○第191回(2018/8) 『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』(S・ギャロウェイ 東洋経済新報社)がよく売れている。 「GAFA」は、現代のIT業界の巨人、 Google(グーグル)、Apple(アップル)、Facebook(フェイスブック)、 Amazon(アマゾン)の頭文字である。「四騎士」と呼ばれるそれらの企業は、今や全世界の情報・経済を牛耳っているといって過言ではない。 この4つの巨人が巨人たる所以、世界を支配する力の根源を、ギャロウェイは2つの要因で説明する。第一が、「私たちの本能に訴える力」である。 「アマゾンが訴えかけるのは、より多くのものをできるだけ楽に集めようとする我々の狩猟本能」であり、グーグルは、そのこととも深く関連を持つ「知」「情報」を求める本能に訴えかける。
一方、アップルが訴えるのは、「生殖本能」であるという。
どういうことか? 1980年代、アップルは傾きかけた。インテルのチップを内蔵しマイクロソフト・ウィンドウズで走るマシンのほうが、処理速度が速く価格も安かったからだ。ジョブズは、価格面で前を走るライバルを追いかけ追い越そうとはしなかった。むしろ彼は、アップルの製品をより価格の張る贅沢なものとして売り出した。 「より多くのものをできるだけ楽に集めようとする」本能の傍らにある、より贅沢なものを持ちたいという本能に訴えたのだ。人が贅沢品を手に入れたがるのは、「そこから生じる欲望と羨望のなせるわざだ。力を持つ者のほうが、住居、温もり、食物、そしてセックスの相手を手に入れやすい」。 贅沢品を売るためには、贅沢な場所が必要だ。ジョブズは、「明るい照明のもと、店員を呼ぶと若く熱心で“才能あふれる販売員が飛んでくる」「きらびやかな神殿」としてアップルストアを展開した。
四騎士のうち、アップルだけは、その性格を異にする。アップルストアの存在感、売上へのその貢献度を考えると、インターネットへの依存度は、他の三騎士に比べると低い。また、「無料」や「安価」を売りにすることもない。その意味では、既存の企業は、アップルの成功体験こそ、参照すべきだとも言える。消費者のアクセス数や安売り戦略では、三騎士に太刀打ちできるものは、最早いないからだ。消費者を迎え入れる心地よい空間、アップル商品の所持者であり利用者であることによる自負、同じ思考を持つ人たちとの共感、アップルは強固なコミュニティを創設したことによって成功したとも言えるのだ。それは、商業というものの、長きに渡る王道と言っていい。 もう一つの力の根源は、「シンプルで明確なストーリー」である。それによって、四騎士は、巨額の資本を集めることが出来ている。 アマゾンが、設立当初赤字の連続であったにもかかわらず資本を集めてさまざまなイノヴェーションを試行することが出来、それらが後の成功の礎となったことは、よく知られている。 その推進力となったのは、「あなたに必要なものを、速く、安価に提供する」というシンプルな広告であり、それを語るジェフ・ベゾスの「ストーリーテリングの巧みさ」である。 グーグルの「地球上の情報を整理する」というシンプルで説得力のあるビジョンは、多くの投資家の資金をグーグルの株に交換させた。 フェイスブックのビジョンは、「生きるとはシェアすること」という若い世代の信念のもと、「世界をつなぐ」ことである。 スティーブ・ジョブスのプレゼンテーションが明確なビジョンとストーリーテリングの巧みさにおいて特に抜きん出ていたことは、誰しもが知るところだ。 四騎士は、「シンプルで明確なストーリー」を巧みに語ることによって、世界中の人々の本能をターゲットとし、見事にそれを釣り上げたのである。 「本能」とは、人間の概ね無自覚的な本質である。人々は商品を買いながら、情報を検索しながら、友人に発信しながら、知らず知らずのうちに、自分がどのような人間かということを、四騎士に知らしめている。その個人情報の集積こそが、さまざまな「恩恵」を一見「タダで」提供する四騎士の、この上なく価値のある資産である。実際、その資産は、莫大な金額の収入を生み出しているのだ。 GAFAの絶大な支配力を知るにつれて、人々はそのことに気づいた。だが、時すでに遅し。我々は既に、膨大な個人情報をGAFAに提供し、「丸裸」にされてしまっている。そして、そうと分かっても、買い物、検索、情報発信、あらゆる日常行為においてGAFAを空気のように利用している我々は、自らの個人情報の提供を打ち止めにすることは出来なくなってしまっている。 ことここに至って、このスパイラルを止めることが出来るのは、GAFAよりも強い権力である。果たして、EUがとうとう「強権」発動に出た。それが、GDPRである。 4月の終わりに元ワイヤード編集長の若林恵さんが、岩波書店の編集者渡部朝香さんと共に難波店を訪れてくださった。渡部さん編集による若林さんの新著『さよなら、未来』をとても面白く、共感しながら読んでいたぼくは、若林さんと話が弾み、大いに意気投合した。 その後、若林さんが推薦し序文も書いている『さよなら、インターネット』(武邑光裕著 ダイヤモンド社)を、たいへん興味深く読んだ。その本のテーマが、GDPRだった。
5億人の市民を抱えるEUが、世界中の人々の個人データを一部巨大IT企業(GAFA)が独占していることを「市民の基本的人権を脅かす狡猾な搾取である」と咎める法律を、策定したのである。 この状況は、ヨーロッパとアメリカの新たな覇権争いにとどまるものではない。世界全体、人類全体がどのような未来に向かって進んでいくかの決断を迫られているのだ。今や世界中の人々が、GAFAに「個人情報」を提供し、「恩恵」を受けているのだから。 世界中の「個人」は、自らの個人情報を、喜んで「現代の神」に「奉納」しているのだ。 否、「提供/奉納」どころではない。知ではなく本能をターゲットにされた我々は、自分が何を欲しているかを、知らず知らずのうちに、他者に決定されていると言えるかもしれない。我々のプライバシーはもはや、他者のものなのだ。 だから、人々が「現代の神」に差し向ける眼差しは、「畏れ」に満ちたものではない。「満足」、「信頼」に伴われたものである。結果的にスノーデンが告発するような監視世界に生きているとしても、そのことは簡単には揺るがない。
だがEUは、IT巨大企業を相手取るとともに、人々の「満足」「信頼」に果敢に挑んだ。そして既に、「グーグル、フェイスブック、アップルなどを相手どり、莫大な制裁金訴訟を展開している」という。その中心になったのが、アメリカ嫌いのフランスではなく、ドイツ、それも旧東ドイツ出身者だというのが興味深い。彼らは、旧東ドイツの監視国家体制下での生活を、今も忘れないでいるのだ。 IT業界の(ごく一部の企業の)大躍進という直近の四半世紀の潮流と、プライバシーの尊重という、全体国家=監視国家の時代を脱却した(ファシズムの敗退、ソ連の崩壊)近現代の潮流が、いま合流してぶつかり合い、新しい潮目を形成しようとしている。 GDPRは、インターネットを否定するものではない。インターネット以前への退却ではない。むしろ、それは初期インターネットの思想を、再び取り戻そうとしているのだ、と武邑は言う。
それは、IT業界が独占した個人情報の集積を、公共化することを目指しているからである。個人情報を、あくまでも当の個人のものとすることを目指す。
その時重要なのは、その「市民社会」が、対話のある、真のコミュニティであることであろう。軋轢の面倒さを回避するために、面倒なことを例えば「国家」にゆだねてしまうような「コミュニティ」であるならば、元の木阿弥である。 武邑は、言う。
「本を読みたいという人が誰もいなくなり、本を禁止する理由がなくなる社会」の到来が近いことを、もちろんぼくたち書店人は看過できない。 我々は、ハクスリーの「すばらしい新世界」を脱出することが出来るのだろうか? その問いを胸に、ぼくは『GAFA』フェアのラインナップに、『さよならインターネット』、『EU一般データ保護規則』(勁草書房)などのGDPR関連の書目を付け加えた。
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福嶋 聡 (ふくしま
・あきら) |