○第197回(2019/2)

 2月16日(土)、フランス文学研究者白石嘉治さんとアナキズム研究者栗原康さんをジュンク堂書店難波店にお迎えし、トークセッション「野蛮(アナーキー)のススメ」を開催した。このトークセッションは、お二人の対談本『文明の恐怖に直面したときに読む本』(Pヴァイン)、栗原さんの『アナキズム』(岩波新書)刊行記念トークである。

 栗原さんは、昨年2018年に、6冊の編著書(共著を含む)を精力的に上梓、一方の白石さんは、著書としては2010年の『不純なる教養』(青土社)以来となるが、その間も、『HAPAX』などに刺激的な論考を発表している。

 白石さんとは、ぼくが池袋本店時代に親しくさせていただき、ぼくが大阪に転勤したあとも、『不純なる教養』のトークイベントを大阪本店でやっていただき、東京でお会いしたりしてきた。実は昨年秋、図書館大会に参加した際、大会前夜から東京入りして白石さんと会う約束をしていたのだが、新幹線姫路駅で発生した人身事故のため、新大阪駅で2時間以上足止めをくらって、東京入り出来たときには日付が変わっており、再会を果たせなかった。そんな経緯もあり、その後今回のトークイベントの開催が決まったとき、ぼくは換気雀躍した。白石さんには、今どうしても訊きたいことがあったからだ。

 白石さんは、2000年代の初めから、国際条約によって実施を義務付けられているはずの大学の無料化(今回のトークイベントのお相手、栗原さんには、『学生に賃金を』(新評論)という著書もある)を訴え、ベーシックインカムの導入についても、強く主張してきた。『ネオリベ現代生活批判序説』(新評論 2005)でも、ベーシックインカムの必要性について論じている。

 一方、このコラムでも再三批判してきたように、その頃は歯牙にもかけなかった経済学者たちや落合陽一、堀江貴文といった書き手たちが、最近AIの進化と絡めてベーシックインカムの導入必至を書き立てている。そのことを、白石さんはどう受け止めているのか? それを、早くからベーシックインカムの導入を主張してきた白石さんに、何より訊きたいことであった。

 トークは、白石さんが、昨年末に始まったフランスの「黄色いベスト運動」Mouvement des Gilets jaunesを熱っぽく語り始め、「これは230年後のフランス革命だ!」と宣言して始まった。トークが「刊行記念」と冠した白石・栗原著『文明の恐怖に直面したときに読む本』でも白石さんが繰り返し言っている「歴史的同時性」の発現であると言える。そして『文明の恐怖に…』同様、肝胆相照らすお二人の、丁々発止の対談が展開され、会場は熱気に包まれた。

 最後の質問コーナーで、ぼくは「席亭でありながら申し訳ないのですが」と、件の問を白石さんにぶつけた。

 “最近、井上智洋ほかの経済学者が、また落合陽一やホリエモンが「早晩、AIが人間の仕事の多くを代替する時代が来る。そうなっても、AIが人間の代わりに労働し、資金を稼いでくれるからベーシックインカムが可能になる。だから、AIに職を奪われた人間が困ることはない」と、ここに来てベーシックインカム必然論を打ち上げていますが、早くからベーシックインカムの実現を主張しておられた白石さんは、どう感じておられますか?少なくとも多くの経済学者たちは、白石さんたちがベーシックインカムについて論じていた当初、それを歯牙にもかけなかったと記憶していますが”

 事前打ち合わせの無い突然の質問であったこともあって、白石さんは暫し考える時間を持ってから、ハッキリと答えた。

“AIだとかITだとかの進化が理由で、その他どのような理由であっても、「〜だから、ベーシックインカムを」という発想は、ベーシックインカムにはそぐわないと思います。”

 『ベーシックインカム入門』(光文社新書)などの著書があり、やはり早くからベーシックインカムを日本に紹介してきた山森亮は、『お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?』(光文社新書)で、ベーシックインカムを「人が生活していくためのお金は、無条件に保障されるべきであるという考え方」であるという。

 その本の共著者の一人で、ベーシックインカム導入をテーマにスイスで国民投票を実現させたエノ・シュミットも、特定の条件下でベーシックインカムが支払われるのではなく、「人権としてベーシックインカムを考える、私たちが存在することを無条件に肯定する」ことから始まり、無条件のベーシックインカムの核心は、「それが新しい考え方とかモデルとかいうことにあるのではなく、根底にあるのは人間への理解であり、自分自身をよく理解すること」だという。

 “皆さんは、今後、ロボットや人工知能が急速に発達し、それにともなって多くの人が失職の憂き目に遭うから、こうした時代を生きるための受け皿としてベーシックインカムがあるという議論を聞かれたり、そのように考えてこられた方もいるかと思います。

 ですけれども、無条件のベーシックインカムというのは、実はそれよりももっと深い意味を持っています。無条件のベーシックインカムは、まず、人間とは何か、また、私たちが無条件に収入を得ることができれば、私たちは社会のために何をすることができるのかーそれを考えることが基本的な出発点なのです。”

 ロボットや人工知能が発達していくからではない。多くの人が失職するからではない。人間が生きていくことは無条件に肯定ー保障されなければならないということがベーシックインカムの思想なのである。何度も出て来る「無条件」こそが、その本質なのだ。最近になってベーシックインカムを言挙げし始めた経済学者たちが、AIーITの進化→大量の失業→ベーシックインカムによる補填という図式を掲げるの決定的な違いが、ここにある。

 『お金のために…』のもう一人の共著者で、建築の研究者であり建築家でもある山口純は、「貨幣価値のような画一の基準で「得をする」ことを求めるのではなく、対話を楽しむような態度への転換」を目指し、「オルタナティブな社会のあり方を模索する場」として、京都で「本町エスコーラ」という場所を、仲間とともに運営している。「本町エスコーラ」は、路地裏の8軒の長屋と広場からなり、住居、アトリエ、オフィス、コミュニティ・スペースとして使われている。

 その山口が、次のように言う。

 “技術的な進歩によって生産性が上がったから、特にこれからはAIが代わりにいろいろしてくれるから、労働者があまりいらなくなる、だからベーシックインカムが必要になるという考えがあります。

 しかし、現在の生産性の向上は自然からの搾取に基いているので、持続可能なものではありません。自然環境から持続可能な形で贈与をもらうためには、自然との対話的な関係が必要であるように思います。つまり、自然を人間の思い通りにコントロールしようとするのではなく、人間の意図を超えるものであることを受け入れて、その予想外の反応に丁寧に応答していくことです。そのためにAIを使うことができるとしても、AIに任せきりにはできないでしょう。この仕事もまた、大事だけれどあまりお金にならない仕事であり、ベーシックインカムによって可能になるところは多いはずです。”

 「本町エスコーラ」は、仕事=賃労働という概念枠を突き破ろうとする実践なのだ。そのために、山口はベーシックインカムの導入を要請する。ベーシックインカムは、AIによって奪われる仕事の代替物ではない。今人々がAIによって奪われることを恐れる仕事=賃労働には、実は不要なものも多い。公的機関、私企業を問わず官僚制のもとにあり官僚性を支える仕事は、人間が生きるにあたって本当に必要だと言い切れるだろうか?

 ベーシックインカムは賃労働に依存する社会と個人をその依存状態から解放し、「大事だけれどあまり、お金にならない仕事」に向かわせるのだ。そうした仕事には、イリイチがいう「シャドウ・ワーク」、家事労働、介護労働なども含まれるだろう。今日のさまざまな問題の解決の為にも、そうなった方が望ましく、社会全体の効率性も上がっていくと思われる。

 ベーシックインカムについて論じるとき、「財源はどうするのだ?」ということがいつも問題になるが、エノ・シュミットは、「私たちは収入なしで生活出来ないけれども、私達が生活しているということは、そのような基本的な収入(ベーシックインカム)は、すでに手にしているということ」と、サラリと言ってのける。確かに、ぼくたちが現に生きているということは、生きていくために必要な資源は、足りているのだ。問題は、その資源が偏在しているということ。お金を持っている人にしか供給されないということ。全員が生存に必要な資源を入手するためのお金を与えられたら、偏在の問題は解決する。その時、必要なものが必要な人に与えられる社会的な効率が向上し、必要経費=労苦は、その分だけ少なくなっていくだろう。

 今生きている人々全体に対して、必要経費はすでに足りている、この観点がベーシックインカムを社会保障や慈善から区別する。言い換えれば、ベーシックインカムをすべての人の権利とする。それゆえ、落合陽一が「AI+BI」型の人たちと区別する「AI+VC」型の人たちにも、当然ベーシックインカムは支給されなければならない。そのことにより、「AI+VC」型の人たちの優位・指導性も、「AI+BI」型の人たちのスティグマも消失し、真のコミュニティが形成される。「下町エスコーラ」という空間は、おそらくそうしたコミュニティを具現する実験なのだ。

 山口純は、「資本主義が市場における交換を重視する一方で、再分配を重視するのが社会主義で、互酬を重視するのがアナキズムだ」と言う。必要なものが必要な人に、容易にかつ十分に与えられるベーシックインカムの根底にあるのは、互酬の原理である。白石さんや栗原さんがベーシックインカムに親和的なのも、当然だといえる。

 「哲学ではなく、文学なんだ」。本編でも二次会でも、白石さんは繰り返しこう言っていた。この言葉は、白石さんのいう「歴史的同時性」、具体的には「『黄色いベスト運動』Mouvement des Gilets jaunesはフランス革命だ」という見立てと通底する。この見立ては、2世紀余り前にフランス革命があったから、今「黄色いベスト運動」があるのだ、というような因果性による説明ではない。「黄色いベスト運動」は、いきなり出来したのだ。その出来事が、21世紀のフランス革命なのだ。「歴史的同時性」は、行為が動機に先行する、因果関係とは無縁な概念なのである。だから、それは歴史学や哲学の枠内には決して収まらない。読むものの思考や感情を揺り動かし、時にそれを全面的に刷新してしまう文学的な出来事なのである。

 AIやITが更なる進化を遂げる、多くの労働者が仕事を失う、だからベーシックインカムが要請され、かつ実現可能になる。そうした「〜だから、ベーシックインカムを」という因果的な説明は、ベーシックインカムには不要だ。そうした説明はおそらくベーシックインカムをいびつなものにしてしまう。すべての人間の生存の権利を無条件に保証する、フランス革命との「歴史的同時性」を孕んだ「もう一つの(オルタナティブ)世界」の突然の出来と、それによる世界の刷新こそが、ベーシックインカムにふさわしいのである。

 


 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年) 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)