○第110回(2011/11)
10月27日、大阪市立大学大学院創造都市研究科の北克一先生から、11月1日のワークショップの案内メールをいただいた。講師は丸善CHIホールディングス代表取締役社長小城武彦氏、テーマはデジタルネットワーク時代のコンテンツ流通戦略−丸善CHIホールディングスの構想と展望−である。
小城さんがどんな話をされるかに勿論興味があり、また会って是非お話ししたいこともあって、大阪駅前第二ビル6階にある大阪市立大学の梅田キャンパスに出かけた。
大阪市立大学の梅田キャンパスには、以前から不思議とご縁がある。1990年代、京都店時代に、『誘惑論』の書評を介して親しくなった立川健二氏の紹介で、氏の大阪市立大時代の教え子さんたちが運営していた「現代言語論研究会」に参加するため、毎月通っていた時期もある。2007年にすぐそばの堂島にある大阪本店に異動してからは、ぼく自身も講演させていただいたり、ここで少し話をしてから学生さんたちを大阪本店にご案内したこともあった。
ワークショップ会場の101号教室を覗いてみたが、開始までまだ30分近くあったためか、小城さんも北先生もいらっしゃらず、回廊をうろうろしていたら、携帯電話中の男性に出会った。何と、湯浅俊彦氏であった。
湯浅さんは旭屋書店退職後、この大阪市立大学大学院で修士号、博士号を取られた。指導教官は北克一先生である。今は立命館大学で図書館学を教えている。この場所にいて、何の不思議もない。
電話を終えた湯浅さんも、ぼくの姿を見て驚いた。状況を説明すると、「お二人がどこにいらっしゃるか見当はつきます。一緒に行きましょう。ぼくは残念ながら今日のワークショップには参加できないのだが、小城さんにご挨拶だけはしておきたくて、来たんです。」と言い、ぼくを連れて談話・休憩室に向かった。そこは卒業生などの関係者しか立ち入れない部屋だったので、この偶然の出会いは、助かった。
果たせるかな、小城さんと北先生がソファに座って話しておられた。ぼくら二人が一緒に入って来たのを見て、お二人は少し驚きながら、歓迎してくださった。小城さんと初対面の湯浅さんは、名刺交換し、二、三言葉を交わして去られた。
北先生との話が途切れたときに、ぼくは小城さんに「会って是非お話ししたいこと」を言った。
「カネボウのKを覚えていらっしゃいますか?彼はぼくの高校演劇部以来の友人でありで、劇団でも一緒に芝居をした仲間なのです。今年の夏、同窓会で10年近く振りに会った時に、かつて小城さんとご一緒だったと話してくれたものですから。」
Kは、カネボウで経理の仕事をしていた。2004年カネボウの粉飾決算事件はニュースで知っていたが、Kのことは気になりながらも、長く連絡を取ってはいなかった。当時Kはかなり苦労したようだがその難局を乗り切って、今でもカネボウを引き継いだクラシエにいる。事件発覚の後、2004年11月にカネボウの新社長に就いたのが、小城さんだった。そんな話を、同窓会の日に久しぶりに会ったKがしてくれていたのである。
「へえ、そうでしたか。カネボウでは、K君は、ぼくのすぐそば、そのあたりで仕事をしていたんですよ。」と隣のソファを指さしながら、小城さんは相好を崩された。
開演の時間となり、一緒に会場の教室に戻ると、席は参加者で埋まっていた。
小城さんは、まず簡単な自己紹介を行い、社長を務める丸善CHIホールディングスの概要を語った。ジュンク堂も、その傘下にある。
そのあとおもむろに、小城さんは、見てきたばかりのフランクフルト国際ブックフェアについての報告と感想を述べ始めた。書物をめぐる海外の変化は、小城さんが思っていた以上に衝撃的だったのだ。
まず、電子書籍について、もはや是非を問う時期ではなく普及期に入って来たことを痛感したと言う。特に、アメリカでは紙の書籍→電子書籍のreplaceの進行が驚くほど速いと、ショックを受けたのだそうだ。そうして感じたのが、今更ながらにアマゾンの存在感。但し、一時かなりの劣勢に陥っていたバーンズ&ノーブルが電子書籍端末nookを軸に市場を奪還、巻き返しを果たしたらしい。
但し小城さんは、アメリカの事情がそのまま日本にあてはまるわけではない、と付け加えた。まず人口あるいは面積当たりの書店数が圧倒的に違う。アメリカでは、自宅から書店へ行くのに車を飛ばして1時間以上、という環境が普通である。会社帰り、学校帰りに気軽に書店に立ち寄れる日本とは、わけが違う。また、アメリカでは自動車通勤が普通で、日本では当たり前の通勤電車で本を読むという習慣がない。「通勤電車で読むには、やはり電子書籍端末ではなく、紙の本だ。」と小城さんは言う。
とはいえ、日本でも電子書籍のシェアは徐々に大きくなってきている。恐ろしいのは、紙→デジタルというreplaceが、即店舗→インターネットというreplaceへと繋がるところだ。小城さんは、電子書籍の世界でのrecommendationでは読書の範囲が広がらないことを指摘する。書店の書棚には、明らかに広告機能、販促機能があるのだ。書店という環境を残せるかどうかが、書物(紙の書物はもちろん、そのコンテンツを含めて)にとって、引いては出版社にとっても死活問題なのではないか、と小城さんは言う。ところが、そうした危機意識を持つ出版社は少なく、本音の部分では、書店という中間業者の存在はもはやどちらでもよいと安易に考える向きが多い。
丸善CHIホールディングは、紙の本(書店売りと通販)、電子書籍すべての分野で、どれにも等しく積極的に取り組み、前進していきたいと小城さんは宣言された。確かに、傘下に収めた企業群に、それぞれの分野で活躍できるところがある。replaceではなく、共存共栄、或いは相乗効果を目指す。だからこそ、傘下の企業の一つであるジュンク堂は、これまで同様、否これまで以上に、紙の本を売ることにこだわっていくべきなのだとの確信を、ぼくは深めた。ある程度の電子書籍化によって各家庭の書棚が空いてこないと、紙の本は売れないのだ、という観点が、面白かった。
それにしても、やはり恐るべきはアマゾン、と小城さんは言う。キンドル日本版も延び延びで、鳴りを潜めているアマゾンが、日本に対して再び攻勢に転じるのは間違いない、と。
そうしたこともあり、前から気になっていた『アマゾン・コムの野望 ジェフ・ベゾスの経営哲学』(脇英世著 東京電機大学出版局)を読んだ。日本中が「ジョブズ」本に沸き立つ中、ぼくは「ベゾス」本を読んでいたのである。
改めて思うのは、ジェフ・ベゾスが本を売るためにインターネットを使ったのではなく、インターネットで販売する商材を探していて本に行き着いた、ということだ。
「検討を続けているうちに浮上してきたのが、意外なことに(二〇ほどの)リストの後ろのほうにあった本であった。本の流通には、音楽CDの場合とちがって絶対権力をもつ大手が君臨していなかった。」(P56)
「私は書店業界については何も知りません。何もです。正直に言いたいと思います。でも私はあなたにこれだけは言っておきたいと思います。私はここで本を手に入れることができ、私はそれをカスタマーに届けることができ、レンガとモルタルでできた旧来の本屋のことなんかわすれることができるのです。私がなすべきことはインターネットのサイトを構築することだけです。……」(P88)
恐らく、このシンプルさが、アマゾンの最大の強みである。
そして、「コツコツとあらゆる特許申請を書く
」(P184)ことによって、また、果敢な買収戦略を繰り返すことによって、ライバルたちを時になぎ倒し、時に吸収して、急速な成長を遂げた。どんな本を売ろうか、という問いは、たぶん埒外である。アマゾンはやはりIT企業なのであって、ぼくらが思い入れを持つ「書店」ではない。
アマゾンのもう一つの強みは、「在庫を持たないこと」であった。しかし、急成長と共に、そうも言っていられなくなる。
「もともとのアマゾン・コムの思想は、無店舗販売で、物理的な店舗をいっさい持たず、在庫ゼロということだった。ある意味で、いかなる形態でも土地や建物を所有しない完全にバーチャル(仮想的)な世界の会社であろうとしていたように思われる。しかし、これには無理があり、ある時点からアマゾン・コムのは猛烈な勢いでフルフィルメントセンターとウェアハウスを増やしていく。」(P296)
その極め付きこそ、電子書籍端末キンドルなのだ。
「ハードウェアにはつねに在庫の問題がある。在庫を少なく押さえれば危険は減るが、注文に応えきれない。在庫が過剰だと圧倒的に危険である。アマゾン・コムの強さは、オールモスト・ジャストインタイムで在庫がほとんどないということにあったが、キンドルはアマゾン・コムの足かせになってしまったという感がある。」(P268)
蔵書で場所を取られなくても済むサービスを読者に提供するための機器が、アマゾンに在庫と場所の問題をもたらした、皮肉と言えば、皮肉な状況である。
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