○第163回(2016/4)

 4月20日(水)、日経BP社の特約店会で上京したぼくは、御茶ノ水駅を出てすぐに出版ニュース社の清田義昭社長に電話をかけた。清田さんは、一つ隣の水道橋駅から神保町方面に少し歩いたところにある喫茶店に来て欲しいと言われた。駅を出なければ良かった、と一瞬思ったが、どうせ神保町まで歩いて行くつもりだったし、御茶ノ水駅から水道橋駅まではさほど遠くはない。中央線の南側の道を、ぼくは歩きはじめた。

 喫茶店の前で、清田さんと共に、緑風出版の高須次郎社長が待っておられた。「お久しぶりです」と挨拶を交わし(高須さんの文章には色々なところで接しているので、全く「お久しぶり」という気がしなかったが)、中に入った。店は昭和を感じさせる喫茶店で、「ゆっくり心いくまで話ができるから」と、清田さんその店を選んだ理由を説明した。軽くランチを済ませ、打ち合わせが始まった。

 5月14日(土)に東京経済大学国分寺キャンパス開催される日本出版学会春季研究発表会で予定されている、午後のワークショップ第一分科会「いま、再販制を考える」の打ち合わせである。この分科会で、高須さんが問題提起者、清田さんが司会者、そしてぼくが討論者を務めることになっていた。

 高須さんは、この3月まで日本出版者協議会(出版協)の代表を(前身の流体協を含めて)12年間務められ、再販制、不公平取引、出版の自由やグーグルブックス問題について歯に衣着せぬ硬派の主張を展開してきた。再販制擁護の立場から、特にアマゾンの値引き、ポイント付与に厳しい目を注ぎ、自社商品の値引きを控えるようにという要請を無視するアマゾンへの出荷停止に踏み切った。再販制こそ、出版物の多様性を確保し、出版文化を支えてきたものという揺るぎない信念の持ち主である。清田さんは、『出版ニュース』で、電子書籍にも再販制が適用されるべきという議論を、数号にわたって展開して来られた。

 ぼくは、1997年に上梓した『書店人のこころ』で、約20ページに亘って再販制について書いている。出版物の再販制の是非を巡る公取との厳しいせめぎ合いの中で、「再販制の弾力的運用」という言葉が生まれ、「時限再販」や「部分再販」の推進が課題となった時代だ。ぼくは、文化論だけでは再販制を擁護し切れないのではないかと思い、通常の需給曲線を描かない出版物の価格の特性から、出版物には経済学がいうところの「市場性」は無く、「賭博性」こそがその本質だと、いささか荒っぽい議論を展開していた。

 それから約20年が経過。そうした議論を経て今日の日本の再販制があることを知らない出版社の人たちも増えてきたと聞く。そんな中、ある意味で外側(外国資本)から、ある意味で内側(書店)から、再販制に挑戦してきているのが、アマゾンなのである。(アマゾンの「本国」アメリカには、再販制は無い。アマゾンから見れば、日本の商慣行の方こそ奇異に映っているのかもしれない。)

 日本の再販売価格維持契約において、自社商品を再販商品とするか否かの決定権は、出版社にある。確かに再販契約を結んでいるアマゾンの、契約を無視するような行為を知りながら、非難や批判の声を上げたり、出荷停止という行動に踏み込まない多くの出版社に対して、高須さんは苛立ちを隠さない。

 14日のワークショップは、もう一人の討論者として、90年代に出版界と渡り合った公正取引委員会(当時)の和泉澤衛さんをお迎えしている。ぼくはこの機会に、あらためて再販制度の意義と問題を論じることができれば、と思う。すなわち、外資が日本の商慣行を尊重しないことを批判する今こそ、その商慣行自体の意義を改めて問い直し、議論を鍛えておかないとならないと思うのである。

 「再販制」ワークショップの打ち合わせを終えたぼくは、日経BP社特約店会の会場である東京ドームホテルに向かった。懇親会終了後の午後7時、今度はぼくが問題提起者となるワークショップ第一分科会2「ジャーナリズムとしての書店業ー情報の送り手にとって「公平性」とは何か」の打ち合わせである。司会の塚本晴二朗先生(日本大学法学部・コミュニケーション学)と討論者の笹田佳宏さん(日本民間放送連盟)が東京ドームホテルまで足を運んでくださり、1時間ばかり打ち合わせをした。

 ぼくが問題提起者を務めるのは、このコラムでも何回か取り上げた「反ヘイト本」フェアへのクレームや MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店での「民主主義」をテーマとしたブックフェアが一時撤去を余儀なくされた攻撃についての具体的な事例報告が、議論の口火を切ることを期待されたからであり、笹田さんがお相手を務めてくださるのは、「電波停止もあり得る」と、恫喝とも言える言葉をはなった高市早苗総務大臣発言や、古舘伊知郎、岸井成格といったリベラル派キャスター、コメンテーターの相次ぐ降板という事態が、放送が出版と同じ問題を共有していることを示しているからだ。言論の自由が脅かされているのである。

 かつて『書店人のしごと』(1991年)で、ブックフェアについて論じた章を「ジャーナリズムとしての書店」と題したぼくとしては、タイトルも登壇者もまさに我が意を得たワークショップである。

 15分間の休憩を挟んで行われるこの2つのワークショップは、テーマに大きな連続性・相関性がある。そもそも我々が再販制を擁護するのは、出版物の多様性を確保するためである。そして出版物の多様性こそが、意見の闘技場(アリーナ)としての書店の存在理由を担保する。そして放送、新聞ジャーナリズムもまた、意見の闘技場(アリーナ)でなくて何であろうか?

 折しも今、ぼくはそうした闘技場(アリーナ)の復活と活性化を強く訴える『書店と民主主義』という本を準備している。

 2つのワークショップに多くの関係者、関心や問題意識を持って下さる人が集まり、ジャンル横断的(クロスオーバー)な議論が活発に飛び交うことを、心から願っている次第である。

 

 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年)