○第102回(2011/3)
「また、起こってしまった」
3月11日に、あるいはそれから今日まで、東北太平洋沖地震について言葉にできるのは、これだけかもしれない。敢えて言い換えるとしたら、「茫然自失」である。
あの日、ぼく自身はどうであったか?
大阪難波でも、大きな横揺れがあった。店の事務所にいたぼくは、ビル全体が、ゆっくりと、だがかなり長い時間揺れているのを感じた。「最初眩暈かと思った」と、最初は自らの身体的変調と感じた人が、あとで聞いてみると、結構多かった。
すぐに、お客様やスタッフの無事、店に異常のないことを確認した。
「震源は、どこだろう?」と思った。
16年前の阪神淡路大震災の記憶が頭をよぎったが、逆に震源が近くてあの程度の揺れなら、地震そのものも大したことないか、とも思っているところに届いたニュースは、ぼくを震撼させた。
「震源は、三陸沖!? 大阪であれだけ揺れたんやったら、どれだけ大きい地震やったんや?」
暫くして、人文書院の松岡さんから電話。「どうします?」
その日は18時30分から、美馬達也×檜垣立哉トークセッションを予定していたのだ。松岡さんは、美馬さんの二冊の著書の編集担当であり、今回のトークの企画を進めてくれた人だ。
「特に、電車が止まったりはしていないようだから、やりますよ。」
イベントを中止する、という発想は、まったくなかった。
「分かりました。先生方もそちらに向かわれてるようです。」
翌々日、奈良県の香芝市民図書館で、「図書館は、書店は、本は元気ですか?」と題して2時間の講演を行った。こちらも、図書館の方から事前に電話があり、実際に行うかどうか、打診された。ジュンク堂が東北地方にもあり、またぼく自身が仙台店オープン時の店長であったことをご存じだったからかもしれないが、ぼくには「穴を開ける」つもりはまったくなかった。
熟考の上でも、義務感からでもない。ただ、トークイベントも講演も、中止するということが、単に思い浮かばなかったのだ。中止しなかったことが間違いだったとは今でも思わないが、当時あちこちでイベントが中止されていたことを知るにつけ、その可能性に思い至らなかったこと、そのことを、冒頭ぼくは「茫然自失」と表現したのかもしれない。
地震が起こったころ、ぼくはホルクハイマー/アドルノの『啓蒙の弁証法』(岩波現代文庫)を読んでいた。人間理性が自然の脅威を乗り越え、遂には自然を支配しようとする企図を持つにいたった結果、その支配欲が人間そのものをも対象にしてしまう様が描かれている。ぼくらは、自然の一部なのだ。自然を乗り越える、自然を支配するという欲望を持ち、それが可能だという傲りを持った時、ぼくらは自分たちが自然の一部であることを、忘れてしまいがちである。
遡ること一週間、3月5日に松葉祥一さんとのトークセッションをお願いした雑賀恵子さんの、『エコ・ロゴス』(人文書院)を繙く。
“生命体がこの世界に生まれた原初から生命体に奥深く根ざしている希い、〈わたし〉はこの世界に在りたい、生きたい、この〈わたし〉がこの世界に在ることが叶わないなら、〈わたし〉のかけらを、声を、この世界に響かせたい、残したいという希いが、生命体をして生命体とならしめる徴であったし、その希いが、生命体を衝き動かして、〈わたし〉のかたちを、生き方を、手探りしながら、たえず変えさせてきた、ように思う。”(p10-11)
“そうした恐怖と欠乏の危機(飢餓、熱球状態化、破壊、低温――福嶋注)が来るたび、かれらは、寄り添い、共に生きようとした。生きているものと、生きていないものとを隔てているのは、なにかしら不思議な煌めきに導かれて、生きようとする、この世界にありつづけようとする希求のようにも思える。”(p13)
“そして、生きること、は、他者とともに在ること、とひとしくなる。生きること、は、ともに在ること、の悦ばしさなのだ。”(p14)
トークセッションの日に初めてお会いした雑賀さんは、とても気さくで、魅力的な女性だった。
毎日、地震関連の書籍、原子力発電所関連の書籍が求められ、売れていく。震災直後には、(特に東北地方方面の)地図の問い合わせが相次いだ。書店現場は、否が応でも、「今ここにある現実」を映す鏡である。やはり、ぼくらにできることは、必要な方に、必要な本を提供することだけなのだ。
高田明典は、『現代思想のコミュニケーション的転回』(筑摩選書)で、言う。
“アーペルがパースを引きつつ主張しているのは、科学であれ哲学であれ、思考というものは未来に向けての営みであり、過去に発生したことがらの正誤を判定するのは副次的なものでしかないということです。アーペルの論の美しさは、ここにあります。学問的研究は、未来を紡ぐためにこそ存在しているのであり、過去を裁くためのものでは決してないはずです。”(p143)
ぼくたちは、今日も、粛々と本を売る。書物が、明日へ向けてのさまざまな活動を助けるために不可欠なツールであることを思い、すべての人々の心の糧、希望の源であることを信じて。
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