○第198回(2019/3)

 2019年3月、ジュンク堂書店難波店は、トークづいていた。

 3/2 「当たり前の地獄」からの脱出 深尾葉子×竹端寛 関連書ブックフェア開催
 3/15 「やっぱりいらない東京オリンピック」刊行記念トーク 小笠原博毅×山本敦久
 3/20 若松英輔第3詩集『燃える水滴』(亜紀書房)刊行記念大阪講演 詩と共に生きる  若松英輔
 3/24 北朝鮮の非核化に日本は何をできるか 立岩陽一郎×松竹伸幸
 3/29 『シミュレーション英会話』刊行記念トークイベント 有子山博美
 3/31 「薔薇マークキャンペーン」トーク 朴勝俊×梶谷懐×西郷南海子 関連書ブックフェア開催

 ジュンク堂書店難波店でのトークイベントが6回。さらに福嶋個人としては、蔦屋書店梅田店で2つのトークイベントにも登壇した。

 3/3【読書の学校】『パチンコ産業史』サントリー学芸賞受賞記念トークイベント 韓 載香×福嶋聡
 3/30【読書の学校】これからの書店と愛する本 福嶋聡(ジュンク堂書店)×百々典孝(紀伊國屋書店)×中川和彦(スタンダードブックストア) 聞き手三砂慶 明(梅田 蔦屋書店)  

 1ヶ月で6本は、毎日やっているというというB&Bには比すべくもないが、蔦屋書店での2回を合わせればぼく自身は週2回ペース、ジュンク堂書店難波店でのトークイベント開催がこれまで平均月1本ペースだったことを思えば、とびぬけてイベントの多い月だったといえる(もっとも、3/20、3/29はそれぞれ人文書担当者、語学書担当者に任せ、ぼくはほとんどノータッチ)。

 3月のイベントを振り返る時に改めて感じるのは、神戸の市民社会フォーラムさんの紹介・依頼による「3/24 北朝鮮の非核化に日本は何をできるか」と「3/31 「薔薇マークキャンペーン」トーク」を除けばそれぞれ独立した企画であったにもかかわらず、イベント同士が不思議と通底し、共振していたことだ。

  深尾さんと竹端さんの「当たり前の地獄」からの脱出というテーマは、2020東京オリンピックを成功させることは無条件にいいことだという「当たり前」に、北朝鮮問題はアメリカ主導で行われ、日本としては「拉致問題」解決が交渉の大前提という「当たり前」に、楔を打ち込む姿勢と通底する。「薔薇マークキャンペーン」では、まず財務省のいう「逼迫した財政危機」という「当たり前」に疑問をぶつけるべき、と主張された。韓さんが『パチンコ産業史』を書いた最大の目的は、日本のパチンコ産業の中心が、在日韓国朝鮮人や、暴力団など裏社会の人々の生業であるという「当たり前」を払拭することだった。

 そもそも、本という商品の最大の存在理由が、そうした様々な「当たり前」を検証し、誤り・思い込みを糺すことにある。そうした本という商品を扱う書店現場で開催されるイベントもまた、「当たり前」からの脱出を目指すものであるのは、当然かもしれない。

 出版書店業界で働くぼくたちにとって、3月30日の梅田蔦屋書店でのイベントもまた、「当たり前」からの脱出の試みであった。

 梅田蔦屋書店に、紀伊國屋とジュンク堂、そしてスタンダードブックストアと、それぞれ性格の違う書店の人間が集まり、本や書店について語り合う、その未来を探る。おそらく、異例の試みだ。

 ただ異例であるだけでは、単に奇を衒ったイベントに終わる。三者が語り合うことに意味があり、未来を見据えるヒントがなければならない。その意味とヒントは、会場を提供してくれた蔦屋書店を含めた4つの書店がそれぞれ性格を異にした書店であることが、担保する。

 紀伊國屋書店梅田本店は、世界一の売上を記録した時期もある代表的な量販店。百々さんが回想した、当時売行き良好書を何千冊もストック場に積み上げた風景は、会場を驚愕させた。一方で、ジュンク堂書店は当初から専門書を揃えた「図書館のような書店」を売り物とし、スタンダードブックストアは、中川さんが「自分が行ってみたい書店空間」に拘ってつくりあげた、雑貨と本が混在するユニークな空間が魅力だ。蔦屋書店は、中央にスターバックスなどの店舗を大胆に配置し、本も既存の分類に拘らず、大胆に配架している。

 どれが正解というわけでは無い。本は、他の本とのさまざまな繋がりを持ち、他の本とさまざまに並べられることによって、その魅力を多様に発信する。だから、読者には色々な書店に足を運んでほしい。否、書店側からそのことをことさら言い募らなくても、本好きはそのことをよく知っている。「書店街」の存在がそのことを証している。神田神保町は、日本が世界に誇ることのできる書店街である。

 そして、かつての、京都河原町。

 残念ながら、「かつての」である。トーク本編でも話したが、90年代、大小多くの書店が林立していた時期に比べ、21世紀に入って周囲の書店がどんどん消えていったとき、ジュンク堂書店2店(京都店、京都BAL店)の売上合計は、ライバル店が犇めき合っていた90年代の京都店1店の売上に、決して届かなかったのである。

 ぼくは、気づいた。読者は、必要な本が手に入る確率が高い場所に赴く。未だ知られざる、だがその遭遇が自らの未来を切り拓くかもしれないような本に出会う可能性のある場所に集まる。その確率、可能性は、性格の違う多様な書店があればあるほど高まる。多様な書店が一つの地域に集まっていれば、これほど便利で楽しいことはない。

 ジュンク堂書店池袋本店が成功したのは、お向かいにリブロ池袋本店という名店があったからだ。同じく大型店でありながら、特長を異にする。かつて、リブロの小川道明社長は、「書斎型』の書店と謳った(『棚の思想 メディア革命時代の出版文化』影書房)。それに対してぼくは、ジュンク堂のような「図書館型」の書店も、存在理由があると対抗した(『書店人のしごと』三一書房)。読者は、「何かに出会えるのではないか」と期待して池袋に足を運んで下さったのだ。日がな一日ジュンク堂の1階集中レジカウンターにいたぼくは、多くの人が2店を買い回りしてくださっている様を見ている。求められる本が品切れの時、互いに在庫を確認してお客様に回っていただいたことも多い。だから、2015年7月、リブロが閉店する時、「ライバルがいなくなるから売上があがる」と能天気に言っていたジュンク堂スタッフに、「むしろ、売上が下がることを心配しろ!」と一喝した。

 経営ービジネスの用語で言えば、「問題解決」だろうか。読者は、さまざまな問題を抱えて、書店に足を運ぶ。ぼくが『劇場としての書店』(新評論)と喩えた所以である。店のつくりもそうだが、働いているスタッフは、それ以上に多様である。それぞれに得手不得手がある。本について何もかも知っている、読者の「問題解決」の全てに資することのできる知識と判断力を持っている書店員は、いない。読者の抱える問題について詳しい書店員がいれば、それがたとえライバル店のスタッフであったとしても、相談・紹介すればよい。行動がまず読者の「問題解決」に向かって進むこと、これこそ、これからの書店の存在理由を支える指針だと信じる。
若い頃に与えられた、ある先輩の言葉が、ことあるごとに頭を過ぎる。

 「お前は、何でもかんでも知っている必要はない。ただ、誰が何を知っているかを、よく知っとけ!」

 その「誰」は、社内の仲間や出版社の営業、編集の人、時には著者…、ライバル書店のスタッフでもありえるのだ。

 「その関係のことなら◯◯書店の ◯◯さんが詳しい、その著者とは◯◯さんが親しくされている、そうした関係のことは、◯◯さんがいろんな経験をされている。一度お会いになってはいかがですか、と紹介しあえたら、どんなに楽しいでしょう!」

 トークの中で、ぼくはそのように言った。このことをぼくはよく、「医師の紹介状」という喩えで話す。

 「一番大事なのは、書店を訪れてくださったお客様の〈問題解決〉のために、何ができるかではないでしょうか?」

 そして、さまざまな問題を抱えて書店にやってくる客の問題を一つずつ解決していく作業は、書店の学習・成長を救け、市場を少しずつ広げていく。その結果、書店業全体の顧客を増やすことになる。

 「書店経営は、商業ではなく農業」

 社長として、会長として、紀伊國屋書店のみならず業界全体を牽引した松原治さんは、日本経済新聞出版社の「わたしの履歴書」シリーズの一冊である著書『三つの出会い』の中で、そう言い切っている。

 書店に一朝一夕の成功・繁栄はあり得ない。地道な日々の努力が、長い月日をかけて収穫をもたらすことを、この一言は見事に言い表している。

 大阪の作家が大阪を舞台に書いた小説を、毎年一点「大阪ほんま本大賞」として選び、出版社、取次とも協力しあって大阪じゅうの本屋で販売していくというOBOP(Oosaka Book One Project)という画期的な活動の発案者・牽引者である百々さんは、最後のネックは「社内の面倒臭さ」だったと明かしながら、それをクリアできたのは、書店はすぐに儲けが出るわけではない、種を撒き、それを育て、長い時間をかけて収穫していく農業であるという松原さんの基本思想から来る、紀伊國屋書店の文化への尊重の念であったと述懐する。

 それを受けて、ぼくは言った。

 「土地があって、ある地域に農地が広がっていてそれを分割して使っているのだけれど、その農地の中で、自分の所有する農地だけがよくなる、ということはあり得ない。農地全体がよくならないと、自分のところだけがよくなることなんて、無い。先に言った京都河原町全体の凋落は、そのことを証している。ジュンク堂だけが残って良くなったかといえば、決してそんなことはない。「一人勝ち」などありえない。そこに行けば本があると思うから、人は来てくれる。農地全体の土壌がよくならなければ、自分の地所だけがよくなるなんてことは、ありえないんです」。

 百々さんも、「チェーンは、お金は流れていきますが、文化は流れない。文化を共有しているのは、ライバルでもあるけれども、地元の本屋さん」だと言う。

 紀伊國屋も丸善ジュンク堂も、ナショナルチェーンとして全国に展開している。それぞれに企業文化があり、本部ー各店舗などの社内連携の紐帯がそれぞれのチェーンの強みでもあろう。だが、それだけでは本を売るという文化に膨らみを持たせることはできない。全国に散らばる各店舗が、ライバル書店とその土地の文化を共有し、ともに育んでいくことでこそ、本を売る土壌をより豊かなものに耕していくことができるのである。チェーンが縦糸であるならば、土地の文化は横糸である。縦横の糸を織り合わせる作業にこそ、そうした作業が実はこれまで殆どなされて来なかったことを鑑みても、本を売るという生業を存続・発展させる可能性が孕まれていると、ぼくは思う。

 

追記 イベント後、4月8日をもって、スタンダードブックストアは閉店した。イベント時に閉店は決まっていたし、イベント参加者もそのことを知っていた。それにも関わらず中川さんがトークに参加してくれたのは、彼が決して、終わってはいないからだ。

 

 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年) 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)