本屋とコンピュータ(5〜16)2000/1〜2000/12
*07年3月に刊行した『希望の書店論』に収録された06年4月までのコラムを年次ごとにまとめました。

        福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店)

 (5)

 年末に、こんなことがあった。
 あるお客様が、保康某という人の書いた「陸軍の〜」と いう本をお探しで、問い合わせを受けた店員が、店の在庫のデータベースや、「書誌ナ ビ」を検索してみたが、保康という著者は見当たらない、というのだ。お客様は、「文 藝春 秋」の1月号で、その書評をご覧になったらしい。勿論、ぼくは、コンピュータ画面な ど見向きもせずに、雑誌売場に駆けていき、「文藝春秋」を開いた。(まだ販売中の月 刊誌の書評欄で紹介されている本を探しに来てもらえたなんて、何てラッキーなことか !)お客様がお探しだったのは、保阪正康著「昭和陸軍の研究」(朝日新聞社)だった 。 無事、在庫も見つかり、お買い上げいただいた。「保康」や「陸軍の」で前方一致検 索をかけてみても見つかる訳はない。かといって、そのお客様がとんでもなく間違った 覚え方をしていた訳でもない。書店現場の、よくある一風景である。

 お客様がある本について知ったその情報源が手元にあったことが、解決の鍵であった。 思えば、四方八方からの「問い合わせ攻撃」に晒され続ける書店人の夢は、お客様と同 じネタ元を携えていたい、瞬時にそれにアクセスしたい、ということに尽きるといって もよ い。(最もお客様にとって近く、最も書店人にとって遠いネタ元とは、「さっき観たテ レビ」だ。)その為に、ぼくは、書店に勤め出して間もなく、あの手この手で作り上げ た店の顧客名簿の住所に、様々な図書目録を送付し始めた。
 お客様により多くの情報を 提供したい、というより、お客様が本を探す時のネタ元が、自分も持っているものであ って欲しいという動機からだった。書評欄や広告を(大抵はお客様に言われた時初めて )見るだけの新聞を店で取っていたのも、「これから出る本」や、さまざまなPR誌、 新刊案内などを苦労してファイリングしていたのも、同じ動機からだ。

 さて、わがジュンク堂も、大阪本店を基地にインターネット書店を立ち上げ、それを機 会に各支店にインターネット接続用の端末が配置された。ぼくが、ジュンク堂のHPを ス タートページに設定した後、書協のBooksに続けてすぐさま「国立国会図書館」、 「論座ネット」(書評が検索できる)、「日本の古本屋」、「図書館流通センター」、 引き続きライバルの紀伊國屋、丸善、旭屋のHPのURLを「お気に入り」に登録した の は、勿論、ネタ元に関して読者に遅れをとってはならじ、あわよくば読者より多くのネ タ元を持っておきたいという、書店現場の人間としての思いからである。


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  本を売る生業をいくさと見るならば、書店店頭は間違いなく最前線と言える。それは、 書店が、本という商品が読者に渡る、金に化ける流通の最後の拠点だからであると同時 に、本の購入動機のトップが「書店で見て」であるように需要発生の場であるからでも ある。あらかじめ欲しい本が決まっているお客様ももちろんあるが、その場合でも、こ の生業=いくさの中で需要として発生するのは書店店頭であると言える。 われわれの仕事は、もちろん需要に対して供給することである。

 初動は、まず自分の店 の在庫をさがすことであろう(その場合にも最近はコンピュータが役立っている)。在 庫がなければ取寄せだが、取寄せにも色々なケースがある。取次倉庫から出版社へと遡 行的に探していくのが普通だが、すぐさま出版社に電話するケースもある。チェーン店 の場合、他支店をさがすケースもある。
 ジュンク堂の場合、大阪本店の在庫をインター ネットで覗けるから、まずそのサイトにアクセスすることも考えられる。 最前線の兵士(つまりわれわれ書店員)にとって欲しいのは「タマ(商品)がどこにある か?」、「どのタマが最も早く手に入るか(お客様に最も早く供給できるか)?」の情 報である。
 特に品切れ本をさがす時、出版社に電話する場合は人脈が、他支店をさがす 場合は「あそこならあるかもしれない」という支店についての知識や勘が、大きな武器 にな る。インターネットはそれらの武器に付加された新兵器だ。決して代替する兵器ではな い。 とはいえ、インターネットで検索のフィールドが大きく広がったのは確かだ。

 自社でど うしても入手できなければ、ライバル書店のサイトを覗いてみることも出来る。どこに もなくて、「日本の古本屋」のサイトで見つけ、在庫を持っている古書店の連絡先をお 客様にお教えしたケースもある。
 メディアを「人間拡張の原理」で捉えたのはマクルー ハンだ が、一冊の本の需要−供給がわれわれの仕事の単位であることを省みれば、インターネ ットというメディアは、「本のありか」としての「書店」の大幅な拡張と見ることがで き る。その場合でも、需要発生の場=最前線としての書店の重要性は、決して貶められな い。

 かつて、ながらく品切れ状態であった時期に高橋和巳の「邪宗門」を問われ、「残念な がら今新刊本屋で『邪宗門』は入手できません。でもそこそこの規模の図書館なら『高 橋和巳全集』は持っていると思います。とっても面白い小説で、ぼくも大好きなので、 是非図書館で借りて読んでください。」とお客様に懇願したことがある。となれば、い くつかの図書館の在庫リストにアクセスし、「書店」をさらに拡張するという作戦も、 最前線においては、大いに有効であろう。


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  2月の初めに、平凡社から珍しいいでたちの本が送られてきた。B6並製(という か、ペーパーバック)で、カバー がコピーなのである。そのカバーに「非売品」と大きく書かれ、「再校の段階で、著 者の許諾の下に作成された限定版です。」云々と注意書きがある。
 同封された手紙に よると、オンデマンド出版で50部つくり、編集と営業で分けて、あちこちに送付し たらしい。表紙を外せば、なるほど「非売品 No.10」というシールが貼ってある。奥 付けもちゃんとあり、発行は2月23日とある。
 「ふーん、これがオンデマンド本 か。」と、もの珍しげに眺めていたら、ふとあることに思い至って、平凡社に電話を かけた。そして、貴重な50冊のうちの1冊をぼくに送ってくれたことに礼を述べ、 「これで前書評を書いても差し支えありませんか?」と訊ねた。

 「前書評」とは、発行前に少部数をつくり、マスメディアに送って書評を書いてもら い、市場の反応を見たり需要を喚起する、アメリカでは当たり前なマーケティング戦 略であり、「ルネッサンスパブリシャー宣言」で松本功氏も重きを置く構想である。
 毎月会社のPR誌「書標」に書評を書きつづけているぼくだが、原稿締切りと発行の 間に10日間のタイムラグがあるため、いかに幸運に恵まれても、刊行半月以内には 発表できない。新聞書評が刊行2〜3ヶ月後というのは当たり前で、書評が効いて問 い合わせが重なったときに限って在庫を返品したあとで臍をかむことが常である書店 人としては、何とか「とれたて」の商品の紹介が出来ないかと熱望していたから、松 本氏の構想にも大いに共感していた。だが、その方法が思いつかなかった。
  「こんな、オンデマンド本の使い方があったのか。うん、これなら建設的だ。」 業界でもオンデマンド出版が、やれ在庫を持たないでもよいだの、絶版商品でも必要 な読者に提供できるだの、夢の発明品のように喧伝されているが、出版業が、基本的 には(範疇によって桁数の差はあれ)大量販売によってでしか利益を生み出さない以 上、ぼくはその騒ぎを冷ややかに見ていた。

 しかし「需要に基づく製作」ではなく、 「需要を産み出す製作」なら、話は別だ。ぼくは早速、そのオンデマンド本、柄谷行 人著「倫理21」を読み、書評を書いた。 「書標」が、25日締切り5日発行だったため、「書標」での書評は、「前書評」に はならなかったが、それでも刊行11日目の書評である。
 また、少し長いめのバー ジョンを別に書き、松本功氏に送信したら、氏の主宰するひつじ書房のホームページ から入ることのできる「書評」サイトに載せてくれ、これはわずかだが「前書評」と なった。 そうしたサイトをどのくらいの人が見ているのか、どれだけ効果があるのかはともか く、こうした地道な積み重ねが、やがて読書需要の喚起や書籍の販売増に結びついて いくことを信じ、インターネット時代の販売戦略を、模索したい。

 付記 3月2日付の「新文化」によれば、アマゾンコム読者書評の場が、ライバル作 家をこきおろし合う場であったり、編集者たちが社内の人達に書評を送らせて宣伝合 戦の場としているケースが散見されるという。インターネットメディアにおいても編 集技術が必要という松本氏の主張の、ひとつの証左であろう。


 (8)

 4月1日付で、仙台店店長から池袋店副店長に異動となり、3月24日に着任した。600坪 プラス150坪の仙台店から、地下1階から9階まで10フロアの池袋店への異動では、勝 手の違うことが多々あると覚悟していたが、やはり戸惑っている。

 振り返ってみれば、中央通路が70メートルもあった仙台店は、野戦であった。カウン ターが混んでくると号令一呼、全員が駆けつけた。10フロアの店では、そうは行かな い。他の階がどんな様子なのか、全く分からない。まさに空中戦である。又、完全に 2交代制になっているため、今日誰が来ているのかさえ容易に掴めない。毎日出社し ている全員と顔を合わせていた仙台店とは、えらい違いである。

 箱のあり方が変われば、仕事のしかた、たたかい方が変わるのは当然である。引っ越 しの時に見つけて読み直した「最終戦争論」(中公文庫)の中で、石原莞爾も時代時 代で戦争の仕方がドラスティックに変化していると語っている。隊列の組み方から、 命令の単位、軍隊統制のあり方に至るまでである。そして、空中戦の時代には、いく さの単位は、個になるという。それぞれの時代のいくさのありようの変遷は、技術の 進歩が重要な契機となっていて、空中戦は、勿論飛行機の発明、発達によって到来し たものである。

 書店の大型化、多階層化にあたっても、コンピュータを中心とした情 報技術の進歩があった。他の階の様子が分からない状態でのいくさは、我々の場合で も、個の力への依存が増す。多様な情報技術を操るのも、むしろ個の仕事であると言 える。話の角度を変えれば、倒産した駸々堂にいた人々も、経験と力のある人は、 色々なところからお呼びがかかり、嬉しいことに既に元気に書店復帰している人もい ると聞く。

 最初に書いたように、まだまだ戸惑うことの多いぼくであるが、決して孤独であるわ けではない。幸い、ホストコンピュータのあるフロアにいるので、閉店後は必ず各階 からのレジ締め終了の内線が入る。そのひとつひとつに「おつかれ様」と答える時、 今日も一日たくさんの仲間と戦っていたのだということを、再確認できるのである。


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 10年近く前のことになると思うが、ある専門書出版社の社長がぼくの職場(当時 は京都店)を訪れ、「どうですか。最近、うちの本、売れていますか?」と訊かれ た。出版社の経営者としては頗る自然な質問と言えるかもしれないが、上辺では当たりさわりのない受け答えをしながら、腹の底で『そんなこと、いちいち知らんがな。 送っている売上カードで、そっちで判断してぇな。』と叫んでいたことを、よく覚え ている。

 今でも、「どうですか?売れてますか?」と、店を訪れてくれた出版社の営 業マンに時候の挨拶に近い質問を受けた時に、必ず同質の違和感(あるいは苛立ち) を感じてしまう。 「オートポイエーシス」という概念についての著作を読んで、その原因が少し分かっ たような気がする。「オートポイエーシス」においては、行為系と認知系が、全く別 のものとされる。例えば初めて自転車に乗れた時に、人は今何が起こっているのか、 認知することは出来ない。行為そのものによって、自己が(ということは即ち環境 が)全く以前と別のものに変化しつつあるからである。それと同様、出版販売の最前 線にいるぼくたち書店人の行為系は、上がってくる数字によって戦況を判断する経営 者の認知系とは、世界の見え方が全く違うのである。勿論、経済行為である以上、書 店も出版社も、数字を冷静に判断する認知系の部分がなければならないことは確かで ある。数字に敏感な書店人がいても、それは決して悪くはない。ただ、最前線の兵士 としての書店人は、まず行為系であることを自覚すべきであると思う。

 仕入れや棚整 理に専心努め、訪れた読者に快適な買い物をしていただけるよう動く、そのことが、 結果として上がってきた数字を睨み付けて一喜一憂するよりも、(時間的にも本質的 にも)優先することなのだ。 「書店」とは、単なる箱ではない。書店人が苦労してつくりあげた書棚でもない。空 間と書棚と書店員と読者そのすべてを構成素とする、本が売れて行く動きそのもので ある。だから、朝一番に出社した時や閉店後一人残った時はもちろん、棚卸しなどで 人はたくさんいても読者が介在しない書店の風景が、営業中の書店の日常といかに 違った風景に見えることか。このように「書店」を書店員や読者をも構成素とするシ ステムと捉えた時、「オートポイエーシス」というシステム論には、実に親近性を感 じるのである。以下次号


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  補充品を抱えて棚の前に来る。販売した分が自動発注されているのだから当然とい えば当然なのだが、見事に抜けている巻数が埋まって行く。スリップに番線印を押す こともしなくなった今、棚そのものが、自己蘇生する生き物に見えてくる。 これは、機械化が生み出した「錯覚」ではない。事柄の本質が、機械化によってより よく見えるようになっただけなのだ。なぜなら、ぼくらがかつて常備カードに日付印 を押していたのも、積極的な仕入れをしたり、諦めて返品をしたりしていたのも、即 ち棚を維持する行為も変様させる行為も、実はすべて読者の購買のあるなしが促した ものであり、SAの導入以前から、いわば「極めて曖昧なPOSデータ」が動機づけてい たものなのである。

 SA化後のPOSデータそのものやその徴票は、書店員にとって、ま さに室井尚のいう「外部記憶装置」(延長された表現型=生命体の分泌物)なのであ る(「哲学問題としてのテクノロジー」講談社)。 だとすれば、前回挙げた「オートポイエーシスとしての書店」の構成素、即ち空間、 書棚、書店員、読者には、重要なものが抜けていたといえる。本が売れるという、そ のこと自体である。何故ならば、オートポイエーシスの構成素とは、次の作動をもた らすものでなくてはならず、今言ったように「本が売れること」が、書店員の次の作 業や、書棚、空間の変様をもたらす根源だからである。

 ぼくには、書店員の主体性といったものを全く無視したり無意味だと言ったりするつ もりは毛頭無い。ただ、「本が売れること」を捨象したり、あるいはそれよりも優位 に立つ書店員の「主体性」は、「オートポイエーシスとしての書店」の構成素とはな り得ないと言っているのだ。仮にそうした「主体性」を想定してみると、出来上がる のは見事に構成されながら誰もそこから本を引き抜こうとしない、生命の無い彫像、 芸術作品でしかなく、それは決して次の作動をもたらさないから、構成素ではなく、 異物となってしまうのだ。 「本が売れること」を最も根源的な構成素と見、品揃え、棚構成、接客態度を含めた すべての要素がそれへと繋がっていった時初めて、それらは、「(働きそのものが自 己を形成する)オートポイエーシスとしての書店」の構成素たり得るのである。そし て、そうなり得た書店は、大抵の場合既に、パブリシティや時代的・社会的背景に至 るまで、読者の「本が読みたい」というモチベーションを高め「本が売れること」へ と繋がる、より大きなシステムの構成素と共振する努力を重ね、現に共振を成就して いるのだ。その時、その書店は、自らの物理的な壁を突き破り、認知系としてではな く、行為系としての「巨大さ」を誇ることが出来るであろう。


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 6月30日、書協の本間さんと会った。「書籍総目録」から、「 BOOKS」へ、より 使い勝手のいいデータベース構築を目指している本間さんとぼくは、現時点での問題 意識も共通している。このコラムの最初にも書いたように、データベースの規格化で ある。雄ネジの山の間隔がてんでバラバラでは、雌ネジの生産も効率的には行かない だろう。そもそも、そうしたネジを利用している製品の効率的な生産が不可能にな る。恐らくは、原理的にはそうした素朴な事実を踏まえて、JIS(日本工業規格) は、生まれた筈である。 データベースもそうである。作る人々がみんなてんでバラバラな仕方で入力していた ら、検索にも使えない。そもそも、あちこちで、同じ本のデータを別々の人が入力し ていること自体が無駄とも言える。 差し当たり、書協が、そうした規格化、あるいは入力の統合を図れる組織か、と思っ た。

 ところが、よくよく聞いてみると、書協だって、そんなに強い組織ではない。書籍を 作り、流通させている出版社の全てが加入しているわけでもない。出版界というもの が、もともと個性派集団の集まりである以上、誰かが旗を振れば、簡単に従うような 世界でもない。 そういう意味では、書協という組織も、データベースの規格化というプロジェクト も、大変な困難を抱えているのかもしれない。

 しかしながら、たかがデータベースの書名の鍵括弧を半角にするか全角にするか(或 いはそもそも鍵括弧を無視して入力するのを規格とするか)、外国人著者の名前の入 力の順序をファーストネームからにするかファミリーネームからにするか、などと 言った実はどうでもいいことが、問題になっているのだ。誰かが号令を発すれば、異 論は出ないであろうようなこと、つまり、どっちでもいいことが、決められかねてい るのだとも言える。 実に、非生産的な事態である。「とりあえず、これを書籍のデータベースの規格にし ましょう。」という提案を、別にバックボーンは無くてもいいからぶち上げる組織を 作りましょう、最初に作られた規格が、恐らく統一規格になるでしょう、というぼく と本間さんの結論は、だから、実は正解なのではないか、と思う。  


(12)

  久しぶりに、講談社の永井祥一さんに会った。講談社には、全然別の用事で行ってい たのだが、ついでに会えればいいな、と思っていた。直前に、湯浅俊彦氏から新著の 「デジタル時代の出版メディア」を送られてきていたし、その少し前には、ぼく、永 井氏、湯浅氏の三人も稿を寄せている「本とコンピュータ2000夏号」も出ていた からだ。

 19991年に「書店人のしごと」を上梓し、来るべきSA化時代に向けありうるべき 構想を(机上ながらも)提示したぼくに対して、真剣な異議を唱えてきたのが、湯浅 氏であった。主に(当時はまだ萌芽しか見えなかった)書店SA化についての立場、意 見の相違を認めながら、互いに状況に対する真剣さだけは認め合えたぼくたちは、そ の時既に湯浅氏が始めていた「書店トーク会」という勉強会を、共同して運営してい くようになった。その会で、いわばぼくがわの証人として、ノーギャラで来ていただ いたのが、当時講談社のDC-POSや出版VAN構想に尽力されていた永井氏だったのであ る。

 氏は、1994年に「データが変える出版販売」(日本エディタースクール)を 上梓される。 「皮肉なもんですよね。」と、ぼくは永井さんに笑いながら語りかけた。あの当事 は、バーコードをつけることさえ、装丁家や編集者に嫌がられた。今となっては、当 たり前のこととして受け入れられている。書店のポスレジも、少なくともぼくが予想 した以上に早いペースで導入された。今や、ポスデータが、売上カードに成り代わっ ている。 面白いのは、「本とコンピュータ」最新号において、書店人に対して、ぼくがひたす ら「謙虚であること」を要求し、永井さんが「商いに徹すること」を要求しているこ とである。一方湯浅氏は、「独自のオンライン書店を立ちあげて読者拡大に努めるし かありません。」と言い切る。他方、ぼくたち二人は、コンピュータのコの字も言っ ていない。 ぼくも永井さんも、そして湯浅氏も、宗旨変えしたわけでは全くない。こうなること は分かっていて、三者三様の道のりを模索していただけなのだろう。

 ものごとを真剣に考える人達が、必ずしも評価・優遇されるわけではない。だからと 言って、一回切りの人生、他人の顔色ばかり伺って過ごして楽しいものではない。そ んな風に突っ張っていても、ふと不安になることもある。永井さんに会いたい、と 思った気持ちは、そうしたところから生まれてきたのかもしれない。


(13)

 9月7日(木曜日)、お昼に日本書籍出版協会(書協)事務局長・データベースセンター部長本間広政氏にお会いし、夜にはひつじ書房社長松本功氏、元作品社小林浩氏と会食した。出勤日であり、なかなか忙しい一日となったが、また、刺激的な一日でもあった。三者がそれぞれ立場を異としながらも、出版―書店業界の現状を憂え、憂えるだけではなく何とか打開する方法を模索している人達だからである。

 本間氏は現在、
BOOKSという書協の書誌データベース(差し当たり「日本書籍総目録」のネット版と考えていただければよい)の整備、使用契約者(社)の獲得に腐心されている真っ最中である。「BOOKSの売りとしては、品切れ・絶版情報を含め、リアルタイムなメンテナンスによって、流通状況が他のどのデータベースよりも正確であること、既刊書の情報だけでなく刊行情報(これも差し当たり「これから出る本」のネット版と考えていただければよい)にもアクセスできることであり、特にこれから増えていくであろうウェッブ書店には不可欠なものとの自信があるが、如何せん現在年間契約料200万円という価格のため、思うように使用契約者(社)が増えていないという悩みを持つ。もちろん契約者(社)さえ増えてくれれば、データベース作成の経費やランニングコスト自体は変わらないから、契約料はその分安くなるのだが、ニワトリが先かタマゴが先かという状況であるという。

 とにかく、業界全体のインフラとして
BOOKS」が使われて欲しい、そこから様々に情報加工して、個性的な「リアル書店」や「ウェッブ書店」が業界に活力を与えて欲しいというのが、本間氏の願いであり、ぼくは、そのことに深く賛同する。取次やウェッブ書店、様々な業界団体が、それぞれ労力をかけ、同じコンセプトの書誌データベースを競争して作る状況は、全くの無駄としか言いようが無いからである。
「ルネッサンスパブリシャー宣言」以来、様々なユニークな提案を行ってきたひつじ書房の松本社長は、「
Bookcafeライブ」という企画について熱っぽく語った。これは、書店員や取次の人達を集めて、本を書いた書き手、本を作った編集者が、サンドイッチとビール程度の軽食を取りながら、90分間のライブをする、というものだ。いわば、作り手による本のプロモーションの場であり、本をめぐる意見の交換の場所にもなるといい、という目論見である。書店員にとっては、仕入れ能力を試し、磨く場所ともなる。

 そうした試みが、書店現場で作り手と読者の間でなされるのも一興(その書店では、うまく行けばその本の事前予約が取れる)という小林氏の意見も出て、いずれにせよそうした試みはゲリラ的にでも火の手をあげる(実行に移す)ことが大事であり、噂を聞きつけた書店員たちの参加が少しずつでも増えてくれば、面白いことになる、と三人はビールを片手に熱心に語り合った。

 一枚のチラシを片手に頭を下げるしか能の無い出版社営業マンのプレゼンテーション能力の無さ、それに見合った書店員の仕入れ能力の無さ、その双方を嘆く声、現状に対する危機感を論う声は高い。だが、それらの能力を再構築しようという声は意外に上がってこないし、その為の試みを提案する声も低い。ぼくらの企画がどれだけ実効性があるかは分からないが、少なくとも、危機や困難に直面した時、それを嘆くだけではなく打開しようとするエネルギーと工夫が、何よりも大事であると思う。


(14)

 「書誌アクセス」勤務の黒澤説子さんが「大仙緑陰シンポ・アピール」を読み上げ、全国各地から集まった(読者も含めた)出版関係有志の熱気が盛り上がる中、「第5回大山緑陰シンポジウム」が閉会したのは、昨年9月12日のことであった。4年ぶり2回目の参加であったぼくは、主催の米子今井書店永井社長ら多くのスタッフの献身的な努力に支えられて5年間続いたこのシンポジウムが、(予定通りとはいえ)これで終わってしまうのかと思うと、残念でならなかった。おそらくは、参加者の多くが、同じ思いを胸に抱いていたと思う。

 4年ぶりに参加して何よりも嬉しかったのは、若い人たちの参加が増えていたことである。第2回から参加して、シンポジウムに触発されて書店人に転身し、マスコミでも取り上げられて一躍「書店界の寵児」となった安藤哲也氏(往来堂→BK1)にも、初めて会った。久し振りに「クソ生意気な奴(ぼくにとっては、もちろん最大級の賛辞である)が出てきたな(実際、歳はぼくとあまり違わないのだが)、と嬉しく思い、負けてはいられないと大いに鼓舞された。

 今春仙台から東京に転勤となったぼくに最初にアプローチしてくれたのは、その「第5回大山緑陰シンポジウム」に参加していた、ある出版社の若手営業マンだった。彼や彼の周辺にいる「大山」参加組が、「大山」経験をあのまま終わらせてしまうのは惜しい、何とか勉強会のようなものを立ち上げて続けたい、と言う。「それは、いいことだ。何よりも、大山でご苦労された永井社長が喜んでくれるだろうから、是非やるべきだ。」と、ぼくは煽った。煽った責任上、第1回の講師として話させてもらったのは、7月20日のことだった。
 会の名称は、「出版に関わる者の勉強会」を略して「でるべん」と決まった。内容の質的向上はもちろんのことだが、まずは会の継続を、と期待していたら、幸いにして、9月19日に、出版ニュース社社長の清田義昭氏を講師に招いて第2回を開くことができた。

 その時驚いたのは、メールマガジンやどこかのホームページで会のことを知って参加したという人が、何人かいたことだ。口コミで何とか会社の人間や知り合いを連れて来るしかなかった、関西で「勁版会」や「書店トーク会」に参加していたころとは、ちょっと違う。あらためて、インターネット恐るべし、と感じた。ジュンク堂池袋店の人間にも、メールマガジンで知ったというのがいて、「非合法の地下組織を画策しているところだ。」と笑って答え、結局彼も第2回目には連れて行った。

 「大山緑陰シンポジウム」の当初の目的であった「本の学校」開校は、残念ながら未だ実現していない。しかし、シンポジウム会場に溢れていた熱意、議論、理念は、全国のあちこちで確実に継承されている、と思う。たまたまぼくが関わった「でるべん」は、そのささやかな一例にすぎないかもしれないが、更なる継続・発展を期待したい。そうした企てが全国各地で自然発生的に勃発して、連帯していければ、面白い。

 そうした思いを胸に秘め(?)、ぼくは、縁あって10月28日の「大山緑陰シンポジウムin 東京」にパネリストとして参加する。 


(15)

 まず、訂正原稿。前回「でるべん」の紹介をして、その名前の由来を「出版に関わる者の勉強会」を略して、と書いたが、早速メンバーの一人から、訂正依頼のメールが届いた。
 
 「“「出版に関わる者の勉強会」を略して「でるべん」と決まった”、となっていますが、「出版に関することについて学ぶ会」であって、参加資格は興味があるかないかだけです。理由はそうでないと、学生や一般の読者が参加できないからです(←すでに業界以外の人も参加しています)。」

 確かに、彼の言う通り、学生を含めた業界外の人達も参加している。訂正して、お詫びしたい。

ぼくが、今回のコラムを、この訂正原稿を軸にして書こうと思ったのは、間違った情報を流してしまったことへの責任もさることながら、この間違いに、現在の出版業界の病巣が象徴されているかもしれない(つまり、ぼくもそれに侵されている)と感じたからだ。即ち、「再販制」をはじめとするさまざまな議論が、我々「売り手」側だけで収束され、我々を真の意味で支えてくれている(買ってくれている=資本投下してくれている)「読者」を巻き込んだものとなっていないことへの反省を促されたのだ。
 考えてみれば、読者とは有り難いものだ。その多くは、頼みもしないのに書店にやって来て、書店員をわずらわせる事もなく自分で商品を探して、値引き交渉もせずに、買っていってくれる。そうした業態を、「お上」から「再販制」に胡座をかいた怠慢だと決めつけられることには反発したい(委託制を取らざるをえない商品特性、それゆえの仕入れ正味の高さゆえ)が、少なくとも我々の生活を支えてくれているパトロンとも言える読者抜きに、業界のあり方そのものの議論が成立するというのは、どこか、そして何故か貴族主義的になってしまった我々自身の驕りかと、自省すべきではないだろうか。
 「でるべん」のきっかけとなった「大山緑陰シンポジウム」の東京版は、嬉しい事に盛会であった。懇親会の最後に、大山と東京を股にかけてずっと参加して下さっている(業界人ではない)読者が、ご挨拶された。そのことを有り難いと思えるかどうか、そうした存在を肝に銘じられるかどうか、そこに出版―書店業界の人材としての資質が問われ、そうした人材を本当に持っているかどうかが、業界そのものの存亡を左右すると言って過言ではないと思う。


(16)

「21世紀」に、なった。

 2000年12月31日から2001年1月1日にかけて、いつも通りの遅い夕食をとっていたぼくは、何の感慨もなく、ただ箸を動かすのに忙しく、その時を迎えた。

 12月28日から3日間の徹夜を経て12月31日の深夜まで続いたジュンク堂書店池袋店の増床作業の前半戦(1階〜4階)が一段落し、12月29日に始まった「1階集中レジ」体制を何とか離陸させて3日目としては、定休日である元旦にやっと少し身体を休めることができる、という以上の思いを持たなかったのは、当然だったろうと思う。

 10フロアの超巨大書店(3月グランド・オープン時には2000坪)の1ヶ所集中レジ、これこそ21世紀型書店だ、と肩肘張って主張するつもりは、ない。内外からの様々な懸念はすべて妥当、有意なものであり、戦略として大いにリスクのあることに、間違いはないからである。
 ただ、日本全体が20世紀末からの不安を引きずる今、出版・書店業界にもまた、ある種の閉塞感が漂っている。こんな時には、原点に戻るしかない。客が自由に商品をピッキングし、レジカウンターに持ってくるスーパーマーケット方式、その草分けが書店だったという、原点に。その原点は、「薄利多売」という正味体系、取引条件以前に、書籍の販売という業態が、プロである書き手と読者を素人が結ぶ作業であるという、我々の仕事の本質にも、大いに由来しているからだ。

 首相自らが(ひょっとしたら意味も分からず)「IT革命」とやらを標榜し、ネットビジネスがあらゆるマスメディアで喧伝される今、店舗を拡大し、在庫を増やし、といった戦略は、一見時代に逆行しているかに見える。昨今、(あくまで、理念的には)書誌データだけを武器に商売しようとするインターネット書店が、大いに話題になる所以である。

 ただ、結論的に言うと、(理念に限りなく近づいた)インターネット書店と、1ヶ所集中レジの多層階超巨大書店は、見事な対偶関係にあると思う。片や、インターネット書店は、在庫負担と家賃をギリギリまで切りつめるが、客との応対は(コンピュータを介して省力化されようが、とにかく)常に1対1であり、商品のピッキング、そして発送は、すべて店側の仕事になる。片や、1ヶ所集中レジの多層階超巨大書店は、在庫負担と家賃は膨大だが、客がレジまで運んでくれ、そして家まで持って帰ってもらえる場合が多いことを考えれば、販売行為の部分では、最高に効率的と言える。

 いずれの側も、自らの長所と弱点を充分自覚すること、それが兵法の基本であろう。そうしてサービスの度の高さを競っていくことが、出版・書店業界の閉塞状況を乗り越える道であると思う。そして、そうであって欲しい。本という商品は、売り手の立ち場に立っても、買い手=読み手の立場に立っても、実に魅力的な商品だからである

   
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