○第105回(2011/6)
大澤真幸の個人誌ともいえる『Thinking O』(左右社)第九号(2011年4月発行)の特集は、「天皇の謎を解きます なぜ万世一系なのか?」であった。
ぼくは、その最初の著書『行為の代数学』(1988年)を読んで以来、大澤を同世代の最も優秀な研究者、書き手と評価、ずっとその跡を追い続け、大澤社会学が、いずれユダヤ=キリスト教の考察に向かうことを、かなり早い時期から、確信していた。全3巻を予告しながら、第2巻(1992年)が出てから20年近くが経過した『身体の比較社会学』の第3巻(未刊)は、当然「ユダヤ=キリスト教」を論じることになる、と烏滸がましくもご本人を前にして「予言」していた。大澤社会学のキイワードが、早くから「第三者の審級」であり、その典型的なあり方として、ユダヤ=キリスト教の神を論じない訳にはいかないだろう、という予想は、数々の著作で「第三者の審級」という概念が有効に使用されるのを読み進めるに従って、確かなものとなっていたからだ。
果たせるかな、『群像』に連載された「世界史の哲学」は、まさにユダヤ=キリスト教を主題としたものだし、『生きるための自由論』(河出書房新社2010.10)では「よきサマリア人の話」を引用し、『正義を考える』(NHK新書2011.1)では、サンデルの正義論を乗り越える途を、イエスの「ブドウ園の農民の譬話」や「放蕩息子の譬話」を手がかりに、探求している。
2011年5月には、講談社現代新書で『ふしぎなキリスト教』を出し、橋爪大三郎に対して次々にキリスト教の「ふしぎ」についての質問と「突っ込み」を浴びせかけることで、キリスト教の特徴を炙り出していく。
そうして、「自分自身が否定し、乗り越えるべき先行宗教を、自分自身の内部に保存しているような世界宗教は、キリスト教以外にはありません。」と語り、「キリスト教から脱したと見えるその地点こそが、まさにキリスト教の影響によって開かれている。そういう逆説が、キリスト教のふしぎのひとつ」と見極めながら、世界史が、少なくとも欧米史が、哲学や自然科学・社会科学の発展も含めて、いかにキリスト教を前提としているか、その強い影響下にあるか、を明らかにしていく。
欧米史の前提がキリスト教であるなら、日本史の前提は、「天皇制」である。日本史における「万世一系の天皇」のふしぎは、世界史におけるキリスト教の「ふしぎ」に匹敵する。
大澤は、「天皇は、日本の歴史の最大の謎である。天皇は、いまだに謎のままに現前している。」と説き起こし、「天皇の謎は、その最も顕著な特徴として挙げられている「万世一系」に集約されている」という。「歴史上、世界各地にさまざまな王権が存在していたし、現在でも存続しているが、しかし、日本の王権、つまり天皇制ほどの継続性をもっている王権は、ほかにどこにもない」のだ。それが、「日本の右翼の諸派は、常に、理想の過去を天皇と結び付けてきた」大きな根拠であるだろう。
但し、多くの人が知るように、天皇家がずっと他を寄せ付けない強大な権力を持っていたわけではない。むしろ、日本史の教科書では、脇役である時代の方がずっと長いだろう。だからこそ、その継続性が、謎なのである。
大澤は、「「空虚な中心x―実効的な側近p」の形式が、日本史の中で、執拗に反復され」たこと、そして「中心の支配者としての地位は、多くの場合、世襲され」たことが、継続性の理由だとする。言い換えれば、「空虚な中心x―実効的な側近p」という形式が非常に有効であったことが、謎を解くカギなのである。
大澤は言う。「天皇とは、従属者たちが、臣下たちが自身の意志をそこへと自由に遠心化し、そこに投射することができるような空白の身体ではないか、と。臣下たちは、自分たちの意志を、直接にではなく、「天皇は何を欲しているのか」という問いへの答えとして探求するのだ。客観的に見れば、臣下たちが見出しているのは、臣下たちの主観的で集合的な意志である。しかし、彼らは、それを、「天皇の意志」として発見する。しかし、ほんとうは「天皇の意志」は、臣下たち、従属者たちの間身体的な関係性を通じて、構成されているのである。これこそ、公儀輿論の状況である。」
この時重要なのは、従属者たちは、自分たちの意志を、直接に見出すことはできない、ということである。「それは、他者の意志、天皇の意志という形式でのみ見出される。というのも、「天皇の意志」という形式から独立した、固有の「自分たちの意志」など存在しないからである。天皇の身体に投射し、帰属させることを通じて、従属者たちは初めて、自分たちの集合的で統一的な意志を形成することができるのである。」
まさに第三者の審級の典型的なモデルを、天皇に見いだすことができるのだ。この構造を、天皇の側から見るとどうなるか。天皇にとっても、すべてが「自分の意志」と表明されるにも関わらず、それはみな、従属者の意志なのだ。だからこそ、戦後の昭和天皇は、宮中祭祀に非常に熱心だったのだ、と大澤は言う。宮中祭祀とは、結局、あらん限り時代錯誤的で、まったく無意味な活動である。それでよいのだ。宮中祭祀が表現している意志があるとすれば、それはただ一つ、「断じて自分の意志を確定的に示すまい」という意志のみである。それこそが、「天皇の伝統の非常に忠実な継承」なのである。
対談の中で、佐伯啓思も、次のように言っている。「日本の場合は何かを身につけた人間というよりは、無私の境地、欲を捨て、我を捨てた存在が立派だとみられる傾向があります。私を捨てたときにこそ何か立派なことに貢献できると考えられる。そしてこのイメージは天皇の姿に投影されている。」
大澤はこの稿ではそこまで論を進めていないが、だとしたら、「天皇親政」とは、最も有効な天皇制の構造が崩れた状態だと、言えるであろう。従属者たちの集合的な意志が、「天皇の意志」として「発見」されなくなったとき、そしてその多くの場合がそうであると思われるが、そもそも従属者たちの集合的な意志というものが存在しないとき、あるいは従属者たちが自らの責任で意志を持つことができず全ての責を「天皇の意志」に帰そうとするとき、言い換えれば「空虚な中心x―実効的な側近p」という図式が成立しなくなった場合、すなわち天皇が実際に具体的な権力の全てを掌握したときに、逆説的に、「天皇制」の優位性は、失われてしまうのである。「終戦」(=敗戦)の「ご聖断」とは、まさにその典型的な事例であると言えはしないか。
日本の歴史において、「空虚な中心x―実効的な側近p」という形式は、常にその終点は天皇の身体に置かれながら(それが「万世一系」ということだ)、入れ子状に存在してきたそれぞれの時代の権力構造が、共有している。平安時代;天皇(x)―摂政・関白(p)、鎌倉時代;将軍(x)―執権(p)、室町時代;将軍(x)―三管領・四職(p)、江戸時代;将軍(x)―老中・大老(p)といった具合である。
そういえば、現代の企業も、会長―社長といった形式で、代表されるケースが多い。ひょっとしたらそこにも、天皇制の構造が、無意識のうちに反映されているのかもしれない。だとしたら、企業がうまくいく状態、うまくいかない状態も、上に挙げた天皇制のケースと共通するであろう。
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