○第101回(2011/2)
2月23日(水)、京阪中之島線「なにわ橋」駅地下1階、中之島アートエリアB1で行われたトークショー「哲学と大学の未来」に参加した。ゲストは、大阪大学総長の鷲田清一さん、首都大学東京准教授の西山雄二さんである。司会は、大阪大学CSCD准教授の本間正樹さん。同会場で続いている「中之島哲学コレージュ」の特別企画であった。
『ドキュメント臨床哲学』(鷲田監修)(大阪大学出版会)、『哲学への権利』(西山著)の刊行記念イベントとして開催されたとはいえ、時期的には西山さんの『哲学への権利』が出たばかり、司会役のカフェマスター本間さんの師でもある鷲田さんは、そもそも「中之島哲学コレージュ」の仕掛け人、総元締めとも言える。昨年の2月に、西山さん制作の映画『哲学への権利』を、ぼくは同じ会場で見た。今回はその映画を中心とした著書を引っ提げての、ちょうど一年振りの凱旋である。本間さんや鷲田さんが西山さんに聞く形での進行を、予想した。
しかし、違った。西山さんが「臨床哲学」の実践について聞き、鷲田さんが熱っぽく話す、という展開になった。冒頭、自身(「臨床哲学」のマニフェストとも言える)名著『「聴く」ことの力』を持つ鷲田さんが、映画の中で西山さんがひたすら黙って聞き続ける姿勢に「負けた」と言い、自らは特に相手が哲学者・哲学研究者の時にはどうしても口を挟んでしまう、哲学に関しては自分も体を張ってやっているというプロ意識が出て距離を取れない、とおっしゃったことを、まさに実証する形となって、面白かった。
一方、西山さんは自著『哲学への権利』について、言葉少なに次のように語った。
“この本は、四周くらい遠回りした本だと言える。
まず、デリダのつくった学校=国際哲学コレージュがあって、次に、ぼくが、その学校を巡って、関係者である哲学者たちにひたすらインタビューしたドキュメンタリー映画を製作した、そして、その映画を持って日本全国を、そして海外にまで足を運び、上映会、討論会をやった、最後にこうして文字に起こし、本となった。“
自らの活動が今一冊の本となって目の前にあることの、その活動にとっての意味、そして西山さん自身の率直な感想を是非聞きたかったが、最後の質問コーナーにも、割り込めなかった。
遡って2月5日(土)、MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店で行われた、佐々木中×円城塔トークセッションにも参加した。こちらも、佐々木さんの『切り取れ、あの祈る手を』『九夏前夜』を刊行した河出書房新社主催のトークだったから、作家の円城さんが聞き役に回ると思いきや、佐々木さんによる円城さんへのインタビューという形で始まった。佐々木さんが円城さん小説の大ファンということからそうなったのであるが、期せずして、二人の会話は、『切り取れ、あの祈る手を』の世界へ繋がっていく。
佐々木 なぜ小説を書き始めたの?
円城 他に何も出来ないから。
この短いやり取りは、『切り取れ、あの祈る手を』の中で、佐々木さんがドストエフスキーやトルストイたちが九割以上が文盲の時代に世界的な文学を書き遺したことに触れたあと次のように書いた箇所に、直結する。
“何故か。どうしてそんなことが出来たのか。当然です。文学が生き延びる。藝術(アート)が生き延びる。革命が生き延びるということが、人類が生き延びるということだからです。それ以外ない。何故書くのか、何故書き続けるのか。書き続けるしかないじゃないですか。他にすることでもあるんですか。”
『切り取れ、あの祈る手を』は、特に書店員たちに元気と勇気を与えてくれた。ジュンク堂ホームページに寄せられたジュンク堂スタッフの書評には、そのことを伝える言葉が並ぶ。
「自分の担当している偉大な本たちに手を出しかねている私の背中を、どーんと突き飛ばす衝撃」
「言葉を失う衝撃」
「この先の読書体験を200%熱くする、大興奮必至の一冊!」
「最初から最後まで圧倒されました。と同時に勇気をもらいました。」
その思いを、ぼくも共有する。本書に散りばめられた次のような燃えさかる文章が、書店人魂に火をつける。
“本の出版流通に携わる人々すべてに言いたい。あなたがたは天使的な仕事に従事しているのだ。”
“革命は「文学的」なのではありません。違う。断じて違う。文学こそが革命の本体なのです。革命は文学からしか起こらないし、文学を失った瞬間革命は死にます。”
“一六世紀最大の文学者ルター、彼は一五〇〇年から一五四〇年までのドイツの書籍全体の三分の一を書いた革命家でした。”
その日、初めてお目にかかった瞬間、ぼくは佐々木さんに、「何よりも、書店員たちに元気と勇気を与えて下さったことに、感謝します。」と、心からのお礼を申し上げた。
大阪の地で、本をめぐるこのようなイベントが息吹き始めたことを喜びたい。関西のあちこちにこのような試みが広がっていき、読者が、市民が著者の生まの声を聴き、互いに活発に語り合うことが常態化することを、望む。それは、そのような場の継続的な出来(しゅったい)が、単に書物の危機を救うだけではなく、閉塞した社会全体に活気をもたらすと信じるからだ。そうなった時、書物という存在は、著者やそれにかかわった人々、そしてそれを読んだ人々のエネルギーの塊と化すだろう。
中之島のイベントでは、「大学の未来」は、臨床哲学の実践であり、西山さんのような活動にある、と総括された。鷲田さんたちは、大学の「外」(建物の外ということではない。大阪大学で行われる金曜日六限の臨床哲学の授業には、大学外の人々が自由に参加する。それもまた、一つの「外」である。)に出ることにこだわる。西山さんは、「アマ/プロ」「大学/在野」「専門家/社会」の通路をつくることが重要と言う。
そうした通路、大学の「外」としての書店にできることは何か、改めて考えさせられた。
(ジュンク堂難波店では、3/5(土)15:00より、雑賀恵子さん×松葉祥一さんによる「快楽の効用―肉の共同体へ向けて」、3/11(金)18:30より、美馬達哉さん×檜垣立哉さんによる「脳の倫理と権力―生政治論をめぐって」と、二つのトークセッションを行います。いずれも、参加無料です。お問い合わせ、お申し込みは、ジュンク堂書店難波店(06-4396-4771)まで。)
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