暴力と音
    その政治的思考へ

平井 玄  著

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四六判 上製 276頁 本体価格2400円 
               ISBN4-409-04053-7(専門・教養/思想)

≪目次≫
T
暴力的生成――
ベンヤミンとファノンの経験/ピアノを弾くサイード 
[補論1]サイードが拾ったアドルノの瓶 [補論2]ありのままの複雑さにおいて――ミシェル・クレイフィ『豊饒な記憶』沖縄上映によせて
U
構成的ホームレス
[補論3]地球的な弁証法の中で/[補論4]地下自律ゾーンから [補論5]その後の新宿西口
甘く苦き新しいプロレタリアへ
[補論6]東京の呟き――『史料 スルタンガリエフの夢と現実』によせて [補論7]欲望の行く先――フェリックス・ガタリ他著『政治から記号まで』によせて
階級的東京

V
破壊と実現――
ギー・ドゥボールと平岡正明、そしてフランツ・ファノン/非常事態下の音楽――ワイマール末期の「音」の闘争

あとがき

≪著者、内容紹介≫

平井 玄 ひらい げん

1952年東京都新宿区に生まれる。1968年、都立新宿高校1年の時に全共闘運動に参加。早稲田大学文学部抹籍。以降、企業体に属さず、新宿の街でジャズを中心とする音楽批評と社会運動に携わる。1985年、日雇い労働者たちの生活と闘いを描いた映画『山谷 やられたらやりかえせ』の制作と上映の運動に加わる。92年にはパレスチナ/イスラエルのエルサレム市を訪れ、パレスチナ人音楽グループを国内に招聘、コンサートを開く。97年より早稲田大学文学部非常勤講師。
著書:『路上のマテリアリズム』(社会評論社、1986)、『破壊的音楽』(インパクト出版会、1994)
共著:『東京劇場 ガタリ、東京を行く』(UPU、1986)、
『ファシズムの想像力』(人文書院、1997)、『音の力 沖縄「コザ沸騰編」』、『同 「奄美/八重山/逆流編』(インパクト出版会、1998)、『21世紀のロック』(青弓社、1999)
               ★  ☆  ★  ☆  ★

著者は,あるときは「希望としての暴力」をベンヤミン,ファノン,サイード,デリダの哲学から汲み取り、あるときはグレン・グールド、シェーンベルク、アドルノ、黒人音楽に暴力の時代の苦悩の表現をみる。音楽は人間の最もエモーショナルな部分に訴えて、人間に美的快楽をもたらすとともに、崇高にも野蛮にも駆り立てる。ブレヒトやクルト・ヴァイルのめざした革命の音楽は、「ホルスト・ヴェッセル」のようなファシストの音楽に呑み込まれた。その痛恨の歴史も忘れてはならない。このように、音楽のもつアレゴリーの二面性を著者は強調する。本書のもう一つの柱は、日本の資本主義を底辺で支える日雇い労働者やホームレス、フリーターへの熱いまなざしである。超高層ビルの林立する新宿の西口地下に並ぶダンボール・ハウスの群れ。あるいはコンピュータ制御の職場やコンビニで働く膨大な「下層フリーター」を通し、今日の階級や労働の意味と可能性を追究する。日本と世界が新たに生成する方途はどこにあるのか。暴力の第三の時代に「暴力と音」という視点からこのアポリアに挑戦した、特異な思想家の力作評論。

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