○第218回(2021/9)「関係人口」は演劇的(ドラマティック)だ

 

「関係人口」とはなにか――田中輝美『関係人口の社会学』

  「関係人口という概念を初めて知ったときの胸の高鳴りを、今でも鮮やかに思い出すことができる。」と「過疎の発生地」と呼ばれる島根で生まれ育った田中輝美は、「過疎の発祥地だからこそ、全国最先端で人口減少が進むからこそ、人々は悩み、もがき、工夫し続けてきたところに先進性が宿るのではないか」と、故郷の可能性を思いながら、関係人口を、社会人入学した大阪大学大学院人間科学研究科の修士論文のテーマに選ぶ。後期課程でも関係人口の研究を続け、2020年3月に提出した博士論文をベースに2021年4月、大阪大学出版会から上梓したのが、『関係人口の社会学』(大阪大学出版会)である。

 この本、博士論文をベースにしていながら、とても読みやすく、面白い。「第1部 関係人口とは何か」「第1章 誕生前史」「第2章 関係人口の概念規定」「第3章 関係人口の分析視角」には社会学の論文らしい硬さが感じられるが、「第2部 関係人口の群像」「第4章 廃校寸前から魅力ある高校へ――島根県海士町」「第5章 シャッター通り商店街が蘇った――島根県江津市」「第6章消滅する集落で安心して暮らす――香川県まんのう町」では、各章のタイトルのテイストが第1部とはすっかり変わっているように、本文も実に生き生きとしてきて、具体的で興味深い展開が続く、読み応えのあるルポルタージュとなっている。15年間山陰中央新報社に勤め、退職後も島根県に暮らしてフリーのローカルジャーナリストを続けながらの研究生活であることが生きていて、あくまで学術書でありながら、読んで面白い読み物ともなっているのである。

 

「関係人口」とはある日やってくる「よそ者」である

 「関係人口」とは、人口減少に悩む過疎地域において、「観光以上、定住未満」と、観光客よりも地域に関わるが、定住まではしない存在と位置づけられる。“総務省が2018年から「関係人口創出事業」をモデル的に始めたことで、関係人口は全国の自治体で知られるようになった”。

 都市農村間の「交流」は、1980年代半ば以降から盛んに行われるようになった。姉妹都市提携、サミット交流、農産物を媒介とする交流、特別村民制度、オーナー制度、イベント交流、農業体験、保養施設による交流、都市内拠点施設、市民農園交流、山村留学、リサイクル交流と、来訪者に迎合する傾向の強い観光ではない、来訪者と地元住民が対等、相互に信頼しある「交流」が提唱、実践されたのである。

 ところが、交流当初は取り組みに熱心に参加するも、2〜3年後には「都市の者に頭を下げてサービスをして、地域に何が残ったのだろう」という「交流疲れ」が増していき、最終的には多くの活動が崩壊していった。

 そんな「交流人口」に替わって登場した「関係人口」を、田中は「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」であると定義づける。定住人口でも交流人口・観光客でもなく、そして、企業でもボランティアでもない、新たな「地域外の主体」を表す概念である。この定義で目を引くのは、「よそ者」の一語であろう。田中は、「風の人」という表現も使う。

 平田オリザの豊岡市での演劇実践について書いてきたこのコラムの流れの中で『関係人口の社会学』を紹介しようと思ったのは、同じく山陰地方の地域活性化の試みであるからというよりも、この「よそ者」の一語によるところが、大きい。「よそ者」は、極めて演劇的(ドラマティック)な存在だからだ。平田オリザが作劇術や名作戯曲の解説で明かすように、ドラマは「事情を知らない者」の登場で始まり、いわば「土地の者」と「よそ者」の交流、軋轢、対立、協力によって進行していく。田中が『関係人口の社会学』「第2部 関係人口の群像」で最初に紹介する島根県海士町での事例「廃校寸前から魅力ある高校へ」の展開は、一人の「よそ者」を触媒に一幅のドラマとなった、好例である。

 

隠岐諸島の高校魅力化プロジェクト

 隠岐諸島に属する中ノ島の海士町は、承久の変に敗れた後鳥羽上皇が流罪となって亡くなるまでの20年間を生きた地である(ドラマの舞台に相応しい!)。安倍前首相が「地方創生」の代表例として所信表明演説で取り上げ、第一回「プラチナ大賞」(人口減少社会の課題を解決し、新たな可能性を想像する挑戦を奨励する賞)も受賞している。評価の最大の理由が、廃校寸前の島根県立隠岐島前高校を復活させた高校魅力化プロジェクトである。

 人口減少―地域外への進学―生徒数減少―配置教員の資源の減少という悪循環に陥り廃校の危機に直面していた島前地区唯一の高校である県立島前高校の存続・再生のために呼ばれた「よそ者」が、東京の企業で人材育成にあたっていた岩本悠氏である。岩本氏招請の最大の引き金となったのは、「島前高校を進学校にするのはどうか?」という問いかけに対する岩本氏の答えであった。

「東大へ進学するためにわざわざこの島に来る生徒はいないと思うけど、学力だけじゃなくて、地域も生かして人間力もつける新しい教育を展開すれば、東京からも学びに来るだろう。これだけの人がいて、地域があって、文化がある。やっぱり地域全体を学びの場にして、学力だけでなく、人間力も身につく教育をやって魅力的にする。長い目でみれば、ただ目先の進学実績を追いかけるより、地域リーダーも育つし、地域のためにもいいんじゃないかと。」

 会社員時代と比べて収入は半分以下、契約は三年、その後の保証は一切なかった。それでも縁もゆかりもない島に移住し、高校存続問題に関わることを決めた理由について、この島が日本の最前線であり、未來への最先端のように感じたと、岩本氏は言っている。「この島の課題に挑戦し、小さくても成功モデルをつくることは、この島だけでなく、他の地域や、日本、世界にもつながっていく」

 2006年末に、岩本氏は商品開発研修生として海士町に移住する。商品開発研修生とは、1998年頃から、地域資源を生かした商品開発に乗り出した海士町の商品開発研修制度に応募した「よそ者」である。この制度からは、町の食生活を生かし商品化した「ふくぎ茶」や「さざえカレー」というヒット商品が生み出されていた。

「外部の目によって、いままで当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなる。住民ひとりひとりが島の魅力について考えるようになる。そういった意識の変化が、島の財産になるのだと思います」とは、発案者の、「半分よそ者」を自称する山内道雄町長。

 そうした制度があったからこそ岩本氏は海士町にやって来ることができたのであり、また海士町にヒット商品誕生という成功体験があったことも、高校魅力化プロジェクトの推進を後押ししたのだと思う。

 

「よそ者」のドラマ――ヒーローは静かに去っていく

 とはいえ、「よそ者」に対する風当たりは、厳しい。

「イワモトユウって何者だ」「よそからの若いもんに何ができった」「島をかき回して、すぐに帰るんだろう」 

 移住直後は特に、地域住民のそうした声に耐えなければならなかった。

 更に、商品開発研修生という立場が、岩本氏の働きを妨げた。

「権限も役割もないから、トップダウンはできない。学校の中の人間でもないからボトムアップもできない。なんか斜め下あたりから、やっていかなきゃいけない。」

 当初は「出たい、もう、出たいな、と何度も思った」という岩本氏は、それでも粘り強く地域に入り込んでいった。まず「自分から変わる」決心をし、もともと得意でない酒席や教員の喫煙休憩にも参加し、対話を繰り返した。そうした姿を見て、支援する仲間も現れる。そんな中、高校を卒業したあと故郷に戻らない「供出」構造を知った岩本氏は、構想を練り、チームを形成して島前高校魅力化プロジェクトを進めていく。その大きな柱が、全国から積極的に入学生を募る島留学制度であった。

 プロジェクトの成果は、『関係人口の社会学』で読んでいただきたい。ぼくが何よりも惹かれたのは、ことを成し遂げた岩本市が2015年3月、島を去り松江市に異動するときの言葉である。

「島前高校自体に流れができて、勧めていくメンバーや関係者ができている。今は僕がいないと進まないっていう状況じゃないからね。そういう意味では残ったものはあるかな」

 「よそ者」「風の人」の、この上なく「カッコいい」言葉である。

 こうしてヒーローが去っていくストーリーを、ぼくたちは数多く持っていなかっただろうか? 島前高校と岩本氏の物語を読んで、すぐに思い出したのが、エドワード・ドミトリク監督の『ワーロック』だ。地域の人リチャード・ウィドマークと「すわ、決闘か!?」と思わせた瞬間、素早く抜いた拳銃を捨てて町を去るヘンリー・フォンダ。彼は保安官として町の秩序を取り戻した立役者であった。『ワーロック』が少しマニアックなら、あの名作『シェーン』もそうではないか?

 何もハリウッドに渡らなくとも、日本が世界に誇るクロサワの『七人の侍』で、戦いを終えて立ち去る志村喬が加東大介に言う。「また、負け戦だったな」訝しげな加東大介に志村は、言う。「勝ったのはわしらではない。百姓たちだ」

 「用心棒」も、「椿三十郎」も、「風の人」だった。

 「関係人口」は、極めて演劇的(ドラマティック)なのである。

   

 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年) 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『パンデミック下の書店と教室』(共著、新泉社、2020年)