○第208回(2020/5) (承前) 「行動する保守」の女性たちとフェミニズム活動家、「ヘイト派」と「アンチ・ヘイト派」が同じ「アゴーン」に立って議論を交わし、いわば弁証法的止揚を実現する。その結果、和解から連帯へと進む。 何を夢物語みたいなことを、と言われるかもしれない。確かに、互いを排除し合う現状を見れば、そう言われても仕方がないかもしれない。だが、およそ実現不可能に思われる「狭き門」の可能性の端緒を、前回のコラムでは述べたつもりだ。 では、実際に同じ「アゴーン」に乗ったあと、それが生産的な結果を生むための条件は、言い換えれば、「戦う」ためのルールはいかなるものであるか、次に必要なのは、そのことの探究であろう。 「戦う」とは言え、「アゴーン」は「戦場」ではない。「競技場」である。「競技」である限り「ルール」がある。議論という「競技」において、何を措いても守らねばならないルールは、「相手の言うことを聴く」ことであろう。 「聴く」ことには、無論、「理解する」ことが伴わなければならない。それは、相手の意見に賛同できないときも、否そうであるときには尚更、大切なことである。 ものごとを真の名で呼ぶことと、その困難 ものごとを真の名で呼ぶことと、その困難 レベッカ・ソルニットは、『それを、真の名で呼ぶならば――危機の時代と言葉の力』(岩波書店、2020年)で、次のように述べている。 “理想的な知的交流においては、意見の相違はライバルを叩きのめすことを意味するのではなく提案の構造を強化することであり、分析を意味する。概して同意しているが、具体的に解決しなければならないことがある人たちとするもので、その作業は喜びともなりうる。”(P97-8) ソルニットは、本書の目的を「ものごとを真の名で呼ぶこと」であると書き起こしている。「言葉に関して注意深く、正確であることは、意味の崩壊に対抗し、希望と展望を植えつけるべき愛すべきコミュニティとの対話を勇気づける一つの手段であるからだ。(P7) 「物事に名前をつける」のは、「おとぎ話で、魔法を解く」呪文のように、「解放の過程の第一歩」となる。(P7) “そのものを真の名で呼ぶことにより、わたしたちはようやく優先すべきことや価値について本当の対話を始めることができる”。(P108) ソルニットが言う「優先すべきことや価値について本当の対話」こそ、今ぼくたちが目指している「アゴニズム」ではないか。だとすれば、「真の名」がその成立条件の一つであることは、自明であるだろう。 それは、先に挙げたルール「相手の言うことを聴く」時に、相手がその語を、どんな意味で使っているのか、翻って自分はその語にどんな意味を纏わせているのかを検証し、それが「真の名」であるためにはどのような意味を確定しなくてはならないかを、議論していくことであると思う。 今その可能性を模索している「行動する保守」の女性たちとフェミニズム活動家、「ヘイト派」と「アンチ・ヘイト派」との「対話」においても、それぞれが「人種」「国籍」「国家」、「植民地」、「従軍慰安婦」、「徴用工」などの語をどのような意味で使っているのか、そして、それらの語には、本来どのような意味を纏わせるべきかを、率直に議論することが求められよう。そうした議論は、「人権」「正義」といった、一見自明に思われる語についても、否そうであればこそ、より慎重に、徹底的になされなければならないと思う。言葉は、事実を表し、伝える一方、事実を捻じ曲げ、隠蔽する働きをも担いうるものだからだ。ソルニットも、「蛮行に抵抗する革命は、蛮行を隠す言葉に抵抗する革命から始まる」(P108)と言う。それゆえ、「そのものを真の名で呼ぶこと」が大切なのである。 それは決して容易なことではない。「真の名」が安易に獲得できると思うことは、逆に重要な事実を隠蔽してしまう。ソルニットは「アメリカ・ファースト」を叫ぶトランプ大統領が、明らかに「裕福な白人」だけを「アメリカ」という名に纏わせること欺瞞を痛烈に批判する。 “裕福な白人のニューヨークは、この市の小さな一切れでしかありません。それ以外に、何千もの生き方や働き方、何百もの言語、何十もの宗教をもつ、1000のニューヨークがあり、それらすべてが毎日、地下鉄のプラットフォームや街角や公園や病院やキッチンや公立学校で混じり合うのです”(P182) そして、クイーンズの「御殿」から世界を見下ろすトランプに、次の言葉を突きつける。 “[ニューヨークで話されていると言われる]800の言語のほとんどを耳にするのが、市のこのあたりです”(P178) トランプには、脚下の現実が、まったく見えていないのである。 ソルニットがトランプに突きつけた「言語の多様性」の事実は、人びとが「真の名」を共有することの困難を結果するように思われるかもしれない。 言語の違いは、実際に議論・対話にとっての障壁にもなる。前回書いた「感情」について言っても、それぞれの言語が持つ発音体系や語調、声の大きさの違いが、不快感をもたらすことがあることは、否定できない。 だが、互いの主張、語彙に纏わせる意味を乗り越えるのと並行して、言語の違いも乗り越えることが、そしてそれが可能であるという信念が、より豊かな議論=「闘技」を生み出すことになるのだと思う。 “普通のニューヨーカーたちは、外に出かけていって混じり合うので、違いを持ちながらのこの共存は、真の民主的精神のための美しい基盤です。それは、お互いを信頼し合い、公共の場で混じり合うことで文字通り(そして比喩的にも)共通の土台を見つけられるという信念です”(P183) 約めていえば、「違いを持ちながらの共存が、民主的精神のための基盤」だと、ソルニットは言うのである。ぼくが共感する、「民主主義とは、たくさんの、異なった意見や感覚や習慣を持った人たちが、一つの場所で一緒になっていくためのシステム」という高橋源一郎の定義とも重なる。ぼくが「アゴニズム」に共感し、それが実現するための可能性をここで論じている所以でもある。 言語の多様性を問う 言語の多様性に光を当て、改めてその重要性を説くのが、かつて『誘惑論』(1991年、新曜社)で注目され、その頃からぼく自身も親交のある立川健二が、『ポストナショナリズムの精神』(2000年、現代書館)以来20年刊の沈黙を破って上梓した『言語の復権のために』(2020年、論創社)である。 20年ぶりの著作で立川は、前著よりさらに遡って言語学・記号論に立ち返ることを逡巡したというが、ソシュール、イェルムスレウ、丸山圭三郎という立川の〈原点〉を〈拠点〉とするべく本書が編まれたことは、立川自身にも、我々読者にとっても、大変幸運なことだったと言える。人びとの間から議論・対話がなくなり、民主主義の基盤がどんどん脆くなっていく今日、言語の多様性に改めて注目する立川の議論は、とても貴重なものだからである。 “20世紀の言語学と文化人類学がもたらした重要な認識に、言語と文化の一体性ということがあります。すべての言語・文化は独自の構造をもっている。そしてそれらのあいだに優劣はなく対等である、と。”(P26) これは明らかに20世紀の一大思想潮流、「構造主義」の知見である。「構造主義」は、ソシュールが言語の恣意性を発見したことを、源泉とする。やがて「構造主義」は、言語の恣意性そのものを主題とし、記号体系や社会構造の恣意性を見出しながら、文化の多様性の考察から、言語一般、文化一般の構造分析へと抽象化されていく。しかしそもそも、構造主義の祖ソシュールも、独自の文化記号論を構築した立川の師・丸山圭三郎も、いくつもの言語に通暁した言語学者だったのであり、さまざまな言語についての膨大な知識こそが、彼らの哲学的営為を深めていったのである。 なぜ、言語はかくも多様なのだろう? 神は、なぜ「バベルの塔」を破壊したのか? おそらく、アフリカの一地域から全地球へと移動していった人びとが辿り着いた環境が、多様であったからであろう。異なった環境に生きるための道具である言語もまた、多様なものでなければならなかったのではないか。言語の多様性は、環境の多様性を写す鏡であるだけではなく、環境と人間の生の相互作用の多様性の結果でもある。同じような自然現象を表す語彙数に、言語によって著しい差異があるのが、その証左であろう。 先にもいったように、言語の多様性は、軋轢や対立、差別的感情を生み出す源泉ともなる。意味を理解できない言葉で思いを語られても、うるさいだけで、否定的な感情しか生まれない。人間の共生のための最大の武器である言葉は、対立や争いの武器でもある。 だが、言語の多様性は議論を生み出す豊穣な源泉であり、「理解できない言葉」を理解できるようになることは、相互理解への大きな(唯一の?)一歩である。 言語の多様性による軋轢を相互理解へと変換するために必要なこと。それは、先に挙げた立川の一言に尽きると思う。 「それらのあいだに優劣はなく対等である」。 そのことを理解することは、また、新たな発見への第一歩でもある。 ぼくらは誰もが学生時代、日本語には無い外国語の文法体系などに苦しめられた。 「何のために、全部の名詞に性別があるんや? 中性って何や?」(ドイツ語) 「複合過去、半過去、大過去、前過去て、何で、過去にこんなに種類があるんや? 過去は過去やろう?」(フランス語) だが、はじめはまったく馴染めなかった外国語に、苦労しながら少しずつ馴染んでいくと、それまで考えられなかった世界や時間の切り分け方が、入ってくるのだ。 とはいえ、現在世界では7000以上の言語が使われているという。各国の公用語だけでも、すべてに通じるのは難しい。やはり言語の多様性は、コミュニケーションを豊穣なものにするというより、コミュニケーションを阻害するというべきか? 補助線としての言語 立川は、そこに補助線を引く。それは、まさに補助線としての言語――国際共通語、媒介語である。 立川は、前著『ポストナショナリズムの精神』以来20年ぶりの、記念すべき復活の書の最後に「愛の言語思想家、ザメンホフ」を配している(ぼくは、この配置に、長いインターバルを経てなお、立川の思考が、前著との連続性を持っていることを感じる)。 ザメンホフは、国際共通語エスペラントの創造者である。人類の共通語を目指したエスペラントを、北一輝や宮澤賢治も評価した。だが、今日なおエスペラントを勉強している人たちはいるにはせよ、エスペラントが人類の共通語の地位を獲得したわけではない。おそらく、 今後も、その可能性はゼロに近い。 だが、立川は、エスペラントがどれだけ使われるかではなく、創造者ザメンホフがエスペラントを構想した動機=思想にこそ注目すべきだと言う。 それは、「すべての人びとが同じ言語を話す単一言語状況を作り出すのではなく、多言語状況をそのまま肯定しつつ、異質な言語共同体間のディスコミュニケーションにより惹起されるさまざまな構想を解消するために、共通のコミュニケーションの土台を設定する」(P282)ことである。 中世ヨーロッパの国際共通語は、ラテン語だった。それは、宗教的≒学問的権力に独占され、決して中世に生きる多くの人びとに共有されたものではなかったかもしれないが、残された著作がほぼラテン語で書かれていることは、確かだ。 17世紀から18世紀にかけて、その地位を占めたのはフランス語だった。その力が遠くロシアにも及んでいたことを、トルストイらのロシア文学に親しんだ人はよくご存知だろう。面白いのは、フランス語が国際共通語であったのは、それがフランス革命までの時期であることだ。すなわち、「「フランス人」というネイションと結びついていなかったときにこそ、フランス語はインターナショナルな、すなわちネイション間のコミュニケーションに用いられたのである」(P253-4)。 つまり、国際共通語としてのフランス語は、ナショナリズム的、帝国主義的な支配者の言語ではなかった。ヴォラピュック(1879)、エスペラント(1887)、イド(1907)といった人工言語が同時期に矢継ぎ早に生まれたのは、そうした媒介語としてのフランス語の跡を継ごうとしたからなのだ。 今日の世界で国際共通語と呼べるものが英語であることに、異論はないだろう。日本では今年、小学校からの英語教育が開始された。英語を使えない者は、グローバリゼーションの時代を生きていけないとも喧伝され、「英語帝国主義」の到来や日本語の衰亡を懸念する声も小さくない。 だが、求められているのは、英語を母語とすることではない、と立川は言う。かつてのヨーロッパ諸語のように植民地に支配語として強要するのではなく、ザメンホフがエスペラント構想の動機=思想とした「多言語状況をそのまま肯定しつつ、共通のコミュニケーションの土台」である媒介語として英語を使っていくならば、「英語帝国主義」の危険は避けることができるというのである。 それが、言語にとって、人間にとって、より良い方向であろう。言語が多様であればあるほど、世界の見方は多様となり、可能性も膨らんでいくからである。 そのために、「ザメンホフが生涯にわたって告発した悪の根源とは、多言語状況そのものではなく、多言語状況を乗り超えるために採用される〈言語差別〉の構図だった」(P285)ことを胸に刻もう。 “〈言語差別〉というのは、正確にいうならば、自分たちとは異なる言語を話す人間に対する差別、言いかえれば、言語の差異に基づいた他者(人間)の差別のことである。”(P264) ぼくたちがこれまで、「アゴニズム」の対話の中で、何とか溶かし粉砕しようと目指してきたものこそ、そうした〈言語差別〉ではなかったか? そのためには、特に英語を母語とする人びとが住む国が、「世界の警察」を自称し、力によって己の世界観を押し付けるようなことがないよう、世界中が監視、抑制していくことが不可欠である。 そして、我々じしん、そうした覇権主義に決して追随しないことが。 |
福嶋 聡 (ふくしま
・あきら) |