し」という目的に添って自然音を選択し、つまり人間的に組織づけて聴いていることになる(例えば動物の威嚇音や発情期の喘ぎ声、落雷や雪崩の音は、「癒しの音楽」とは看做されない)。このように、私たちは意識、無意識のうちに、音を音楽と雑音に分類しているのである。

 音と音楽と雑音の関係について、ジャック・アタリ(1977=1985)というフランスの経済学者が書いた文章がヒントになるかもしれない(脚注4。アタリは、音が、空気があって始めて現象するものであることに注目し、そもそも音のないところには生命がない、ということを示唆する(「生というのは騒々しいものであり、ただ死だけが静寂である」(p. 2))。自然音がそうであるように、音は生命の証であり、その生命が息絶えれば、静寂が訪れる、というのである。そして、その音を雑音に分類することは、それとまったく同時に音楽、つまりある秩序、ある規則に沿って組織された音の連なりを生み出すことなのだ、と続ける。

 

 雑音《ブリュイ》とともに、無秩序とその逆、則ち、音楽が生まれる。音楽とともに、権力とその逆、則ち、壊乱が生まれる。生命のコード、そして人間の諸関係が、雑音の中に、読み取れる。〈喧騒〉、〈旋律《メロディー》〉、〈不協和音〉、〈調和《ハーモニー》〉。雑音が人間によって特殊な道具を使って加工されるとき、それが人間の時間を浸食するとき、そして、それが楽音であるとき、雑音は、投企《プロジェ》と力、そして夢の源泉、則ち〈音楽〉となる。(p. 8

 

 要するに、音を組織して音楽とすることの背後には、バラバラな人々を一つのグループ、つまり社会としてまとめようとするなんらかの権力が介在する、ということだ。太古の昔、人間が狩猟採集生活を営んでいた頃は、人為的な音(話し声やかけ声、石や骨を道具に加工する音、火の爆ぜる音など)は、敵意に満ちた自然音(天敵の咆哮、雷鳴、風雨など)に対比され、秩序や社会というもの――みんなで協力して生活すること――が可能であることを示す大切な印だったはずだ。

 人間社会がある程度発達してくると、秩序をまとめあげる人たち、つまり統治者たちは、周囲にある音を選択、編集し、あるいは周囲にあるものを楽器に加工して、新しい音を作り、その音と音の間、そして音と社会の間の関係に規則性を与えて「音楽」を組織し、祭や宴などの儀式を組織するようになる。それは、当時の最先端の知識(つまり宗教)を使って、その統治者(つまり神の代理)の勢力下にある人々を自然(つまり雑音)、そしてその彼岸にある死(つまり静寂)から守ることを約束するものであった。尤も静寂=死をもたらすものは自然音だけではない。他の人間集団が、別の秩序のもとに奏でる音楽も、自分たちにとっては雑音となりうるからだ。かくして統治者は雑音を規制し、抑圧することで自分が代表する秩序(宗教)を維持する。やがて部族間の闘争が起こり、敗者の静寂のうえに勝者の音楽が鳴り響くようになるのだ。

 もちろん、音楽の歴史を、このような強者による弱者の「自然淘汰」として描き切ることは出来ない。アタリ(前掲書)は、宗教的・政治的権力と音楽とが渾然一体となった状態は、音楽が貨幣経済に取り込まれてゆく一八世紀頃までに終わりを告げたと指摘している(ここに近代の始まりと時期的な一致がみられることに留意して欲しい)。しかし、今でも、快い音を「音楽」とし、そうでない音を「雑音」や「騒音」として区別する時に、私たちが何らかの価値観や秩序、つまり文化と呼んでも良いようなものを根拠としていることは間違いなさそうだ。先述した、西洋の芸術音楽以外を「音楽」と認めない態度もこのような価値観の一つに過ぎない。あるいは、通常楽音と看做されないものを使って楽曲を構成するノイズというジャンルがあるが、これも好きな人には「音楽」として聴こえ、そうじゃない人には「雑音」として聞こえているはずである(一見逆説的に聞こえるかもしれないが)。「音楽」の中身は、その作り手や聴き手のいる場所や時代、帰属する文化や社会などによって動的に決まるものであり、なにを「音楽」とし、なにを「音楽」としないかという線引きには、政治・経済的、文化・社会的な諸状況が否応なく関係してくることになる。

 

 1.3 ポピュラー音楽なるもの

 

 ここまでの議論で、一見単純に見える音楽という現象の背後には、目に見えない政治・経済的、文化・社会的な権力の幾何学があることがわかったと思う。ここまでで、「歴史」と「音楽」については一通り議論したので、以下ではポピュラー音楽史の最後の(最初の?)要素である「ポピュラー」について少し考えてみたい。先にも触れたが、ポピュラー(popular)という言葉はそもそも人々(people)という名詞の形容詞形であり、日本語では「人民の」とか、「民衆の」、「大衆の」、「人々のあいだに普及している」、「人気の」、「流行の」、「通俗な」というような様々な、時に相反しかねない訳語が当てられている(脚注5。この複雑きわまりない言葉について敢えてここで議論しようとする意図は、最近特に、それが特定の利益のために恣意的に使われているという印象があるからだ。たとえば『日本のポップパワー』という本のなかで中村伊知哉ら(2006)は、ポップとは:

 

 大衆を意味する「ポピュラー(POPULAR)」の短縮形であり、20世紀初頭のアメリカに始まるポピュラーミュージックのしゃれた呼び名として「POP MUSIC」としたのが語源のようだ。とすれば、「ポップ」という言葉が形容する意味や価値も、20世紀初頭のアメリカの大衆文化にその源があると考えられる。(p. 84

 

と主張し、また「日本のポップカルチャーは、ジャズやハリウッド映画などアメリカにポップカルチャーが誕生して以来、約100年の世界的大衆文化の世代交代を経て最新最強の世界ポップカルチャーといえるものとなった」(p. 84)と謳う。いつの間にか、日本のポピュラー文化の中身は、マンガやアニメやゲームなど、日本製コンテンツ輸出を奨励する日本政府にとって都合の良いものに収斂されてしまうのだ。なるほど、ヴェジュアル系やアイドルなど一部を除き、「日本製ポピュラー音楽」の世界的な市場性は低いかもしれない(例えば加藤(2009))。しかし、このことと、日本のポピュラー音楽が日本のポップカルチャーではないと言うこととはずいぶん話が違うはずだ。

 「ポピュラー」なるものを定義する際に、一番気をつけなければならないのはこのような恣意性である。つまり、多くの場合、「ポップ」とか「ポピュラー」という言葉は使う人の思うままに使われており、その政治経済的、文化社会的な含意は、大抵の場合、使っている人も意識しないのだ。さらに、ポピュラーという言葉が英米語起源であることも、日本でこの言葉を使うにあたって別の弊害をもたらしている。それは、中村らの引用にあるように、その起源があたかも英米にあるかのような錯覚が生じることだ。「ポピュラー音楽」と言ったときに、俗謡や民謡や演歌などが忘れられ、あるいは故意に隠蔽されてしまう可能性がある。ポピュラー音楽の歴史をロックの歴史と同一視してしまうような言説もこうした思い込みの産物である(ニーガス(1996=2004)、Shuker2001))。日本の流行歌史を扱う多くの研究者が、流行歌に「社会の動きと深く結びついた有機的な関連を探り、かつ大衆的な文化としてこれを国民共有の財産として認識する」(古茂田ほか(1994p. 1)とき、あるいは、「歌謡曲の誕生からJ・ポップの成立という歴史」(菊池(2008p. 1)を紐解こうとするとき、上のような定義の「ポピュラー」という言葉はいかにも据わりが悪いだろう。

 ではアカデミックなポピュラー音楽研究において中立的なポピュラー音楽の定義が確立しているだろうか? ポピュラー音楽研究では、「『民俗』音楽、『芸術』音楽、『大衆』(ポピュラー)音楽から成る公理上の三角形を想定」(タグ(1982=1990p. 16)し、しばしば消去法によってポピュラー音楽を定義することが多い。そしてポピュラー音楽は、大抵の場合商品・市場経済と強い結びつきを持つものとして定義される。フィリップ・タグは、ポピュラー音楽は、@大量配給され、A記譜されず、B工業社会の貨幣経済を前提とし、C大量販売に肯定的な自由主義社会において可能な音楽であると論じ、楽譜を前提とした従来の音楽分析が応用出来ないことと主張する(pp. 16-7)。ロイ・シューカー(Shuker(前掲書))は、「ポピュラー音楽」とは「マス・マーケットに向けて商業的に大量生産された音楽」(x)と定義している。山田(前掲書)も、「『ポピュラー音楽』とは、大量生産技術を前提とし、大量生産〜流通〜消費される商品として社会の中で機能する音楽であり、とりわけ、こうした大量複製技術の登場以降に確立された様式に則った音楽である」(p. 9)というような操作的な定義がポピュラー音楽の研究にあたっては必要であると主張する。

一見妥当に見える定義だが、充分だとは言い難い。疑問は二つあって、その一つは、従来ポピュラー音楽とは看做されていなかった音楽が、CDDVDやテレビのコマーシャルを通して流通し、享受される場合、これを単純にポピュラー音楽と呼んでしまって良いのだろうかという点だ。今日、芸術音楽といわれる音楽について、楽譜を見ることもなくCDDVDを通して享受する人が増えている。また、民俗音楽といわれているものも、今日ではCDやテレビのコマーシャルで私たちの耳に入ってくることが多いと思う。私は、ポピュラー音楽研究において蓄積された方法論を、民俗音楽や芸術音楽に応用することは合理的だと考えるが、そのことと、これらの音楽をすべてポピュラー音楽と呼んでしまうこととは全く別の話である。

 もう一つの違和感は、(少なくとも大量生産・大量販売的な)商品経済からは取り残されていながら、それでもポピュラー音楽と強い関連があると思われる数々の文化実践である。たとえば日本の地方都市で受け継がれるロックンロールの路上パフォーマンスなどがこれにあたる(大山(2005))。日本におけるロックンロールのブームは一九七〇年代後半から八〇年代にかけてであり、パフォーマンスで使う音源そのものはその当時商業的に大量生産されたものである。しかし、二〇一〇年の路上で利用されるものは、地元の先輩後輩を中心とする人脈を通して受け継がれてきたものであり、一般的な意味で商品経済に組み込まれているとは言い難い。

 リチャード・ミドルトン(1990)は、「ポピュラー音楽」の定義をめぐる議論は、結局のところ、音楽という領域全体をどうやって切り分けるかに関する議論に過ぎない、と主張する(pp. 3-7)。ポピュラー音楽は、「他の音楽も含めた音楽の場全体という文脈のなかに置いて始めて適切に見ることが出来るのであり、…【中略】…、そしてその音楽の場というものは、…【中略】…、つねに動き続けているのである」(p. 7)とするミドルトンの議論は、ポピュラー音楽を単純に量的な基準(どれくらい「ポピュラー」か。つまりどれくらい売れたか、あるいはどれくらいエアプレイされたか)だけで評価したり、または単純に質的な基準(大衆層対支配層というありきたりの敵対関係のどちら側につくか)で評価したりする議論に見られがちな定義の硬直化あるいは「ポピュラー」なるものの絶対化に対する注意を喚起するものである。

 サイモン・フリスも『Performing Rites』(1996)という著作のなかで、ポピュラー音楽をはっきりと区別出来る自律したカテゴリーとして定義するのではなく、「歴史的に進化を続ける、[ポピュラー音楽、芸術音楽、民俗音楽の]三つの言説の同じ場のなかでの相関」(p. 42)として捉えるべきだと論じている(pp. 36-46)。ミドルトンやフリスがいう「音楽の場」とは、ピエール・ブルデュー(1979=1990, 1992=1995)というフランスの社会学者が提案した分析概念を指したものだ。詳論は後に回すが、「音楽の場」というのは、音楽としての「良さ」を巡る競争が行われる競技場のようなものだと考えてほしい(もちろん甲子園球場とか代々木体育館とかの実際の競技場を思い描かれても困る。あくまでも理念上の競技場である)。その中で、音楽としての正しさとか楽しさとか、わかりやすさとか味わい深さとか、そういうものを巡って、ポピュラー音楽チームと民俗音楽チームと芸術音楽チームが競争をしている。それぞれのチームには、伝統との折り合いのつけかたや美意識・価値観が異なるかたちで蓄積されており、それゆえ競技中のフォーメーションや戦略は異なる。

 「音楽の場」の内実を分かりやすく喩えると、このような感じになる。しかし、フリスの指摘は、私たちの暮らす後期近代という時代においては、各チームの戦略が似たようなものになりつつあるというものだ。例えば、ポピュラー音楽の世界では、オペレッタやミュージカルに見られるように、一九世紀後半からすでに、クラシック音楽の要素を流用していた。ジャズミュージシャンがクラシックを演奏したり、ハードロックギタリストがバロック音楽を借用したりということも珍しくない。ビートルズが現代音楽的な制作アプローチを行ったり、ボブ・ディランがフォーク音楽をロックに持ち込んだ(あるいはロックをフォークに持ち込んだ?)りしたこともよく知られている。同じように、世界の民俗音楽が、「ワールドミュージック」という呼び名で商品化されていることも周知の事実だ。また、芸術音楽の世界でも、ベラ・バルトークが東欧の民謡を、クロード・ドビュッシーが東洋音楽や黒人音楽を、ジョージ・ガーシュウィンがブルースを取り入れている。最近ではジェフ・ミルズとかカール・クレイグといったテクノDJがオーケストラと共演して話題になった。

 ここで重要なのは、芸術音楽、民俗音楽、ポピュラー音楽の三つの音楽的指向は、直接・間接的な影響を与えあっているのだが、それでも一つのカテゴリーに収斂することを拒むということだ。ヘズモンダールとニーガス(2002)が指摘するように「これらのカテゴリーは依然として残っており、相変わらず音楽学的不和やイデオロギー的論争の源であり続けているのである」(p. 3)。フリスは『Performing Rites』の一〇年以上前に発表された『サウンドの力』(1978=1991)のなかで、英米のロックを巡る言説の内部にも芸術音楽的な指向、民俗音楽的な指向、ポピュラー音楽的な指向の拮抗が見られることを指摘していた(pp. 59-78)。また、同様の傾向は日本のロック(南田(2001)や日仏のヒップホップ(安田(20012003))においても確認されている(これについては、第三章で詳しく説明する)。とすれば、ポピュラー音楽の歴史を記述するという作業は、ポピュラー音楽とはなにか、という作業仮説に基づいてその輪郭を固めてゆくことではなく、「音楽の場」のなかで、ポピュラー音楽とその他の音楽のあいだの布陣がどのような軌跡を描いて変化して来たか、そして、そうした変化のきっかけとなった、ポピュラー音楽内部での音楽的指向の拮抗関係はどのようなものであったか、をこそ記述してゆくものでなければならないはずだ。

 『Performing Rites』の巻末において、フリスは、従来のポピュラー音楽研究、あるいは文化研究全般の問題は、テクストとその意味という分析枠組に拘泥していることにある、と結論した。つまり、

 

 ポピュラー音楽の美学を検証するのであれば、私たちはポピュラー音楽に関するこれまでの学術的な議論をひっくり返さなければならない問題の所存は、ある楽曲、つまりテクストが、どのようにしてポピュラーな価値観を「反映」しているかではなく、それがどのようにしてパフォーマンスのなかでそのような価値観を産み出しているのか、にある。(p. 270

 

 よく考えてみると至極当たり前のことなのだが、私たちがポピュラー音楽を好きなのは、その曲がポピュラーだから(人気があるから)とか、自分の出自がポピュラー(庶民階級)だからということだけではなく、私たちがその音楽に寄り添い、その音楽と一つになり、その音楽を通して世の中を理解し、あるいは世の中での自分のあり方を演じるきっかけになるからに他ならない。私たちは、今日、そういう音楽をテレビやラジオやインターネットを介して、CDMDやケータイやiPodを通して楽しんでいる。この本が扱うのは、そのような血の通ったポピュラー音楽の歴史である。

 

 1.4 ポピュラー音楽史を研究するとき、私たちはなにを研究しているのか?

 

 大学で音楽を学ぶことに少しでも興味を持ったことのある読者なら、芸術大学や音楽大学に「音楽史」という科目があることに、あるいは気がついているかもしれない。音楽大学や芸術大学で教えられている音楽クラシック音楽や現代音楽などで構成される芸術音楽では、その解釈に必要不可欠とされる「音楽学」の基礎科目として「音楽史」なるものが確立されてきた。であれば、ポピュラー音楽についても、これと同じように基礎科目としての「ポピュラー音楽史」を確立すればよいという声も当然あろうが、なかなかそうもいかない。確かに昨今では初等・中等教育にもポピュラー音楽が取り入れられ、大学においてもポピュラー音楽をカリキュラムに取り入れるところが増えている。しかし、特定の作品や作曲家を、特定の場所と時代に結びつけて歴史を紡いでゆくという「芸術音楽史」の方法論は、「歴史」、「音楽」、「ポピュラー」という三つの概念を巡るここまでの議論を考慮に入れるなら、「ポピュラー音楽史」にそのまま適用することは出来ないだろう。「芸術音楽史」に対する批判には、大きく分けて二つの論点がある。一つは、実際には西洋芸術音楽を中心としたものに過ぎない芸術音楽史を普遍的な教養と呼ぶことの欺瞞であり、もう一つは、作品及び作曲者を中心とした直接的な「反映論」として歴史を捉えることの杜撰である。

 今さら言うまでもないのかもしれないが、芸術音楽における「音楽史」というのは、実際にはごく特定の場所に発達した美意識や価値観から「芸術的」であると判断された音楽の歴史に過ぎない。多少の変奏はあるだろうが、「芸術音楽史」とは、基本的にギリシャに端を発し(古代音楽)、グレゴリオ聖歌やノートルダム楽派などの中世音楽やルネサンス音楽に引き継がれ、やがてバロック音楽、古典派、ロマン派へと続き、新古典派を経て現代音楽に至るという、進化論的な系譜である(脚注6。そこでは、世界地図で見ればずいぶん局地的な出来事の連なりがあたかも世界全体に普遍な音楽の歴史であるかのように語られている。逆にヨーロッパという地域に接近してもう少し詳細に検討するなら、東西南北ずいぶんバラバラな場所で起こった音楽的出来事をあたかも現在に向かって一直線に進化してきたかのように繋ぎあわせる、かなり手の込んだ芸当が行われているのがわかる。自民族中心的としか言いようのない歴史観だが、更に問題なのは、それが正統な音楽史であると現に私たちも思い込んでおり、また芸術大学や音楽大学でもカリキュラムの一部として教えられていることである。

 とすれば、ポップという言葉はアメリカ起源だからとか、世界のポピュラー音楽をリードしているのは英米だからという理由で、ポピュラー音楽史は英米のポピュラー音楽の変遷だけ扱えば良いだろうという歴史観や、日本語で書いたらどうせ日本人にしかわからないのだから、日本のポピュラー音楽の動きだけ追えば良いだろうという主張がどれくらい自民族中心主義的なのか自ずとわかるはずだ。また、このような描き方では、私たちの暮らす後期近代という時代の音楽実践の背後にあるファンタスマゴリア的な関係を捉えることは出来ないだろう。ポピュラー音楽というものが、大量生産・大量複製を可能にするメディア技術により、国境を超えて影響を与え合うことで様々なスタイルを作り上げてきたことや、国や地域によってその影響力に格差があり、より世界的に影響力を持つ国・地域と、より影響を受けやすい(淘汰されやすい)国・地域があるという事実を見えづらくしてしまうのだ。例えば私たちが普段耳にするJ-POPという音楽は、ロックやパンク、ラップ、ジャズなどの英米の音楽に強い影響をうけて成立したジャンルだが、だからといって英米でも同じように聴かれているかというとそんなことはない。私たちが普段飽きるほど耳にしているにも拘わらず、英米人は愛好家でもない限り、J-POPを耳にすることはないのだ。

 こうした世界規模での音楽の流通の不均衡に対して意識的になって欲しいという気持ちと、それから日本や英米以外のポピュラー音楽に対してももっと目を(耳を)向けて欲しいという思いから、この本では、日英米以外に特にフランスのポピュラー音楽に注目している。フランスのポピュラー音楽というとすぐに思い浮かぶのはシャンソンかもしれない。あるいは、フランス好きの読者であれば、第二次世界大戦後のジャズの世界的な発展にとってパリという場所がとても重要だったことや、ロックンロールがイェイェという独自のジャンルに展開したことをご存知かもしれない。ここで重要なことはいくつかあって、その一つは、日本の若者が演歌を聴かなくなったように、今のフランスの若者はエディット・ピアフやイヴ・モンタンのシャンソンなど聴いていないということだ。そして、それにも拘らず私たちはフランスのポピュラー音楽といえばシャンソンだと今でも思い込んでいる。つまり、フランスも日本も、ジャズやロックなど英米のポピュラー音楽の動向には敏感に反応しているのだが、お互いの国でどんな音楽が聴かれているかについてはほとんどなにも知らないのだ。日本とフランスの間では音楽的な情報共有や交流がほとんどない、といっても良いだろう。

 もう一つ重要な点は、フランスも日本も、英米のポピュラー音楽の影響を強く受けてはいるものの、必ずしもそれをそのまま受入れているわけではない、ということだ。例えばロックは日本でもフランスでも独自のローカル・シーンを確立してきた。第三章で詳しく触れるつもりだが、アメリカで白人と黒人の人種統合の象徴とされたロックンロールは日本の場合、カントリー&ウェスタンの延長線上の流行として十代の若者たちを魅了し、フランスの場合はイェイェというジャンル名で独特の展開を見せる。ロックンロールといえば、男性中心のジャンルだったのが、フランスでは女性アーティストの人気も高く、当時のフランスの音楽雑誌のなかには、人種の平等だけでなく男女の平等も実現したフランスのイェイェこそが本物のロックンロールなのだ、という主張まで見られたのだ。

 このように、ポピュラー音楽は、たとえ形式的には似たり寄ったりに聴こえたとしても、それが聴かれる場所や時代によって様々な意味や価値を持つ。同じ曲が別の場所や別の時代には正反対の意味を持つことさえありうる。まさに、「歌は世につれ,世は歌につれ」なのだが、しかし、このことからは同時に、「歌」が「世情」をただ単純に反映しているのではないこともわかるのではないかと思う。つまり、「世情」は「歌」の中身(例えばリズム、和声、楽器編成、歌詞……)にあるのではなく、「世情」(つまり特定の場所・時代の社会空間)のなかで「歌」が唄われる、あるいは聴かれることで、その「歌」に特定の意味や価値が付与されるのだ。だから、ポピュラー音楽の研究には、ポピュラー音楽がおかれている社会背景を理解することが不可欠なのである。

 このことは、「芸術音楽史」に対する二つ目の批判、つまり、作品・作曲家とその時代背景のあいだの直接的な「反映論」に対する疑問につながる。これもまた大学における芸術音楽教育の影響で、ポピュラー音楽の研究というと、特定の楽曲を楽譜に書きおこしたり、西洋音楽理論やジャズ理論を応用してコード進行やリズム構造を分析したりという作業を想起する人が多いかもしれない。しかし、実はそれだけではポピュラー音楽について理解したことにはならない。その楽曲がどのような文脈で作られ、流通・配信され、そしてどのような文脈で聴かれ、踊られ、口ずさまれたのかを調べることなくして、ポピュラー音楽の研究は成立しない。この本を読み進めるうちに、ポピュラー音楽を取り巻く文脈、つまり特定の社会背景や政治的・経済的状況、新技術の普及具合などにより、逆に楽曲の構造そのものが影響を受けることがわかってくるはずだ。逆に言えばポピュラー音楽のミュージシャンは、こういうことに敏感に適応して楽曲を制作している、とも言えよう。

 ポピュラー音楽の歴史が、作品と作曲家を中心に据えた従来の「音楽史」と一線を画すのはこのような点である。それは具体的には、作り手やその時代というよりも、作り手と受け手、つまりミュージシャンとリスナーのあいだを結ぶコミュニケーションのあり方(これを媒介《メディエーション》と呼ぶ。媒介という言葉については次章で更に詳しく説明する)の変遷に焦点を当てた歴史である。そこで中心的な位置を占めるのは、作品・作曲家だけではなく、それを記録し、複製し、頒布する技術であり、またその技術を利用した商活動、そしてそうしたものを通して音楽を享受する聴き手の社会史である。そもそもポピュラー音楽の担い手というのは、ミュージシャンもリスナーも含め、楽曲を楽譜に書きおこしたり、音楽理論を駆使して曲を作ったり解釈する能力を持っているとは限らない。マイクロフォンに向かってその場で思いついたメロディーを録音し、それをインターネットで配信するという作業に、楽譜は不要である。そして私たちの多くは、記譜法や和声について学ぶよりも前に(あるいはそうしたものはいっさい学ばずに)、録音・録画された楽曲を繰り返し視聴することでポピュラー音楽の演奏や解釈の仕方を身につけてゆく。

 芸術音楽の音楽学における音楽史と同じように、ポピュラー音楽研究における「ポピュラー音楽史」が、ポピュラー音楽の解釈に不可欠な知識であろうとするのであれば、それは逆説的に従来の音楽史とは別のルートを辿らねばならないだろう。ポピュラー音楽の楽曲分析を行うのであれば、ポピュラー音楽のミュージシャンとリスナーが、芸術音楽での楽曲解釈の常識とは違うやり方で曲を作り、あるいは解釈しているということを前提とした、新しい分析方法を使わなければならない(先駆的な論考としてMoore2001)やGreen2002)など)。とすれば「ポピュラー音楽史」なるものも、そうした新しい分析方法を支援するような文脈情報を提供することをこそ目的とするべきだろう。

 さしあたり、ジャック・アタリが提唱した「ネットワーク(脚注7)」という分析概念がヒントになるのではないかと考えている。先にも述べたように、アタリの議論は必ずしもポピュラー音楽に焦点をあてたものではないのだが、アタリの言うネットワークとは、「音楽の源泉とそれを聴く者とを結ぶチャンネル」(p. 49)のことである。先に触れた、ミュージシャンとリスナーの間をつなぐ媒介のあり方のことだ。アタリの議論によれば、ネットワークは、「それを攻撃し、変形させようとする雑音を、そのコードで規格化し、抑圧することができなくなれば、この雑音自体によって破壊される」(p. 52)。つまり、古いネットワークは、新しいネットワークとの競合に晒されており、場合によっては淘汰される可能性を持つ。つまり、音楽史を複数のネットワーク間の動的な競合関係として記述することで、ミュージシャンとリスナーのあいだの媒介の変遷を紐解くことが可能になるのである。

 この本では、ミュージシャンとリスナーのあいだの関係の変化に強い影響を与えていると考えられる、政治、経済、文化、都市、技術の五つ要素に注目して、それらがどのようにしてミュージシャンとリスナーを結ぶネットワークを構成し、既存のネットワークと拮抗し、それを駆逐し、あるいはそれと共存するのかという動的な視点から、ポピュラー音楽の歴史を紐解いてゆこうと思う。なかでも技術は、ポピュラー音楽の歴史を語る上で非常に重要である。技術が社会や文化に及ぼす行為性は、ポピュラー音楽研究のみならず、社会・人文科学においてもこれまでほとんど論じられてこなかった。しかし楽器の発展一つを取っても、技術の行為性が音楽の歴史にとって無視出来ないものことがわかると思う(Latour2005)やPrior2008)参照)。

 繰り返すようだが、「歴史《ヒストリー》」を書くという作業は、「物語《ストリー》」を紡ぐという作業とほとんど同一であり、結局のところそれを書く人(つまり私)の視点や経験や価値観というものに依拠しているものである。であるから、この本に書かれた事柄は、様々なポピュラー音楽的な現象から、大学教員そして研究者としての私の関心や経験に則して選択され編集された出来事をつなぎあわせた、都合のいいおとぎ話に過ぎない。読者はこの「物語」を鵜呑みにせず、それぞれの興味や関心、価値観に沿って、過不足ある部分を補わなくてはならない。ポピュラー音楽の歴史は一つではないし、世界中で申し合わせたようにある日突然始まったものでもない。この本では便宜上、蓄音機の発明された一九世紀末から記述を始めるが、ポピュラー音楽なるものがそれ以前には存在しなかったというわけではない。

 だから、すでに回り始めたレコードに針を落とすように、この頁をめくってほしい。

 

 

(1)同じような考え方は、ジグムント・バウマン(1989=2006, 1991, 2000=2001など)やマーシャル・バーマン(1983)、ポール・ギルロイ(1993=2006)の論考にも見られる。また、そもそも近代そのものが虚構であり、人類が近代的であったことなど一度もない、というブルーノ・ラトゥール(1991=2008, 2005)の一連の議論も示唆に富む。

(2)ポピュラー音楽が楽曲制作にあたって、既存の楽曲やその要素を可能態の集まりとしてどのように捉え、組み合わせ、編集しうるかについては、トインビー(2000=2004)参照。ミュージシャン側から見たポピュラー音楽のコミュニケーションに関するトインビーの議論については、次章で触れる。

(3)たとえば、世界にはそもそも「音楽」という言葉を持たず、舞踊や儀礼と切り離された活動として「音楽」を捉える習慣を持たない社会もある(Cook & Everist1999))。

(4)アタリの当該書については、初版(1977)を底本にした和訳(1985)を参照しており、引用部分のページ番号は、和訳版のそれである。ただし、同書には1980年代以降の状況を加味して大幅に改訂された第二版(2001)がされており、関心のある方はそちらもあわせて参照されたい。

(5)『研究社新英和辞典』より。英単語の語源・用法についてはレイモンド・ウィリアムス(1983=2002)を参照。Popularとその訳語のニュアンスの違いについては、山田(2003)を参照。

(6)たとえば岡田暁生(2005)は、1000年以上の歴史を持つ西洋芸術音楽を「川の流れ」(p.i)に喩え、クラシック音楽を「堂々たる大河」に、現代の音楽状況を、「世界中のありとあらゆる音楽が、お互いに混ざりあって様々な海流をなす」(p.ii)、「混沌とした海」(p.ii)になぞらえている。

(7)原書ではréseau。日本では「系」という訳語、あるいはそのまま「レゾー」とカタカナ読みして使われることが多いようだが、この本ではわかりやすさを優先し、「ネットワーク」という訳語を用いる。なお、「レゾー(系)」の今日的意義については、増田&谷口(2005)を参照

 

 

参考文献

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