○第217回(2021/8)演劇的コミュニケーションと平田オリザの実践(3) 社会文化資本と教育の目 今年(2021年)4月1日、豊岡市に兵庫県立芸術文化観光専門職大学が開校した。平田オリザが、学長に就任した。 これまでのこのコラムをまとめると、平田の問題意識は、大きく3つある。 1.地域格差の削減=地域復興 2.教育への演劇の注入 3.21世紀の教育が持つべき目標 1の問題意識は、見てきたように、平田の四国や豊岡での実践で取り組まれ、兵庫県立芸術文化観光専門職大学開学が現在の到達点と言える。 2はそのための方法論であるが、従来の教育論では余り出てこない方向性だ。だが、四国での実践や豊岡での開学は、その方法論の有効性の証左となっている。 その有効性は、今日的状況が生み出したものでもある。即ち、計算力だとか記憶力だとかを「外部(コンピュータやインターネット)委託」できるようになった人間には、これまでとは違う能力が求められるようになったのだ。それが3であり、一言でいえば広い意味でのコミュニケーション能力である。正確な意味での対話の能力である。そうした要請が、教育への演劇の注入の有効性を生み出したのである。 それは決して地域限定の要請ではない。桜美林大学や大阪大学大学院でも、演劇的実践が有効だったのである。つまり、平田の強みは、地域だからこそ発揮できる強味ではなく、全国的な、即ち、東京や大阪でも通用する強味なのである。 だから、差し当たり中央―地域格差の緩和には大いに役立つ強みであると言える。どの地域も東京・大阪と同じ課題に立ち向かえるわけだから。だが、恐らく逆転には至らない。挑戦はできても、逆転勝ちに至れるかといえば、なかなか難しいのではないか。携わりうる人間の数、活動できる空間の数、歴史の厚みなどを考えた時に、東京以外の者たちが東京にいる者たちと対等にわたりあえるようになると言えるだろうか。 平田自身も、3の具体面の一つである入試改革の目指す方向性について、次のように言っている。 “判断力、表現力、主体性、多様性理解、協働性、そういったものを少しずつ養っていかない限り太刀打ちできない試験になる。このような能力の総体を、社会学では「文化資本」と呼ぶ。平易な言葉に言い換えれば、「人と共に生きるためのセンス」である”。(『下り坂をそろそろと下りる』P106) “文化資本の格差は発見されにくい。親が劇場や美術館やコンサートに行く習慣がなければ、子どもだけでそこに脚を運ぶことはあり得ない。そして、その格差は、社会で共有されにくい。
東京一極集中とヒエラルキーの解体 平田自身によるこれらの見立ては、平田の問題意識の1.地域格差の削減=地域復興を、原理的に困難にする。その目標達成のための平田の方法こそ、2.教育への演劇の注入によって地方に住む人々、とりわけ若者たちの文化資本の醸成だからだ。平田の見立て=首都圏の子どもたちの文化資本獲得における絶対的優位は、これまでの平田の実践を虚しいものにしかねない。 そうした困難に、誰よりも気づいているのは、他ならぬ平田オリザ自身だと思う。だが、それでも彼は、兵庫県立芸術文化観光専門職大学学長就任というかたちで、今なお、その実践の可能性を模索し続けている。平田は、「全国から優秀な教員と熱意ある学生が集まり、早く授業を始めたくてわくわくしている」と期待。コロナ禍などで大学教育の意義が問われる中、「単に知識や情報を得るだけにとどまらない新しい学びの共同体を、職員や地域の方とつくりたい」と意気込みを語っている。(神戸新聞NEXT 2021/4/1) その意気込みが実現するためには、「文化資本における東京の子どもたちの絶対的優位」という見立てから離れなくてはならないのではないか、その見立てを棚上げする、一旦忘れる必要があるのではないか、と思った。文化資本において東京の子どもたちが圧倒的に有利だというobsession(強迫観念)こそが、志ある若者を東京へと向かわせているのではないか、と。そして、その見立ての保留は、決して不可能でも無意味でもないのではないか、と。 更に言えば、「文化資本における優位」という発想ー優位があれば必ず劣位がありそこにはヒエラルキーがあるーという発想そのものからも、逃れた方がよいのではないかと思い始めた。文化にはヒエラルキーがあるというobsessionから抜け出せたとき、例えばまさに昨年の豊岡演劇祭が、コロナ感染者がほとんどいない状態が続いた地域であったこと、日本有数の城崎温泉を背後に持つことなど、さまざまなアドヴァンテージが重なって成功したという事実が、リアリティを持ち、他地域も参照できる戦略的武器になっていくのではないか、と思うのだ。また、第210回に紹介したように、人口が減り、産業も沈下して地価が下がったことが、神戸市が芸術家やその卵たちを呼び寄せやすくなったという逆転的発想を生み出すことに繋がっていくのではないか、と思うのだ。それらは、「東京の文化資本における優位」という見立てからは出てこない、「発見」であったのではないか? ヒエラルキーという面でいうと、大阪大学大学院入試の際の平田の次のアドヴァイスが、読んだ当初から引っかかっていた。 “作戦を遂行し、その責任をとるのは将軍ですが、参謀には別の快楽がある。もう大学院を卒業するみなさんは、そういった別のリーダーシップの在り方も、そろそろ身につけていった方がいい”。(『下り坂をそろそろと下りる』P93) 確かに、そのとおりなのである。実際、ぼくも組織のトップであるよりは、参謀役の方が面白く、色々なことが出来ると思う。だが、将軍にしても、参謀にしても、集団の少数のトップグループである。彼ら彼女らの下で、地道に働く人々の方が、ずっと多い。そういう人たちにこそ、もっと光を当てるべきではないかと思うのだ。それは、演劇をつくる集団においても同じである。 だから、平田に対してあまりに意地悪で、天の邪鬼に過ぎると謗られるかもしれないが、兵庫県立芸術文化環境専門大学に、「相当優秀な学生が揃いました」(内田樹『街場の芸術論』(青幻舎)「特別対談 内田樹×平田オリザ」 P237)と喜び誇ることにも、違和感がある。東京都と同じ面積の中にひとつの大学もなかった但馬地域に初めて大学をつくるにあたって、それでもそこに学生が集まるのかについては大いに存在した疑念を、志願倍率7.8倍という数字で跳ね返し、その倍率を通り抜けて選抜された学生たちを誇る気持ちは分かる。彼ら彼女らの意欲は、相当なものであろうとも想像する。それでも、学長である平田オリザに、「優秀」という言葉を使ってほしくはなかったのだ。
あらためて、地方から考える 第214回に引用したが、「島の人々が瀬戸内海の各所から渡ってくる商人や船頭たちとコミュニケーションをとるための教養教育であったろう」と想像する、小豆島の300年の伝統を誇る農村歌舞伎(『下り坂をそろそろと下りる』P44)を論じる時、或いは、人数が少ないから、練習の局面に応じて流動的に、各自が複数のポジション、複数の役割をこなさなくてはならないことが部員個々人の主体性を育んでいる小豆島高校野球部の「強み」を語る時、おそらく平田は個々の参加者の優秀さには無関心であり、上下の命令系統などにも無頓着であったのではないかと思われるのだ。 “人口の少ない離島で町作りを進めようとすれば、人びとは複数の役割をこなさざるを得ない。しかしそのことが、かえって人々の自主性、主体性を強める。本来、人間はいろいろな役割を演じることによって社会性を獲得していく。村芝居への参加が、若者たちの教養教育の場として機能したのも、演劇が、いくつものポジションを同時にこなさなければならない、あるいは、その役割を流動的に変化させていかなければならない芸術だからだ”。(同P50) こう説明する平田の、オモテかウラかを問わず、芝居づくりに関わるすべての人を等しくまなざす眼に、ぼくは共感していたのだ。平田のこれまでの地方での精力的な実践、実績を心から尊敬した上で、やはり「リーダーシップの在り方」や「優秀」という言葉に違和感を抱いてしまうのは、おそらくそのためだと思う。 それらの言葉とある意味パラレルである「東京の文化資本における優位」という見立ても、平田が東京出身で、演劇のキャリアも東京で積んだゆえの必然なのだろうか? そうではない、と思わせてくれる本に出会った。田中輝美著『関係人口の社会学』(大阪大学出版会)である。 実は、平田オリザも“小豆島の観光文化政策で特徴的なのは、「観光から関係へ」をテーマに、観光による「交流人口」と」、Iターンなどの「定住人口」の間に、「関係人口」という新しい概念を設定した点にある”と、「関係人口」を紹介している。そして、自身が『新しい広場をつくる』で提唱した、利益共同体と地縁血縁型の共同体の中間に位置する「関心共同体」が「関係人口」に近いのではないかと言っている。 『関係人口の社会学』で紹介されるやはり四国と山陰での地域復興の実践は、豊岡演劇祭や兵庫県立芸術文化観光専門職大学の創立に比べると地味だが、より「劇的」であるように思う。ぼくにそう言わしめるキーワードは、「風の人」である。
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福嶋 聡 (ふくしま
・あきら) |