○第127回(2013/4)
日本の大学生は、ほんとうに勉強していない!
大学の教科書や、大学生の指針としての入門書、参考文献となるべき専門書を出している出版社からこの嘆きの声が聞かれ初めてからずいぶん久しくなるが、4月11日に刊行された『なぜ日本の大学生は、世界でいちばん勉強しないのか?』で、辻太一朗は、大学生の1日の平均学習時間が3.5時間という、平成23年に総務省が実施した「社会生活基本調査」の結果を引き、それがアメリカをはじめとした諸外国の大学生の゛足元にも及ばない゛数字であり、一方で日本の小学6年生の平均時間をも下回ることを示す。そもそもこの数字では、「大学設置基準」も満たしていないという。
勤勉を徳とすると言われてきた日本人が、そして過酷な「受験戦争」を潜り抜けてきた筈の大学生たちが、なぜ「世界でいちばん勉強しな」くなってしまったのだろうか?
少子化、それにも関わらず大学数が増加してきたこと、大学進学率の予想以上の伸長など、たがいに絡み合う様々な理由が考えられるが、辻は、就職活動の実態が大きな原因だと見る。就職活動は、企業訪問、面接、入社試験のスケジュールだけではない。大学生活そのものに大きな圧力を加えている。ほとんどの大学生たちは、「勉強以外に忙しい大学生活」を送っているのだ。潟潟Nルートの全国採用責任者として活躍後、数百社の採用コンサルタントの経歴を持つ辻が、本書を上梓した所以である。
辻は、゛「勉強しない大学生」を生む負のスパイラル゛を次のように描く。
@採用担当者「学生はどうせ勉強していないから、面接ではバイトやサークルの話を聞くしかない。正直、大学の先生にはもっとしっかり学生を鍛えてほしい」→A学生「就活で、成績を見る企業はほとんどない、だったら、楽に単位が取れる授業をとって、面接でネタになるバイトやサークルに時間を割いたほうがいい」→B大学の先生「しっかり教育しようとすればするほど学生が離れていく。こんなことなら、適当にやったほうが楽だし、自分の研究に時間を使える。そもそも、学生は就活にばかり熱心だから授業に興味をもってくれない」→C学生「先生がきちんと教える気がなくて授業がつまんない!こんな授業なら、さぼってバイトやサークルに出てたほうがマシ」
明らかに再びCは@へと繋がっていくから、このスパイラルはどんどん深化していく。大学の先輩から後輩へのアドバイスもこのスパイラルを前提とするから、この図式は強化され続けながら大学現場で受け継がれていく。
このスパイラルが続く限り、大学の存在理由は薄れていき、一方企業の弱体化も進み、果ては日本経済の凋落に繋がっていく、と辻は言う。グローバリゼーションの時代に、企業対企業、国家対国家の熾烈な競争に生き残るだけの人材を、日本は確保できないからだ。企業間の競争が、容赦なくグローバル化している今、大学4年間で徹底的に鍛えられた海外の学生を採用している海外企業に対して、鍛えられることなく大学を卒業してしまった日本の学生を採用する日本企業は、否応なく苦しい戦いを余儀なくされる、だから大学生が勉強しない状況は、国力を左右する大問題だと言うのである。昨今の日本の経済力の凋落を見ると、確かにそれは、正鵠を得ているように思う。
この状況を脱する為には、大学生―大学教員―企業の三者間相互の関係が悪循環を生み、大学生の勉強離れを助長させている状況=「負のスパイラル」の方向を、「正のスパイラル」へと逆転するしかない。「負のスパイラル」を駆動、促進する要因としては、日本経済全体の不調、労働現場の縮小、求人数の不足や、大学教員の研究・論文成果主義など様々な状況が関与しているが、先に引いた゛「勉強しない大学生」を生む負のスパイラル゛の中で企業の採用担当者が言う「正直、大学の先生にはもっとしっかり学生を鍛えてほしい」という言葉を、差し当たっての足がかりとするべきだろう。
本来、大学の授業で扱うテーマは「理解することも難しい」「一定の量の記憶も同時に必要」「論理的に考える必要がある」「概念的な問題も多い」「プロ中のプロである先生との対話」等々、頭を極限まで使わなければどうにもならないことばかりである。
対して「面接時のネタになる」と言われる課外活動で真剣に頭を使わなくては解決できないような問題は、そんなに頻繁におこるものではない。アルバイトで貴重な経験をすることもありうるが、アルバイトの責任と権限内のことである。「考える力」を鍛える機会も進度も、授業と課外活動とでは雲泥の差があるので、大学の授業に真剣に取り組みさえすれば、課外活動の何倍も「考える力」を鍛えることができる筈だ、と辻は言う。
そのことを再認識し、大学生と大学教員が授業の場で真剣に向き合い、相互の「考える力」をぶつけ合い、伸ばしていく。そして、企業の採用担当者も、そうして培われた「考える力」を重視した採用活動を行う。「正のスパイラル」は、「考える力」を軸にして回る、と辻は訴える。
辻の示す方向性には、基本的に同意する。ただし、辻の言う「負のスパイラル」から「正のスパイラル」への逆転というモチーフは、いやしくも大学で学ばれる学問に対しては小さすぎるようにも思える。就職は、確かに大切なことである。人生のある時期に、就職活動が生活の中心となるのもやむを得ないかもしれない。だが、大学で学ぶことの意義を、就職活動における有利不利の議論にのみ押し込めてしまうのは、いかがなものだろうか。少なくともそこからは、今ある就職のあり方、更には経済のあり方、生き方の枠組を根底から覆すエネルギーは生まれてこないように思うのだ。
そんな大きなことを言わなくても良い。この世を生きていく中で、「学ぶ」ことそのものの喜びとそれが生み出す活力を、もっともっと追究する、あるいは思い出すことが大切なのではないか。
そんなぼくの思いを強くしたのは、2008年、『ラブホテル進化論』(文春新書)を大学院在学中に上梓して話題となった金益見(キム・イッキョン)が編んだ『やる気とか元気がでるえんぴつポスター』(文藝春秋 4月10日刊)だ。
大阪市の東生野夜間中学校の前には、月替わりで、鉛筆型の用紙に書かれた「えんぴつポスター」が貼りだされる。そこに書かれているのは、夜間中学生が一年に一度書く短い作文、内容・テーマは特に決まっていない。
金益見は、東生野中学校の前を通るたびに「えんぴつポスター」を読み、元気づけられ、「とてもいい気持ち」をもらってきたという。「これを近所に住んでいる自分だけが感じるのはもったいない!」と思い、「えんぴつポスター」をたくさんのひとに見てもらうために、本書を編んだ。
大阪市立東生野中学校夜間学級は、学生の85%以上が在日コリアン1世、2世。平均年齢67歳(25〜85歳)、92%が女性だ。その構成自体に、20世紀の日本が歩んだ歴史の影の部分がにじみ出ている。そして、えんぴつポスターに書かれた文言にも。
だが、自身在日コリアン三世である金益見は、あくまでもそのポスターに力づけられたということを、前面に出す。
「わかいときべんきょうできなかった。いま夜間中学でべんきょうしてちょっとずつよめてきた。うれしいなあ うれしいなあ」「文字をおぼえて 今までできなかったことが できるように なりました」など、「えんぴつポスター」には、勉強をする、文字を覚えた喜びをストレートに表現した作品が多い。
「学問も人生も気合いしだい」「勉強できるはずなのになぜ出来ぬ」と自らを鼓舞し、「雨がふってもがっこうにいきます 嵐がきてもがっこうをやすみたくありません」と頑張る夜間中学生たちも、時に壁にぶつかる。「勉強はわかいときにすることです としにはかてません」「申し訳ないけど結果的には我が身もたぬ」。
それでも、「学校くるのがたのしみ みんなとあってはなしをきくと 楽しいことつらいこと いろいろあるのがわかる 自分だけじゃないんだ」と知り、「学んでは忘れ 思い出しては書き ぼけるひまがありません」「学べるということは生きるということだと思うこのごろ」と思い定めて、前に向かって進む。
忘れていた学ぶ楽しみ、知る喜びを、「えんぴつポスター」は思い出させてくれる。勉強に年齢はないことを教えてくれ、読む者を励まし、生きる力を与えてくれる。
もとい、「読む者を」ではなく、「見る者を」である。「えんぴつポスター」に書かれた文字そのものが、そして余白もまた、それぞれの思いを見事に表現しているからだ。
『えんぴつポスター』のページをめくりながら、ぼくは確かに力を与えられた。多くの人が、ぼくと同じように、あるいは一人ひとりそれぞれのしかたで、この本から力を貰ってほしいと思った。そして、学ぶことの喜びを、思い出してほしい、と。
ジュンク堂難波店では、四月初旬から、金益見が撮って来てくれた「えんぴつポスター」の写真を壁面展示、五月三日には、金益見トークセッション「やる気とか、元気の出る話〜なんて素敵な「えんぴつポスター」」を開催する。
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