○第128回(2013/5)

 4月におこなった丸善・ジュンク堂書店のホームページのリニューアルにはさまざまな不具合が伴い、スムーズに立ち上げることが出来なかった。具体的な原因についてはよく知らないが、うまくいかなかったことは明らかだった。数日間、ホームページそのものが表示されなくなった。それに伴ってネット通販も一時休止、ぼくたち難波店のスタッフが毎朝時間と戦いながら命がけで(!?)取り組んでいる「お急ぎ便」サービスもストップしてしまった。

 膨大な量の計算式が、実際には膨大な量の電気信号の変化が支えているシステムだから、どこかに不具合が生じ、人間がそれを見逃してしまうことは十分にあり得ることだ。いくつかのビジネスチャンスを逃してしまったのは残念だが、天を仰いでも詮無いことだし、責任の所在を追求するのも生産的ではない。大切なのは、そうなってしまった状況に対処することであり、その状況に学ぶことである。

 冷静になれば、ホームページが無くなってしまい、インターネットを通じた注文が来なくなったことに対処するのは、難しいことでもなんでもない。その新しい状況は、実は古い状況であり、少し前まではホームページもインターネットも存在せず、その中でぼくたちは書店業を営んでいたからである。

 当社のホームページを使って本を検索したり、通販、お急ぎ便などのサービスをご利用下さっていたお客様には、誠に申し訳なく思う。近隣に店舗が無く、通販を利用するほかないお客様から、また、リニューアルして稼働後、動き始めた新システムの使い勝手の悪さに全国から多くの苦情が寄せられたのは、当然のことで、ただただお詫びするしかない。一方、システムのメンテナンスや苦情の対応に追われた該当部署のスタッフにも同情する。

 ただ、われわれ実店舗の人間は、店舗側が利用していた一部のシステムによる商品の補充や客注品の手配などに不便が生じたとしても、そのことに文句を言っても始まらない。ぼくらの仕事は必要とするお客様に本を提供するということで、そのことはIT化が進んでも、「Web〇.〇」になろうとも、全く変わりはないのだ。少し前までは、コンピュータなど無くても、その仕事をやってきたのである。どんな状況にあっても、我々がなすべきは、粛々とその業務を遂行していくことである。それが出来ないというのであれば、我々は機械を使っていたのではなく、機械に使われていたに過ぎないことになる。

 高田明典は、『ネットが社会を破壊する』(リーダーズノート)と叫ぶが、著者の高田もまた、研究者として文献検索などでインターネットの恩恵に浴しているわけで、国立国会図書館や大宅文庫に通うしかなかったかつてと今とでは、隔世の感があると言っている。インターネットは、社会の外にあって社会と対峙・対立しているわけではなく、今や社会の不可欠な一部である。「ネットが社会を破壊する」と言って、取り除くわけには、もはや、いかないのだ。

 もちろん、高田もそのことは十分わかった上で、格差の拡大を推進・加速化する強力な「増幅装置」、更には「汚染装置」、「偏向装置」として働くに至ったインターネットが、間違いなく社会に望ましくない変容をもたらしている事実を認識し、そのことに対蹠すべきだと主張しているのだ。「過度な期待」を止め、「適切な期待」を持ってネットと付き合うことを訴えているのである。そのために必要なのは、reflexive(反射的)にではなく、reflective(反省的)にネットと相対することだ。

 この対立項を、今の我々に引きつけて言えば、reflective(反省的)に、我々の仕事の目的とそのためのプロセスにITシステムがどのように関わっているかを見極め、腑分けし、ITシステムを取り去った時にどのようにすればそのプロセスに支障が起きないかを考えることが、大事である。それは、かつて実際に行っていた作業工程である筈で、ITシステムが使えなくなった時こそ、そのような仕事の腑分けを行うチャンスである。チャンスというよりも、必ずしなければならない。ITシステムがダウンしたからと言って、業務そのものもダウンさせるわけにはいかないからだ。そして、その作業を行うとき、我々の仕事の本質が、明らかになる筈だ。

 「必要なものが必要な場所に適切に届けられ、人間の生きる力が発揮されることが、価値の源泉」と安冨歩は言った(『経済学の船出』NTT出版)。ぼくたちの仕事は、お客様が必要とする書物を、そのお客様に入手させることなのだ。それを更に一般化すれば、仕事とは他者の要望に応えることだ、という内田樹の定義となる。即ち、ぼくたちの仕事には、他者の必要・要望が不可欠な前提となる。だとすれば、他者=お客様の要望を的確につかむことが仕事の第一歩であり、そのためにお客様とコミュニケートすることが、お客様と話すことが、お客様を見ることが何よりも大切な作業である。

 ところが、IT機器を通したコミュニケーションでは、その多くの部分が省かれる。作業を省く事は、販管費の圧縮に繋がるから、一見経営的には望ましいことだが、省かれた作業の中には、本来IT化で代替できない作業が含まれており、しかもそうした作業が商売にとって本質的であり、だからこそ、その省略化は、約20年間に亘る書店・出版業界の売上げの下降をもたらした、結果的には経営的にも望ましくない行き方ではなかったか?

 鬼がいて、金棒があって初めて「鬼に金棒」であるのに、金棒だけが存在感をアピールした21世紀の出版市場が、金棒同士の戦いでは一日の長があるアマゾンを優位に立たせた。ならば、我々にとって今急務なのは、鬼の復活である。お客様と直接相対してコンミュニケ―ションを取る、向こうには無い人的資源としての書店員、その書店員が手をかけ命を吹き込む個々の書店空間こそ、当方の最大の武器であることを忘れぬこと。

 それらが最大の武器であるのは、お客様の要望があって、その後に商売があるからである。その要望は、個々の接客の中でのみ掴むことができる、あるいは個々の接客の中でこそ発生するものだからである。顔を合わせての接客と、お客様が画面上のボタンを押すだけのオーダーとは、コミュニケーションの濃度が違う。違わなければならない。もしもその濃度に違いがなかったら、IT化による作業の省略は、正しいものであったことになる。もしそうであるなら、おそらく、こちらに勝ち目は無い。逆にその濃度に大きな差があるならば、人は城となり、石垣となる。機械が人を、ではなく、人が機械を使うようになる。人が機械の奴隷になるのではなく、機械が人の武器となる。

 丸善・ジュンク堂書店のホームページのリニューアルとシステムの改編は、「打倒アマゾン!」を目指したものだと仄聞する。その意気込みは、初手で躓き大きな痛手を受けたかに見える。だが、皮肉にも、その躓きこそが、逆に「打倒アマゾン!」の可能性を明かした。ITの脆弱さそのものは、アマゾンの場合も同じだからだ。もちろん、ITに関する技術力、メンテナンス、開発力には雲泥の差があるだろうが、IT自体の脆弱さが消えることはない。ホームページが凍結しても、丸善・ジュンク堂の各店舗に、さしたるダメージはなかった。世界最大の通販大手では、そうはいかない。

 連合軍のノルマンディ上陸後のドイツ軍の反撃を描いた映画「バルジ大作戦」のクライマックス。連合軍側の戦車部隊は、性能に大きな差があるドイツ軍の戦車部隊に完膚なきまでに叩きのめされる。そしてロバート=ショー率いるドイツ軍戦車部隊に追いつめられたヘンリー=フォンダやテリー=サバラスら連合軍側の将兵たちはどうしたか?給油所に先回りし、そこから坂道に石油の詰まったドラム缶を人力で転がり落として、給油にやって来たドイツ軍戦車部隊を全滅させてしまったのだ!

 機械が使えなくなったとき、人間の知恵が、人間の力が輝く。




 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)