書名:
遍路と巡礼の民俗

著者:佐藤久光

定価:3255円 (本体価格3100円+税155円)
サイズ:A5判上製 312
ページ 刊行日2006年6月 
ISBN4-409-54072-6(専門書/民俗)

  内容紹介欄へ

目次

は し が き

第一章 研究の視点と各霊場の成立:第一節 研究の視点/第二節 各霊場の成立とその後の変遷 一 西国巡礼の成立  二 坂東巡礼の起り  三 秩父巡礼の成立と変遷  四 四国遍路の起り

第二章 西国巡礼と四国遍路の習俗:第一節 巡礼と遍路に共通な習俗  一 御 詠 歌  二 菅笠と金剛杖  三 笈摺・白衣  四 納 札  五 「同行二人」  六 道中記・絵図・地図  七 納経帳・掛軸  八 順路の変更  九 開 帳  十 接 待/第二節 四国遍路の独自な習俗  一 弘法大師伝説  二 巡拝回数毎の納札  三 遍路屋・通夜堂・木賃宿  四 遍 路 墓  五 番 外 札 所

第三章 出版物と巡礼・遍路の動向:第一節 西国巡礼の出版物と巡礼者の動向  一 出版物の種類――縁起・霊場記・霊験記 道中記(案内書)・道中日記(巡拝記) 御詠歌集及び評釈書 絵図・地図 写真集 研究書  二 江戸時代の出版状況  三 出版状況と巡礼者の動向  四 明治期以降から現代までの出版状況――明治期から敗戦まで 敗戦から平成期/第二節 遍路の出版物と遍路の動向  一 案内記と巡拝記(体験記)  二 時代別にみた出版物――江戸時代 明治期から大正期 昭和初期から敗戦まで 昭和二十年代から三十年代 昭和四十年代から五十年代 昭和六十年代から平成十六年  三 昭和後期から平成期の出版物――昭和六十年から平成六年 平成七年から平成十六年  四 出版物の増加の背景  

第四章 道中日記にみる巡礼と遍路の習俗:第一節 道中日記にみる西国巡礼の習俗  一 行程と日数  二 巡礼の費用  
三 行楽と見物  四 その他の体験と見聞――天候に悩まされる 接待 文化の相違 失敗談
/第二節 道中日記にみる四国遍路の習俗  一 行程と日数  二 遍路の費用  三 接 待  四 その他の体験と見聞――道後温泉での入湯 遍路の死と忘れもの 古着の購入 遍路宿の客引きと悪徳商法、詐欺 バス酔い 四国路の眺望

終章 まとめと遍路の世俗化

附 録/註/あ と が き/索 引


著者・内容紹介

佐藤久光 さとう ひさみつ
1948年秋田県に生まれる。大谷大学大学院哲学科博士課程修了。種知院大学専任講師、助教授、教授、その間91年から95年まで関西大学経済・政治研究所嘱託研究員。現在、関西大学、龍谷大学非常勤講師。
著書:『チベット密教の研究』(共著、永田文昌堂)、『密教の文化』(共著、人文書院 品切)、『巡礼論集1』(共著、岩田書院)、『遍路と巡礼の社会学』(人文書院)など。


 かつては多様な遍路のかたちがあった。その習俗はいかに成立し変容したのか?

不況にもかかわらず、四国遍路には人気があり、体験記の出版や遍路ツアーも盛んとなっている。そして、一時廃れていた歩き遍路が、平成期に入って再び脚光を浴びている。現在の私たちは、遍路といえば、装束に手甲脚絆を付け、菅笠をかぶり、白衣や笈摺を着て金剛杖をついて歩く姿を思い浮かべる。しかし、もともとそれらは旅の装束や道具であり、白衣は死の装束、笈摺は荷を負う時に擦り切れるのを防ぐ半袖であった。
 そうした巡礼、遍路の習俗はどのようにして生まれたのか。また、観音巡礼としての西国巡礼は、祖師巡礼としての四国遍路の習俗にどのような影響を与えたのか。両者の関連性を、遍路の旅に不可欠な案内記や地図・体験記など、豊富な資料を通して明らかにし、遍路の習俗に関する変容を考察する。さらに巻末に遍路に関する詳細な文献リストを付す。前著『遍路と巡礼の社会学』につづく労作研究。


〈は し が き〉より

 戦後の高度経済成長とともに、我が国の聖地、霊場をめぐる観音巡礼や四国遍路も増加するようになる。しかし、過熱した経済はやがて平成期に入りバブル崩壊で一変し、未曾有の不況が始まった。ところが、四国遍路は平成の不況にもかかわらず、増加の傾向を辿った。むしろ不況の時期こそ遍路は注目され出した。その背景にはテレビや新聞などで遍路が取り上げられるなどマスメディアの影響が大きい。テレビ報道の一つにNHKは平成十五年六月に「にんげんドキュメント」の番組で、地元の人の接待と俳句を詠んだ御礼で遍路を続ける或る一人の老人の様子を報じた。八十歳になるこの遍路は家財道具一式を台車に積んで俳句を詠んで札所を廻っていた。ペンネームを幸月といい、遍路雑誌を発行するシンメディア社から句集『風懐に歩三昧(かぜふところにかちざんまい)』を出版し、俳人からも評価を受けるなど、地元ではよく知られた人物であった。

 しかし、この遍路はテレビ出演をしたことで、番組を見ていた警察官が十二年前の殺人未遂事件の容疑者と気付き、この男は逮捕されることになった。この容疑者が長期に亘って遍路を続け、世間を欺くことができたのは、四国遍路の習俗に接待があったからである。歴史的に遡ると、かつて不治の病とされたハンセン病患者や不倫した男女、多額な借財を抱えて身を崩した人などは国元を追われ、生き延びるため、はたまた死に場所をもとめて遍路に出た。彼らが生き延びられたのは接待の施しがあったからである。遍路道の端には道中で倒れて死亡した人の遍路墓が今も残っている。先の容疑者もかつての遍路の現代版の一齣でもある。

 ところで、長引く不況にもかかわらず四国遍路には人気があり、自動車の普及で廃れていた「歩き遍路」が平成期に入って増え始めた。それに比例するように自らの体験を出版する体験記や商業出版の案内書の発行が相次いでいる。 その背景には幾つかの要素があるが、経済不況で混迷する時代にあってリストラで職を失った人を始め、人生に挫折した失意の人、自閉症の病を克服しようとする若者などは自らを振り返るために遍路に出かけ、救いを求める。そして道中での肉体的苦痛と精神的孤独を体験し、地元の人からの接待や善根宿の温かい気持ちに感動する。その感動を出版として伝え、自らの記念とするものである。出版物の増加が遍路の増加を促す一因ともなっている。

 筆者はこれまで巡礼、遍路の動向やその実態の分析を主眼とした研究を行ってきた。その成果は『遍路と巡礼の社会学』(人文書院)として上梓した。しかし、前著は遍路の動向や実態の解明を主なるテーマとしたものであり、統計的な分析で研究視点が限定されていた。その研究を通じて、今少し領域を広げた研究の必要性を感じた。その大きな理由は、遍路や出版物の増加に伴って、遍路の習俗に画一性が顕著になったことに気付いたことである。例えば、遍路の装束には手甲脚絆を着けて、菅笠を被り、白衣や笈摺を着て金剛杖をついて歩く姿である。しかし、手甲脚絆や菅笠、杖などは最初は旅の装束や道具であった。白衣は死の装束であり、笈摺は荷を負う時に摺り切れるのを防ぐ半袖であった。それがやがて宗教的意味づけがなされて行くことになる。しかし、既述のように歴史的にはいろいろな遍路が様々な目的で、しかも装束もない姿で山野の道を廻っていたことである。寺の通夜堂や野辺で一夜を明かし、道々では住民から金品の接待を受けながら遍路を続けた。そこに四国遍路のもつ多様性があり、それが魅力でもあった。

 確かに時代によって巡礼、遍路の習俗にも変容が起きる。その典型が交通手段である。巡礼、遍路の基本は徒歩であった。それがバス巡拝へと変わり、バスから自家用車へと進む。更に平成十年にはヘリコプターによる巡拝も登場し、時代とともに交通手段は大きく変わった。しかし、平成期に入り、歩き遍路が見直されると、衰退していた接待も復活するようになった。そこで、現代の遍路の状況を今一度再考してみようと思った。また、現在では習俗が簡略化されてその面影を失っている西国巡礼などの観音巡礼ではかつてはどのような習俗であったのかにも関心を抱いた。

 そこで、第一章では本書の目的を述べるとともに、巡礼、遍路の成立とその後の変遷を概説する。本論である第二章以降では、歴史的に振り返り、巡礼、遍路の習俗はどのようにして生まれたのか。そして、それがどのように影響して行ったのかを検討する。そこには巡礼の原点である西国巡礼の習俗が坂東、秩父巡礼、四国遍路などに影響を与えていることが多い。併せて四国遍路の独自な習俗を考察する。第三章では、巡礼、遍路が最も盛行であった江戸時代における案内書、道中日記の出版状況の把握である。案内書の発行はそれを求める需要が前提とされるので、巡礼が盛んであった江戸時代には多くの出版物が発行されていた。その出版物と巡礼者の動向との関わりを検討することにした。併せて現代の出版状況も考察する。第四章では体験記・道中日記を分析して、全行程に要する日数、宿賃、総額にかかる費用、接待、その他の見聞したことを考察する。体験記を通じてその時代の習俗を捉える。本書は前著『遍路と巡礼の社会学』で取り上げられなかったテーマを扱い、それを補うもので姉妹編とも言えるものである。


オーダー