○第104回(2011/5)
5月14日(土曜日)、明治学院大学白金キャンパスで、出版学会の年次総会の後に行われた『緊急シンポジウム 震災と出版』にパネリストとして参加、「阪神大震災からの復興と出版流通」と題して、30分間の報告を行った。震災の年に友人の日沖桜皮君が編集した『阪神大震災と出版』を改めて読み、インターネット上で海文堂書店の平野義昌さんが当時の神戸の書店状況について書かれた文章を発見し、東日本大震災についての『新文化』の記事を整理しての報告だった。
神戸の経験を今回の東日本大震災からの復興にぜひ活かして欲しい、現場に立ち会い、復興に尽力した多くの人々が残した記録と記憶を、ぜひ役立ててほしい、と思うのは、例えば、4月、5月と続けて『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』と『復興の道なかばで―阪神淡路大震災一年の記録』を緊急出版したみすず書房をはじめ、出版に関わるぼくたちに共通した思いだ。とはいえ、否だからこそ、「阪神大震災からの復興」の正確な事実を拾い上げ、今回の東日本大震災との状況の差異を見据えることが、大事なことと思われた。ぼくが95年の震災復興を「神話にしてはいけない」と語ったことを、しっかりと受け止めてくれたのは、そもそもその震災時は京都店にいて震災復興にも間近では立ち合っていないと最初発表を躊躇っていたぼくを、「ある程度距離をおいたところから話してもらった方がよい」と説き伏せた、東京電機大学出版局の植村八潮氏だった。
神戸の書店地図は、震災後、決して「復旧」していない。震災前に三宮〜元町地区に割拠していたコーベブックス、流泉書房、漢口堂、日東館などが、次々と撤退していった。震災の半年後に出店した、当時関西最大規模の駸々堂三宮店も、2000年1月の突然の倒産により、姿を消した。敢えて言えば、この地区では、ジュンク堂だけが生き残った。
そのジュンク堂も、震災を境に戦略を大きく変えた。地域集中のリスクを痛切に感じ、震災直後の大分店オープンを契機に全国展開路線へと舵を切り、97年の池袋、仙台を皮切りに、神戸の書店から一気にナショナルチェーンへと変貌したのである。
神戸全体についても、そうだ。山を削って海を陸地化してきた神戸の政財界が、震災を奇貨として、住民の意志よりも自分たちの意志を最優先させて、都市開発・都市整備を進めたとしても、決して驚くには当たらない。神戸空港という「モニュメンタルな無用の長物」や、最も被害の大きかった長田地区に立つ「あまりに見事なまでに無意味な鉄人二八号」、街角のあちこちに散在する「三国志の石造群像」を挙げ、「神戸は二度破壊された」という論者もある。(塚原東吾『現代思想』2001・5 P203)
また、書籍・雑誌実売総金額のピークが1996年だったことも、忘れてはいけない。つまり、95年の阪神大震災時は、辛うじて右肩上がりの最後の時期だったのである。95年には、書店の惨状を見た出版社の、破損本の通常正味での返品入帖や現物なしでの「みなし入帖」などといった特例的な処置が、書店の生き残りを支えたことは間違いない。今も、出版社に同様の体力があるかどうか?災害の規模自体が違う。また、今回は、出版社が集中する首都圏もまた被災地の一部である。
そうした環境は、出版―書店業界に限ったことではない。阪神大震災は「人々が日本の経済成長の終りという現実をまだ認めることができないでいた時期に起こった」が、今度の地震の前の日本には、「経済的没落という感じが広がっていた」(『現代思想』2011.5号 P23)と柄谷行人は言う。
こうして、復興の困難と危うさを知りつつ、否知れば知るほど、私たちは勇気を持って、未来へと船出していかねばならないだろう。「おそらく、人は廃墟の上でしか、新たな道に踏み込む勇気を得られない」(柄谷 同P25)のだ。
出版・書店業界にとっては、更にもう一つ、16年間を経ることによる変化がある。それは、われわれの商材(メシのタネ)である書物の立ち位置がじりじりと移動(後退?)していることである。即ち、書物の担ってきた役割の一部が電子媒体へと移っていることである。
書物が今回の震災からの復興において大きな役割を果たして欲しいと願う我々の前で、震災の真っ只中から、既にその兆候は現れている。
3・11の翌日、震度六強の地震が襲った長野県栄村からの発信を続けたのは、電子書店「わけあり堂」であった。代表の中川氏は、「震災で流通が麻痺してもネット環境があれば、どこでもすぐに届けることができる。それに電子書籍には品切れがない。当然、地震で棚から落ちることもないし、買い占めても非難されない」と言い、「出版業界は紙との併用で、電子書籍の役割を考え、その利点を最大限に活かすべき」と訴える。(『新文化』2011・3・31号)
大手出版社サイドでも、講談社が、山形県・鶴岡市、宮城県名取市、石巻市の避難所で生活する被災児童の手に絵本3万冊を寄贈する一方、小学館は、震災によって雑誌を入手できなかった読者に向け、ウェブ上でコミック9誌を無料配信した。(同 2011・4・7号)
物流のストップは、「紙の本」にとって致命的なダメージである。「紙の本」は、モノである自身が届けられないことには、それが担うコンテンツも届けられない。道路が寸断され、燃料が不足し、物流の拠点がダメージを受け、被災地への物流が止まったのは勿論、一時的ではあったが、全国レベルで配送体制が揺らいだのだ。
震災をめぐるそうした諸事情が直接影響を与えた訳ではないだろうが、新潮社は、今年4月以降の新刊書籍全点を、発売から半年後に電子書籍化し、「紙の本」の8割の価格で販売する、と発表、講談社も10月に女性誌「VOCE」の電子版などを創刊するなど、電子コンテンツを強化していく方向だ。紀伊國屋書店は、アンドロイドOS搭載のスマートフォンおよびタブレット型端末、少し遅れてiPhone、iPadへの電子書籍の配信・販売を開始している。(それぞれ5/20、6/1〜)(『新文化』2011・5・19号、5・26号)
それでも、本は売れた。仙台市などの被災地において、困難を乗り越えて再開した書店は、前年を大きく上回る売り上げを記録したという。
“阪神大震災は、日本最初の「テレヴァイズド・カタストロフ」である。全国的規模において多量の救援物資と多数のボランティアとを動員させたパワーは、テレビ画面であった。首相官邸でさえ、大幅にテレビに依存していたという。”中井久夫は、『災害がほんとうに襲った時』でこのように述懐している。(P36)
一方で、山崎修(神戸新聞総合出版センター)の次のような証言も残されている。“三月一三日、オリジナルグラビア発売の当日、神戸市内のある有名書店の店頭で、神戸新聞社編のグラビアを手にした中年男性の声が今でも耳に残る。「この本を待っていたんだ!」”(『阪神大震災と出版』P113)
今回は、テレビだけではない。インターネット上では、夥しい量の画像や動画が、素早く、時にはリアルタイムに流れ、多くの人々の目に触れた。
それでも、やはり、震災写真集は、よく売れた。
「紙の本」を求める人は、「紙の本」にできることは、まだまだ多い。
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