○第209回(2020/7)「書店=言論のアリーナ」論再考――石川義正『政治的動物』を読む

 突然、衝撃がぼくを襲った。

 石川義正の『政治的動物』(河出書房新社、2020年)を読み進んでいる時である。

 石川義正という書き手については、不勉強ながらよく知らなかった。この本を読み始めたのは、真っ黒の地に囲まれた四角い白地に記されたタイトルと著者名が目に飛び込んでくる、――面出し平積みすればすぐに探し出せるという意味で――ぼくら書店員にとっては理想的な装幀(奥付を見ると、ADとして、菊地信義の一番弟子である、水戸部功の名が記されていた。やはり……!)に付された推薦文に惹かれてのことだった。

“傑出した思考の自由度と知的領域の広さ――。インパクトのある書き手が現れたことを喜びたい。――大澤真幸”

 「傑出した思考の自由度と知的領域の広さ」は、大澤にこそ相応しい賛辞である。その大澤が絶賛するのだから、石川義正は只者ではないに違いない。そう思って読み始めると、その予想が間違いでなかったことがすぐに分かった。タイトルからすぐに連想されるアリストテレスから現代のデリダ、ジジェクまで、石川が古今の哲学者を参照していること、その一方で、多くの文学作品も読み込み、理論建ての材料にしていることが、文章から滲み出していたからだ。

 だが、ぼくは、そうした石川の「凄さ」に衝撃を受けたのではない。そのような「凄さ」を持つ書き手には、大澤真幸をはじめとして、ぼくは既に何人もと出会っているからだ。

「安全地帯」から語ることの「グロテスクな残虐さ」

 衝撃は、本書の序章にあたる「二〇一七年の放浪者(トランプス)」で、石川が柄谷行人『坂口安吾論』(インスクリプト、2017年)を論じている次の箇所を読んでいる時に訪れた。

“このように見いだされた安吾のファルスは、すでに政治的なものが放棄されている大衆消費社会のシニシズムとほとんど区別がつかない。わたしたちは現在でも安吾を違和感なく読むことができるが、それは安吾とわたしたちに共通するシニシズムによってである。対象からの距離を保証する崇高は大衆消費社会における倫理の代用品となったのであり、安吾の「評価が高まったのは、むしろ(一九)八〇年代後半からである」(柄谷)という事実はそのことを意味している。”(『政治的動物』P29)

 衝撃のあと、軽い鬱が、ぼくを覆った。

 安吾とぼくたちのシニシズムの共通性にショックを受けたわけではない。平成期のシニシズムを論じるものは、北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHK出版、2005年)ほかいくつもあるが、それらの議論の多くが含むシニシズムの全否定ではない両義的な評価を、ぼくも共有している。

 ぼくにショックを与えたのは、「対象からの距離を保証する崇高」である。 「我々が安全な場所に居さえすれば、その眺めが見る眼に恐ろしいものであればあるほど、これらの光景は我々の心をひきつけずにおかない」。

 カントの『判断力批判』を引いたあと、石川は、言う。

“読者=批評家は作品を前にして無力で無能な存在にすぎないが、にもかかわらずかれらのよって立つ安全地帯は作品の崇高さを理解する自由を確保するために必須の足場なのだ。こうした読むことの倫理の存在は柄谷以降の若い批評家たちにかれらのアイデンティティを保証する結果となった。”(同P28)

 石川は、安吾と、安吾を論じる柄谷、そして柄谷らに続く批評家たちが「安全地帯」から書いていることを指摘する。そして、続ける。

“しかし安吾がエッセイ「特攻隊に捧ぐ」で特攻隊を「可憐な花」かつ「崇高な偉業」と記しているように、たとえそれがアイロニーであったとしても安吾自身はもはや戦争で死ぬことがありえない――超越論的と形容しうる――場所から語っていたのであり、そのような視点のありかそれ自体がすでにグロテスクな残虐さに汚染されているのである。”(同P27-8)

「グロテスクな残虐さ」という言葉は、石川が、安吾や柄谷、「若い批評家たち」が「超越論的と形容しうる場所」に拠って立つことを、(断罪とまではいわないまでも)強く批判していることを明らかにしている。

 返す刀は、現代の日本文学を代表する村上春樹にも振り下ろされる。『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社、1994年)のシベリア抑留と『騎士団長殺し』(新潮社、2017年)の南京事件の扱い方の差を取り上げ、石川は次のように言う。

“端的にいって村上には日本人が被害者とされるシベリア抑留を直接的に描くことはできても、日本人が加害者である場合にはそれができない。この点では村上に手の届く想像力は、いかにも戦後民主主義的な自閉した圏域にとどまっているというしかない。”(同P34)

書店は「安全地帯」にすぎない?

 「作家:作品の対象」と「読者(批評家):作品」はパラレルである。読者もまた作家同様(おそらく作家以上に)「安全地帯」の中にいる。それが、作品が生み出され、読書が成立し、作品の崇高さが認められるための条件なのだ。作品の対象の選び方・描き方が作家の、本というメディアそのものが読者の、それぞれ「安全地帯」の防護壁なのである。対象を作家の防護壁が囲み、その更に周りを読者の防護壁が囲む。その場所が安全であればあるほど、防護壁が厚ければ厚いほど、対象との距離は大きくなる。

 ならば、われわれ書店員は、その更に外側にいて「安全に」守られ、その分対象との距離が極めて大きなものになってしまっているのではないのか?

 ぼくに衝撃を与え、鬱をもたらしたのは、その図式である。作家、批評家、読者、書店員の順に安全度が高くなり、防護壁が厚くなり、対象との距離が大きくなっていくならば、本は、書店は、「言論のアリーナ」にはなりえないのではないか? 書店員が「闘技」に加わっていくことなど、夢想に過ぎないのではないか?

 およそ10年前の東日本大震災の時、ぼくたちの多くは見たことの無い津波が東北地方の町を襲うさまを、テレビの画面を通じて目にした。「安全地帯」にいたぼくたちは、津波に追われて逃げ続けている人たちに襲いかかる自然の猛威に、「崇高」を感じていたのではなかったか?

 「崇高は、どう見ても不快でしかなく構想力の限界を越えた対象に対して、それを乗り越える主観の能動性がもたらす快である。カントによれば、崇高は、対象にあるのではなく、感性的な有限性を乗り越える理性の無限性にある」(柄谷行人『坂口安吾論』インスクリプト)(『政治的動物』P21)という言葉は、むしろ「理性の無限性」のグロテスクさを語っているのではないのか?

 読書体験においても、ぼくたちは、「どう見ても不快でしかなく構想力の限界を越えた対象」を経験する。それを「崇高」と見ないとしても、普段体験しないそうした対象と本を通して接することで、その対象について知り、考え、意見を持ち、時にはそのことについて発信する。そうしたプロセスの場となることを、ぼくは「書店」という場の価値であり存在理由だと主張してきた。それが、「言論のアリーナとしての書店」だと思ってきた。

 だが、その「アリーナ」で繰り広げられる「闘技」が、何重もの防御壁で守られた疑似闘技に過ぎないとしたら。

 ぼくは、「ヘイトスピーチ」や「ヘイト本」について本で読み、更に戦後日本の「在日」差別の歴史も本から学び、書評などの形でそれらについてコメントしてきた。あるいは、辺野古基地の建設や、沖縄に米軍基地が集中している理不尽について学び、トークイベントを開催した。だが、「カウンターデモ」に参加したわけでも、基地建設地の座り込みに参加したわけでもない。書店での、そして本を媒介しての活動や発信は、防御壁に囲まれた「安全地帯」からのものに過ぎなかったのではないか?

 ここまで書いて、我に返る。何なんだ、この弱気の虫は? これでは、自分が長い間やってきたこと、のみならず、数多くの本の書き手、本のつくり手に対する裏切りではないか?

 むしろ、この衝撃を、大事にしようと思った。

「安全地帯」からできることはないか――思想や学問の揺籃器としての書店

 一人の人間に出来ることには、限りがある。まずは、そのことを自覚しよう。それゆえにこそ、バトンを誰かに渡すべく、人は言葉を発し、文章を書くのだ。言葉の力を、言葉を届ける本の力を、その本を運ぶ仕事の意義を信じよう。メッセージは必ず誰かに届く。『政治的動物』という本がぼくをここまで追い込んだことが、そのことを証している。

 本は、人びとの心に種を撒く。岩波茂雄が出版社を興すときのシンボルマークに「種蒔く人」を選んだのは、まさに慧眼である。種は静かに育ち、いつか実を結ぶ。その実がまた芽をふかせる。

 さまざまな本がある。多様な考え方がある。人は、そこから本を選ぶ。あるいは、本に選ばれる。「安全地帯」であるからこそ、武装していない人でも「選びの場」に入ることができる。

 思想や学問の揺籃器として、本のある場所は、「安全地帯」でなくてはならないのだ。ここでいう「安全地帯」とは、「危険」なものが無い場という意味ではない。「危険」なものにとっても、「安全」な居場所であるという意味である。それが、ぼくの「書店=言論のアリーナ」論である。

 揺籃器といえば、本書の別の箇所で、石川は日本の近代文学史を、ちょっと面白い視点から見ている。まず石川は、平山洋介『都市の条件――住まい、人生、社会持続』(NTT出版、2011年)の次の文章に着目する。 “高度成長期の大都市は、拡大し続けた。そこに流入する低所得の若年人口を受け止めたのは、おもに木造アパートであった。その家主は、地価に見合う家賃を設定していないという意味において、借家人に「補助金」を供与していた。”

 平山は、高度経済成長期、公営住宅の建設がその需要にまったく追いつかなかった中で、民営借家の家主が「低質ではあるが、低所得者が入居可能な場所をつくっていた」ことを、「補助金」と表現しているのだ(『都市の条件』P44-5)。

 それを受けて、石川は次のように続ける。

“これが明治期以来の「民営借家」の慣行であったとしたら、二葉亭四迷『浮雲』(1889年)や夏目漱石『こころ』(1914年)に代表される日本近代文学もまた、つまるところ家主の「補助金」によって成立していた、と断定してもよいはずなのだ。” (『政治的動物』P76)

“要するに民営借家の家主が安い家賃を通じて作家に「補助金」を与え、文芸誌を刊行してきたといっても決して大げさではない。……「投資と利回りの関係をほとんど意識せず、収支計画さえもっていなかった」零細家主によるオイディプス的な善意(パターナリズム)が日本近代文学の育まれる素地となったといってもいいのである。”(同P77)

 思想や文学が生まれ、育っていくには、さまざまな意味での揺籃器=場所が必要なのである。

 
 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年) 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)