○第162回(2016/3)

 3月21日、ジュンク堂書店千日前店が、20年の歴史に幕を下ろした。最後のその時にぼくも居合わせたが、現在のスタッフはもちろん、かつて働いていたことのある人達が、何人かは目を真っ赤にしながら集まってきていた。そして閉店のアナウンスを聞くと、長く通ってくださっていたお客様がレジの前に列をなし、或いは入口前の広場に何層もなして集まり、皆で名残を惜しんでくださった。

 千日前店が当初「ジュンク堂書店難波店」という名でオープンしたのは1996年。阪神淡路大震災でジュンク堂のほとんどの店舗が一時閉店を余儀なくされた翌年である。翌97年には池袋、仙台に出店。99年当時日本最大の売場面積となった大阪本店出店、2001年には今度は池袋店が2倍に増床し、2千坪の日本最大の書店となる。いわば、ジュンク堂の復興と躍進のシンボルというべき店で、「立ち読み厳禁、座り読み歓迎」「山岳部員、求む」などのユニークなキャッチコピーが話題にもなった。同じ広さのフロアが三階層という非常にバランスのよい店構えと、外から書店内が見渡せる構造を「ベスト」だというジュンク堂スタッフが、今でも多い。社内外の多くの人達がその閉店を惜しむ。

 閉店する千日前店から西に約10分のところに位置する難波店は、千日前店閉店を受けて、3月半ばに大改装を行なった。7年前のオープン時には地下にありその後撤退していたコミックス売場を3階に復活させ、他のジャンルの在庫も減らさないために書棚の半分を嵩上げ更に一部増設、同時にレイアウトを大幅に変更し、約一週間で1100坪の店内のすべての本を移動させた。営業は平常通りで休店も時間短縮も一切なし、昼夜を通した突貫作業という得意の荒技であった。難波店のスタッフはもちろん、昼夜を問わず協力、力を尽くして「大改装」に協力してくださった他店やトーハンなど社内外のすべての人たちには、感謝してもし切れない。

 その大改装の真っ最中、3月12日(土)に、『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の著者岸見一郎先生のトークイベントを開催した。その日店の中がどのような状態になっているか予め想像困難な中での挙行であった。2月の半ばに突然決まった改装だったので、既に予定を変更することも出来なかったのである。

 『嫌われる勇気』は、発売後2年余りで累計100万部を突破したベストセラーである。2013年12月の刊行以来、今もまだ売れ続けている。先ごろ、中公新書『理科系の作文技術』が35年で100万部に達したという報に接したから、その勢いのすごさがわかる。

 確かに、タイトルもいい。簡潔にしてアドラー心理学の神髄を言い表している。だが、実をいうとそのタイトルが、元々ベストセラーを読まないぼくをさらに『嫌われる勇気』から遠ざけていた。ビジネス書を得意とするダイヤモンド社の本。「嫌われる勇気」とは、「嫌われることを恐れることなく、率直に意見をいい、時に上司・先輩を批判し、後輩をしかりつけよ、というビジネスマンの処世訓を言っているのだろうと思っていた。

 一読後、ぼくは著者に本に大変失礼なことをしていたことを思い知った。アドラーはもっとラディカルであった。

“自由とは、他者から嫌われることである”

 多くの人は、他者に好かれようと努力し、他者に好かれているかどうかを最も気にかけている。その傾向は、近年ますます増進している。「いじめ」が蔓延る学校現場や、その世界を鏡のように映し出しているネット空間で、特に顕著といえる。しかし、「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイル」なのである。人間が抱える問題は、ほとんどすべて「対人関係」の問題なのだ。だからこそ、「自由とは、他者から嫌われること」なのである。

 それは、開き直りでも強がりでもない。そのことを明らかにしてくれるのが、アドラー心理学の、より包括的で魅力的な概念「課題の分離」である。「課題の分離」とは、「これは誰の課題なのか?」という観点から、自分の課題と他者の課題とを分離していくことで、それはとても大切な作業である。「およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーによって引き起こされ」るからである。

 誰かが自分を愛することは、「他者の課題」である。だから、どんなに他者に自分を愛してくれるように願っても、働きかけても、それは無駄なのである。自分にできることは、他者を愛することだけだ。「課題の分離」によってこのように思い切ると随分と楽になる。そして、「課題の分離」は、ぼくたち書店人の仕事にも大いに示唆を与えてくれると思った。

 『嫌われる勇気』、そしてトークイベントのきっかけとなったその続編『幸せになる勇気』には、生きるにあたって、仕事をするにあたっての多くのヒントがちりばめられているが、とりわけぼくが魅かれたのは、アドラー心理学には「今」しかないことである。

 ”われわれは、「いま、ここ」にしか生きることができない。われわれの生とは、刹那のなかにしか存在しないのです。”

 師フロイトが、初期の親子関係(母−子と父―子)や幼児体験のトラウマがその後の一生を支配するとしたのとは対照的で、またおそらくこの点でアドラーは師から離れていった。アドラーが提唱するのは、過去に拘泥することなく、自分が自由であることを自覚し、自分の生により責任を持つ生き方である。

 難波店改装中は毎日店の風景が変わっていった。3月12日(土)朝出社すると、カウンターの前が小さな広場のようになっている。前夜、そこに並んでいた書棚を途中で切って短くし、最終的にはメイン通路と文具売場になる予定であったが、文具の什器の組み立てがまだたったため、小さな広場が出来ていたのだった。文字通り、その日だけの広場である。

 ぼくは、「よし、ここでトークをやろう」と決めた。前日までは全く別の場所を想定していたイベントの会場を、その広場に移した。それが、”われわれは、「いま、ここ」にしか生きることができない”と言ったアドラー心理学のトークイベントであるというのが、因縁めいていて面白かった。

 ”われわれは、「いま、ここ」にしか生きることができない”という覚悟は、書店の仕事にとって、とても大切なことだと思う。毎朝届けられる新刊によって書棚は微妙に変化し、毎日変わる読者の関心によって望まれる書店の風景は変化していく。いつもぼくたちは、その時々の「今」をつくっていくしかないのである。

 その時おそらく、過去のデータの集積は、本当は全く無意味なのである。

 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年)