〔特別寄稿〕

 

ヴァかワ、死んだらわからない

               古谷 嘉章 (九州大学大学院比較社会文化研究院助教授。専門は文化人類学)

 

 ブラジル・モデルニズモの中心人物のひとり、詩人であり、また詩人という枠にはおさまらない傑物、オズワルド・ヂ=アンドラーヂ(Oswald de Andrade)。彼については、拙著『異種混淆の近代と人類学 ――ラテンアメリカのコンタクト・ゾーンから』(人文書院)のなかの「ブラジル・モデルニズモのレッスン」という章で、彼の「食人主義」に焦点をあてて詳しく論じたので、お読みいただいた人もあるかもしれない。本稿は、いささか体裁が悪いのだが、彼の名前を日本語で表記するにあたって、これからは「オズヴァルド」と書くことにしようと思うのだがという趣旨の小文である。

  私がこれまで「オズワルド」と書いてきたのは、綴りがOswaldだということもさることながら、彼について集中的に学ぶ機会を得たテキサス大学のDavid Jackson教授のセミナーでは、皆がオズワルドと発音していたという経緯があったためである。しかし、ブラジルのポルトガル語を、ポルトガル風にではなく、ブラジルでの発音通りに表記することを試みていた、これもモデルニズモの大立者マリオ・ヂ=アンドラーヂ(Mário de Andrade)が、常にというわけではないが、本人宛の手紙も含めて、ときとして Osvaldoと書いていることは、前々から気にはなっていた。しかし、本人が Oswaldoと書いているならともかく、Oswaldというポルトガル語の名前らしくない表記をしている以上、これは、彼にとっての知的準拠地点たるフランス語風に「オズワルド」と書いたほうがよいのではないかとも思っていたというわけである。

 

 しかしいつかは確かめなければと思っていたので、先日ブラジルに行った際に、従来からの友人知人のみならず、それなりに傾聴すべき意見をもっているだろうと思われる人々に、彼の名をどう発音したものだろうと、尋ねてみた。まず、ブラジル・モデルニズモに関する一次資料の宝庫ともいえる、サンパウロ大学の「ブラジル研究所」(Instituto  de Estudos Brasileiros)の関係者に色々尋ねてみると、どうもごく一般的には、彼の名は「オズヴァルド」と発音されているらしいことがわかってきた。(なかには、Dで終わる単語を発音する際に、Iの音を付加して「ヂ」と発音するブラジル語の通例にしがって、「オズヴァルヂ」と発音する人もいた。航空会社のVARIGをヴァリギと発音するのも同様の例である)。しかし、では、ブラジルでは、Wがつねに(英語の)Vの音で発音されるのか、あるいは、この特定の詩人の名前の場合だけそうなのかということについては、すぐに判然とはしなかった。そもそも、WYKは、ポルトガル語のアルファベットには本来ない文字で、一般には外来語や先住民言語などの表記にしか使われないのである。

 

 それより「ブラジル研究所」での「調査」では、予期しなかった新たな事実に出くわした。それは、Oswaldの名をどう発音するのかという問いに対して、ブラジル文学に多少なりとも造詣のあるブラジル人たちが「彼の名前の発音については諸説あるんだ」と言うとき、そこで問題とされているのは、むしろアクセントがどこにあるのかという問題だったことである。つまり、アクセントが最初のOにあるのか、二番目のAにあるのか、という点である。そしてこれについては既に、ブラジルの高名な文芸批評家Antonio Candidoの有名なエッセイ(”Oswaldo, Oswáld, Ôswald”)があって、それによれば、Oswaldという表記はポルトガル語の名前としては妙なのだが、これは秩序破壊的なモデルニズモ詩人の独創というわけではなく、彼の父の名もそうであり、彼の父方の祖母が愛読した小説の登場人物たるスコットランド人の名に由来するらしい。しかも、一族がそこの出であるミナスジェライス州の南部では、この表記は、かなりひろく使われるようになったという。いずれにせよ、Oswaldに関しては、Aにアクセントがあるべきで、近年、最初のOにアクセントがあるように読む間違った風潮があると、Candidoは批判している。たしかに、ポルトガル語の通常のアクセント規則によれば、アクセント記号がなければ、語頭のOにアクセントがくることはない。

 

 しかし私が直面していた、ヴァなのかワなのかという問題は、当然のことながらアクセントの問題とは別で、そもそもOswaldと書いて、それをどう読もうとかまわないと涼しい顔をしていられないのは、日本語のカナ表記の問題なのである。この種の問題については、作家の野坂昭如氏が、ノサカかノザカかという渡米時のパスポートのトラブルに言寄せて一文を草したのを読んだことがあるが、この場合、野坂という漢字が定まっているなら、ノサカと呼ぼうとノザカと呼ぼうと構いはしないというのは、日本語のほうの都合で、どちらかにしてくれないと同一人物とみなせないというのは英語のほうの都合なのである。

 

 さてここで、この件にどう決着をつけるべきなのかということになるが、言文一致という観点からすれば、「わ」と書くべきところを「は」、「え」と書くべきところを「へ」と書いて平然としている現代日本人は、まだ言文一致の域に達していない、とも言えるだろう。二葉亭四迷が提起した問題は、まだ「くたばって」はいないのである。ポルトガル語を「ブラジル化」する必要を力説し、それに全力を注いだマリオが試みた過激な言文一致表記も、結局は、正則ポルトガル語(より正確にはブラジル語)の表記として定着することはなかった。ブラジルの事物・人名について日本語で書くという場合でも、現地住民は「ヒオ」と呼んでいるRioを慣習で「リオ」と書き続けているのだから、必ずしも現地発音最優先でカナ表記をしているわけでもない。そもそも国名だって「ブラジル」と書くのではなく、「ブラズィウ」とでも書かなければ筋が通らない、と言っていても埒があくものでもない。

 

 ともかく、すくなくともOswald de Andradeについて何事か語ることがあり、語り続けているブラジル人たちが、Osvaldoと発音しつづけているのなら、ここは、できるだけ早いうちに「オズヴァルド」と書くことにしたほうが無難かもしれないという気がしてきたというわけである。しかしその一方で、ほんとうにそうなのかという気も、しているのである。たとえば、Roberto Schwarzという名の高名な文芸批評家がいるが、彼はウィーン生まれのオーストリア系ブラジル人である。以前、彼の名字を日本語で初めて表記しようとしたとき、日本語もできるブラジル人研究者の友人に尋ねてみたところ、彼はブラジリア大学の同僚たちに聞きまわってくれて、ドイツ語風に「シュヴァルツ」ではなく、「シュワルス」と発音していると教えてくれた。ここではなぜ waは「ワ」になるのか? 疑問は深まる。それに輪をかけるように、Wが語頭にくれば、それは「ワ」と発音されることが多いと、旧知のブラジル知識人たちは言う。たとえば、かつてのブラジル大統領Washington Luísの場合などがそうである。彼は「ワシントン」であって「ヴァシントン」ではない。では、WVの発音が同じになる場合と異なる場合と、なにか原則があるのかと言えば、わたしが聞いた人たちのなかには、はっきりと明確な説明をしてくれる人はなかった。ブラジル語におけるWの位置とは、いかなるものなのであろうか? 少なくとも今後は、Wの役割が増大してゆくことは間違いない。いまやブラジルも、少なくとも都会は、世界の他の地域と同様、WWWに席巻されつつあり、これをブラジル人は、「ダブリュ・ダブリュ・ダブリュ」と英語読みするからである。

 

 そんなふうに考えを巡らせていたとき、サンパウロはパライーゾ地区の有名なドイツ系の病院(Hospital  Alemão  Oswaldo  Cruz)の前にあるバス停の標識のうち、道路側の屋根についているものは、Oswaldo Cruzなのに、歩道側の案内板には、Osvaldo Cruzと書いてあるのが目に入った。要するに、このどちらでも良いということらしい。これはとどめの一撃という感じがした。ほんとうのところ、かのモデルニズモの英雄の場合、ヴァかワ、死んだらわからないのだけれども、ここはやはり「オズヴァルド」でいくしかあるまいと悟ったという次第なのだが・・・