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福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店) |
(17) 「1階集中レジカウンタ−」方式にして、最も質問されること、最も懸念されることは、「万引きは大丈夫か?」ということである。「万引きはどのくらい増えましたか?」という質問に対しては、「棚卸しをするまで分からない」と正直に答える他はなく、同じ質問が度重なると、「じゃあ、各階にレジがあれば、万引きはより少なくて済むという保証があるのですか?」と、少しばかり毒づき加減で、反問してしまう。 「1階集中レジ方式」についての「新文化」の取材(第2391号2月8日付に掲載)でやはり「万引き問題」に触れられた時、「日常的に読者に声をかけていく」姿勢を答えたが、読者に声をかけていくというのは、決して「あなた、万引きする気じゃないでしょうね?こっちも見ていますよ。」というニュアンスを含ませたものではない。大多数である良識ある読者に対して、充分なサービスを提供しよう、という姿勢を言いたかったのだ。欲しい本を探しているお客様に「何か、お探しですか?」と声をかける、(他の業界では常識ともいえる)「サービス=奉仕(精神)」から始めよう。良識あるお客様と我々書店員の間に連帯が生じていること、書店という場に邪な動機で入ってきた人達を自ずから排除する空気(=書店員と読者との連帯)が満ちていること、そのことこそが、最良の「万引き対策」であると思うのだ。 (18) 3月1日、池袋店がついに増床グランドオープンし、2001坪(?)の、世界最大級、少なくとも現段階では日本最大の書店として生まれ変わった。ありていに言えば、昨年末から棚や本の移動・拡張は断続的に行なわれており、2月23日にはその工程がほぼ終了していた。その後は商品やサインの微調整、店全体の試運転(プロ野球のオープン戦のようなものか)だったし、ジュンク堂としては「当然」のことながら、増床作業の為に店を閉める日など一日もなかったから、店の有様が、3月1日を境にドラスティックに変わったわけではない。3月1日を「グランドオープン日」と呼ばせるのは、告知、情宣、そして我々の心持ちなのである。 朝10時のオープンと同時に入館され、必要な商品を急いで買って帰られる方をはじめ、午前中のお客様は、おおむね「疾きこと風の如し」である。昼下がりから、長いレジカウンターを被膜のように包む、途切れることのないお客様の流れは、「徐かなること林の如し」、閉店5分前の放送を「突撃ラッパ」よろしく一気にレジカウンターに押し寄せるお客様の一群は、まさに「掠めること火の如し」の様相である。願わくは、そうした「攻撃」を受けても、巨大な売場と豊富な在庫を誇るわれらが「城塞」が、スタッフの機敏な対応によって「動かざること山の如し」であらんことを。 (19) 4月11日、書協の「新入社員研修会」(35社73人参加)に講師として招かれた講演の枕に、丁度前夜に放映されたテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」について言い訳をした。まさしく、言い訳であって、テレビ出演を自慢する気持ちは、こと今回は微塵もなかった。「ベストセラーはこうしてつくられる〜出版界の新たな挑戦」というタイトルが新聞のテレビ欄にも出ていたので、「これはやばい、業界でも見ている人は多いだろう、ましてや出版社の新入社員なら、新入社員であればこその向学心で、見ている確率はかなり高いであろう。」と恐れての、言い訳だったのである。 (20) 仙台から東京にやって来て、最初に感じたのが、出版社名宛の領収証を切ることが何とも多いことである。「同業相食む」ではないが、当初はどうにも自らの尾を食うウロボロスを連想し、いい気持ちがしなかった。かつて、神戸で演劇活動をしていた時、やはり観客の多くが「同業者」(=劇団OB、他の劇団の人々、出演者の家族縁者もその範疇に入るか)だった、その様相とパラレルなのが気持ち悪いのは、そうした状況では、ぼくたちは、「食べる」ことが出来なかったからである。ただでさえ金のかかる演劇という活動で、仲間内で客になりあっている状況は、ジリ貧でしかない。「河原乞食」も辞せずとしていたぼくが、ジュンク堂に入社して入場券の販路を求めたのは、そのためでもある。結局、当時自分で最も似合わないと思っていた「会社員」を足掛け二〇年勤めることになった。もちろん、芝居をやっていた期間を、優にこえてしまった。 (21)
22.7月17日、久しぶりに関西で話をする機会を与えられた。天満橋のドーンセンターで、敬愛する井上はね子氏の「アミ編集者学校」主催の講演だった。 (22) 今年の夏も終わりにさしかかろうという頃だった。 ジュンク堂書店池袋本店の、話題の1階集中カウンターのなかで、アルバイトの女の子が、途方にくれている。手には1階エレベータ前にあるお客様用の検索機がプリントアウトした書誌データの紙片を、大量に持っている。見れば、そのほとんどに「係員にお問い合わせ下さい。」の文字がある。これは、「現在当店には在庫がございません。」というのと同義で、在庫がある場合は、その箇所には、該当する書棚が表示してあるのだ。 印字された書名を見ていくと、それも当然であった。そのほとんどが、性風俗のルポや官能小説であったからだ(さらに詳しく言うと、「ホスト」についての本も目立った)。上品ぶっている訳では無いが、従来ジュンク堂書店には、その類の商品はほとんど置いていない。プリントアウトされたデータの数の多さも相俟って、「これは、一種の嫌がらせか?」という疑念が走った。「新手のストーカー行為か?」とさえ、思った。途方に暮れていたアルバイトが、若い女子大生だったからである。 「どちらのお客様?」と平静を装ってぼくは訊いた。 「あちらの方です。」と指し示された方向を見ると、そのお客様は、さらに検索機に向い、書誌データを探っている。かなりラフなスタイルで、体格はよく、頭髪は黄色く染められていた。 「やはり、『ヤバイ』客かもしれない。」とぼくは思ってしまった。人をみかけで判断してはいけない、と常日頃自他に言い聞かせ、その教訓の正しさの事例を、長い書店人生活で数多く蓄積してきたにもかかわらず、である。言い訳がましいが、検索されているデータの書名が、「ドギツ」過ぎたのだ。 「お客様。」 ここは自分が立ち向かわねばなるまい、女子大生のアルバイトに対処させるべき状況ではないし、まず彼女に対処できる相手ではないと意を決し、だからといって居丈高になったり、迷惑そうな表情や声色になることのないよう注意して、すなわち努めて平静に声をかけた。 「こちらの商品は、ほとんどが現在当店にございません。それに古い商品も多いので、ご注文を承るにしても、来週早々、出版社に在庫を確認してから、としたいのですが。品切れ、絶版等で入手できない商品につていは、その時にご報告します。」実際その通りだったのだ。検索機の書誌データは、品切れ情報とリンクしていないため、「係員にお問い合わせ」いただいても、入手できないものも多い。そしてその日は、土曜日であった。 「じゃ、そうして下さい。」<次ページ> お客様の返答は、密かに構えていたこちらが拍子抜けするほど、穏やかであった。 数多くの紙片の中には、当店に在庫があるものも幾らかあったので、それらを集めている間に、お客様も広い店内を巡って、カゴにいっぱい商品を選んで来られた。多くは、ぼくを身構えさせた「ドギツ」い書名群と範疇を同じうした商品だったが、「脳」に関する本など、全くそれとは無関係な本もあった。ぼくが集めてきた本と合わせて、「じゃ、これだけ下さい。」とおっしゃった。 しめて数万円になった。キャッシュでお支払い下さった。決して、「一種の嫌がらせ」ではなかった。ぼくがお相手して気分を害されたようでもなかったので、「新手のストーカー」でもない。話をしていても、実に穏やかで、「ヤバイ」客では決してない。「これは、一体…?」と思っていた時、「領収書を下さい。」とおっしゃり、宛名として日本を代表する二大出版社を告げられた。先程、ぼくを戸惑わせたあきらかに範疇の違う商品群ごとに。 無かった本の注文の為に、名刺をいただいた。それを見るまでもなく、ぼくには事情が分かっていた。そのお客様は、フリーのライターだったのだ。買い求められた、そして注文された全然違う二つの範疇の商品群は、原稿執筆のための資料だったのだ。 その後も、ご来店のたびに、新たな範疇の商品群を購入、注文されて行く。今や、大事な「お得意様」である。 「人は見かけで判断してはいけない」という教訓の正さの事例を、もう一つ付け加え、東京で書店をやるというのは、やはり「地場産業」の一部となることなのだということを再認識したエピソード。<次ページ> (23) 11月6日(火)、ジュンク堂書店池袋本店では、哲学者の西研さんをお招きして、トークセッションを開催した。西さんには、今年上梓された「哲学的思考」(筑摩書房)に沿って、現代において哲学することの可能性と意味を、語っていただいた。御著書において展開されたフッサール現象学の意義を中心としたそのお話は、そのわかりやすい語り口と相俟って、実に興味深いものであった。20人余の聴衆は、多くが「哲学的思考」を読み、あるいは以前から西さんの仕事に親しんでおられたようで、会場である4階喫茶室は、小さいながらもひとつの共同体を、なしていた。 ぼくは、遅れてくる参加者もあるので、西さんの語りが始まってからも、ずっと受付にたたずんで、聴いていた。書店員というのは、もともと立ち仕事だから、立ち続けていることは、全く苦にならない。現象学の可能性や西さんの仕事には興味があったから、聴く態勢に若干の違いがあったにせよ、ぼくもその共同体の中にあったといっていい。 しばらくして、ある中年にさしかかったかと思われる男性が、なんとなく気になりげに会場の中を覗いている=西さんの話を聞いている姿が目に留まった。会場に席は空いていたので、参加をお勧めしようかと思ったら、いなくなる。少し後に、また現れて聞き入っている、という具合で、受付係員として、どうしたらよいか、戸惑っていた。 そのうち、一通りの西さんの話が終わり、質疑応答の時間になった。共同体の中からも、執拗な質問が出た。3つめか、4つめの質問への回答が終わった時、件の男性が、会場の外から半ば身を乗り出すような姿勢で、手を挙げた。 ぼくは、迷った。その男性は、参加費を払って話を聞いていた訳では無い。書店の店頭に隣接した喫茶室でのイベントである以上、公式の参加者以外の来店者に声が漏れ伝わることは、回避できない。いわば、立ち聞きを咎めることは、そもそも出来ない。かと言って、参加費を払って下さっている方と、そうでない方とを区別する必要がある。前者が後者を差し置いて後援者に質問を投げかけるなど、許していいものだろうか?だが、かすかに芽生え始めた漠然とした期待を持って、ぼくは「諾。」と判断した。 「神学が論理的になって哲学となり、それが更に論理的となって自然科学となり、現在では情報科学に至っている、のだと思うが、現在の情報科学のあり方について、西さんはどう考えておられるのか?」 そもそも、質問の前提となっている学問観が、違う。学問の推移は、男性が述べたような直線的なものではない。男性が「論理的」という言葉をどんな意味で使っているのかは不明だが、少なくとも数理論的な意味合いだとしたら、西さんがさっきまで話していい現象学的な探求の姿勢とは、おそらく相容れない前提に立っている。まったく違う言語を使って会話をも試みるようなものだ。初学者にもわかりよく哲学を語ることにおいては定評のある西さんも、応答には四苦八苦されていた。
ぼくは、横で見ていて、悪いことをしたかな、とちらりと思った。そもそも参加者以外の質問を受け付けたことが、西さんの苦闘の原因であった。ある種の共同体をなしていた会場内からの質問なら、こうも考え方の背景(現象学的にいうならば、地平、世界観)が異なったものは出てこないだろう。議論も、ある種共通した土俵の上で、繰り広げることができる。 しかし、苦労して説明する西さんにいささか意地悪かなとも思える気持ちを抱きながら、ぼくは、いやかえってよかったのだ、と思い直した。およそ哲学を語るものは、決して仮設された共同体の域内で守られていてはならない。それは、その哲学を窒息死へと至らしめるとさえ言っていい。そのことは、これまでの啓蒙的な仕事を思い起こしても、西さん自身の問題意識の中心にあるとも思えるからだ。男性の、まさに「自然的態度」に「現象学的還元」を施そうと苦闘する西さんには、いきなりの状況への大いなるとまどいと共に、決然とした意志をも感じることができたのである。数分のやり取りでそのような企図が成功したとは言えないが、西さんは、もちろん、会場外からの質問を許したぼくに、非難の視線を洛びせるようなことはしなかった。 |