○第103回(2011/4)

 ジュンク堂書店難波店では、4月24日(日曜日)午後2時から、伊勢崎賢治さん、篠田英朗さんをお招きし、トークセッション「国際NGOからみた日本復興の課題―被災地からの報告―」を開催した。
伊勢崎さんは東京外国語大学、篠田さんは広島大学に籍を置く大学人であるが、共に紛争国の復興事業を担うNPO「ピースビルダーズ」を率いるという顔も持つ。そのお二人が、4月に入って早々に東北地方の被災地に入られた。その時の模様を具体的に報告していただき、平和構築・紛争予防の立場から被災地復興の展望を語っていただいたのだ。

 用意していただいた地図や写真を見ると、二人は郡山から福島を通り、南相馬市を南下、福島第一原発から10キロ地点付近まで近づいている。だが、決してそれは無謀な冒険的行動ではない、と伊勢崎さんたちは言う。二人は、ガイガーカウンターで放射能汚染度を測定しながら、慎重に歩を進めていったのだ。結果的に、南相馬市、さらにはより原発に近い地区の値が取り立てて高いわけではなく、むしろ福島市内や郡山市内の値の方が高かったのだ、という。それは放射性物質が風に運ばれるからで、その後はむしろ地形の方が重要な要素となるからだ。盆地は、どうしても値が大きくなる。

 すなわち、政府が避難勧告の基準とする原発から半径10キロ、20キロ、30キロという線引きは、ほとんど無意味なのである(原発からの距離が意味を持つのは「爆発」の時だけだ、と言う)。

 恐れるべき、防ぐべきは、こうした根拠のない、恣意的な線引き(「東京は大丈夫」という自分勝手なボーダーは、実はアメリカ人にとっては全く意味がない)による風評被害であり、「放射能難民」と呼ぶべき人々の発生である。残念ながらさまざまな差別が加わり、被害者をさらに苦しめていくことは目に見えている(福島から招いたミュージシャンに話を聞いた広島の歌手が、「〈ヒロシマ〉と同じだ」と呟いたという)。

 だから今政府がまずしなければならないのは、机上の画一的な計算をやめ、実際の放射能の値を計測していくこと、そして被災地の人びとにガイガーカウンターを配布することなのだ。そして福島に手を差し伸べたいという人たちがすべきことは、福島に入り、風評を自ら否定してみせることだ。こう、伊勢崎さんと篠田さんは訴える。

 恣意的に引かれた線の代表格は、国境である。伊勢崎さんは今年三月に上梓された『紛争屋の外交論』(NHK新書)で、尖閣諸島や北方領土の問題を取り上げ、〈ソフトボーダー〉即ち国境線の曖昧化=現在の国境線付近の地域を共同の領地とすることを、提唱している。“僕がソフトボーダーを主張してるのは、それが国益になるからです。相手の面子をうまく立てながら、自国の利益につなげるのが外交”、“九条の精神を具体的な外交政策に落とし込めば、それはソフトボーダーになる”と外交のリアリズム、理念面の双方で自らの主張を展開している。

 もともと、この本の刊行を記念して、担当編集者の福田直子さんと伊勢崎さんをジュンク堂難波店にお呼びしてのトークイベントを企画進行していた矢先に、あの大震災が起こったのだ。4月初旬にお二人が被災地に入ったことを知った我々は、テーマを急遽、「被災地からの報告」にシフトした。

 被災地を廻って考えさせられることが多くあった、と伊勢崎さんと篠田さんは口を揃えて言う。半径〇キロメートルという無意味なボーダー、行政区画は言うに及ばず、海と陸のボーダーも、防潮堤、防潮林などで人為的に定められたボーダーだった。それを、大津波は、一瞬のうちに掻き消してしまった……


 同じくNHK新書の新刊(四月刊行)である『日本断層論』は、中島岳志さんが森崎和江さんの来し方を訊ねながら、二人で昭和日本のありようを振り返る対談である。

 “森崎さんは、つねにご自身の現場からいろんなことを考えてこられたわけですが、そこで「断層」というか、一枚岩と言われるものに実は走っている裂け目を、どうつないでいくかを、知らぬ間にずっと考えられてきたと思います。たとえばフェミニズムでは、「「女」の中にもいろんな断層があるにもかかわらず、女は「女」ひと言で一枚岩にされてしまっている。それをなんとかしないと」と言われる。森崎さんは、『からゆきさん』のころ、からゆきさんにも産んだ女と産まない女の断層があると意識されてきた。”と中島岳志は言う。そして、“そんな自己を切り裂く作業を経由したからこそ、日本/アジア、先進/後進、都市/地方、エリート/サバルタン、男性/女性……といった無数の断層を乗り越え、表現を紡ぎ出すことができた。”と。

 思えば、地震とは見えない断層に溜まったエネルギーの爆発であった。恣意的なボーダーの無意味さを突きつけられ、己の無力を思い知ったぼくたちは、自然の大いなる力の前に自らの傲りを悔い改めなければならないとともに、自然から真摯に学ばなければならないことは、多い。


 

 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)