○第112回(2012/1)

 毎年、センター試験(今年は1/14、15)が終わると、大学入試過去問集即ち赤本が、飛ぶように売れる。このころには、大学によってはかなり品薄になっているし、配本の地域格差は(露骨に?)大きいから、まさに「先を争って」買いに来る、という表現があてはまる。また、在庫がある店には全国から代引配送の依頼が来るから、文字通り「飛ぶように」売れると言えるのだ。ジュンク堂難波店には、朝受けた注文品をその日のうちにお届けする「お急ぎ便」サービス(近畿圏のみ)があるが、そこにもどんどん注文が入ってくる。センター試験の出来不出来で受験校を絞り込んだ受験生としては、一刻も早くその大学の赤本は入手したいところだから、「お急ぎ便」の利用が増えるのも、「むべなるかな」と言えるだろう。


 店の商品が売れていくのはもちろんうれしいことだが、そうした赤本「特(?)需」に対応していると、店頭の風景がいつもとすこし違って見えてくる。端的にいえば、「売場」ではなく、「倉庫」に見えてくるのだ。

 「お急ぎ便」や代引配送で、来店者でない遠くのお客様のご要望に応えるために店の中を走り回っていたら、そこが「売場」ではなく「倉庫」であるのは当然かもしれない。そもそも「お急ぎ便」が対抗しているわれらが「好敵手」アマゾンが、一刻も早いお届けという顧客サービスのためにあちこちに造っているのも、決して「売場」ではなく、「倉庫」である。

 そこが「倉庫」であって「売場」でないのは、お客様が決してそこにはいらっしゃらないからである。来店数の減少は、即「売場」機能の後退である。もしも、ネット通販などの売り上げが、小売部分の減損をおぎなっていたとしたら、その書店空間が、その分だけ「売場」から「倉庫」化した、と言ってよい。

 それは、インターネットやPC端末の発達によって、読者が書店に赴かなくても本を手に入れることができるようになった環境の変化に即した業態の変容というべきかもしれない。家や研究室・職場にいながら書物を手に入れる、そうした読者のニーズの高まりに応じて専門の業者も生まれてきたし、いわゆるリアル書店側もネット通販のしくみを整えてきた。そうした対応は、商売として当然のことである。

 しかし、ここで忘れてはならないのは、読者が書店に赴かないことによるデメリットである。読者と書店双方のデメリットである。

 読者にとっては、書店に赴かないことによる、思いもよらない書物や世界と出会う機会の逸失、書店にとっては、―ちょうどその裏返しであるが―書物と読者の偶然の出会いによる販売機会の逸失である。

 もちろん、書店に赴くか赴かない(通販で済ませる)かを決定するのは読者だから、先手は読者が握っていると言える。一見、書店は読者の意向に合わせるしかないように思われる。

 だが、その読者の決定を左右するのは、書店のありようであることを忘れてはいけない。読者が通販を選ぶのは、書店へ赴かないことのデメリットをさほど大きく積算しないからである。裏返して言えば、読者にとって書店へ赴くことのメリットが十分に大きければ、たとえ家に居ながら書物を手に入れることができたとしても、読者は書店へ赴くことを選ぶ筈なのだ。その意味で書店のありようこそ、読者の第一手を決定づける、第0手なのである。そのことに気付かず、日本「上陸」から数年で書籍通販は言うに及ばず書籍販売そのものにおいても圧倒的なシェアをもぎ取っていったアマゾンの後追いをしていては、うまみも面白みも無い。

 一方、「お急ぎ便」は楽しいし、それ以外の全国からの引き合いも、「品揃えの良さ」を第一の目標とするジュンク堂の大型店としては、嬉しい。その時、否が応でも書店現場が「倉庫」としての役割を担うことを、決して否定的に見ているわけではない。目指したいのは、「倉庫」であり、かつ「売場」でもあるということなのだ。

 否、「売場」であり、「倉庫」でもあること、と言い直そう。書店は、第一には、読者が訪れることを楽しみにしている魅力的な「売場」であり、その上で、遠方に住んでいる、出かける時間が取れない等の理由で、或いは急ぎで必要な時には宅配サービスを利用することもできる、という順序での二枚腰を目指したいからである。


 その順序を忘れてしまった時、書店はアマゾン追撃のための何よりの武器を放棄することになり、通販業務のノウハウ、ユーザー数において大きく差をあけられているアマゾンの後塵を拝しつづけることになるであろう。

 ところが、現在の書店現場では、宅配業務に関係のないところでも、「倉庫」化が進んでしまっているような気がするのだ。それは、例えば、売行き良好書の冊数獲得のみに血道を上げる、あるいはひたすら売場の面積拡大、在庫点数の多さのみを目指し、顧客の獲得、即ち読者の来店動機の拡大という大切な仕事を、忘れてしまった書店現場を言うのである。本当に大事なのは販売冊数であり販売点数であることは自明な筈であり、そのために必要なことは、まず何よりも読者の来店だということも、然りである。

 今の書店現場を見ていると、書店員じしんが、むしろ「倉庫」化のための仕事に重きをおいている、否「倉庫」のための仕事がその大半を占めているようにしか思えないことが多い。

 例えば、補充品の棚入れの際、まず検索機でISBNを入力してその本を入れるべき棚を確認する、新刊を棚に入れたらすぐにその棚番号を登録する、問合せがあれば何を措いても検索機のキーボードを叩き、置いてある場所を確認する……。何よりも正確さ、それも登録した数字と置いてある場所の対応の正確さが大事なので、その場所に置くのが来店されたお客様に対して親切なのか、刺激を与えるかなどは、二の次というよりも、頭に浮かばない。

 お客様から声をかけられ、お問い合わせをいただいても、必要最小限の情報だけで、すぐに検索画面に向かおうとする。そして訊ねられた本を見つけ出してお渡ししたらそれでお終い。お客様と交わす言葉はわずかである。折角のコミュニケーションのチャンスを、みすみす逃す。お客様が来店下さる「売場」にいる書店員にとって、それは余りにももったいないことだ。何故なら、お客様が何を求めていらっしゃるかは、必要最小限の情報ではなく、お客様とお話しする中から答えを得られることが多いのであり、さらには、最も重要で「売場」に活かせる情報は、出版社やマスコミからではなく、お客様からもらえるものだからである。

 登録した数字と置いてある場所の対応の正確さが大事なのは、「倉庫」である。アマゾンの流通倉庫がそうであるように、「倉庫」にとってそれ以上に大切なものはない。

 「売場」にとっては、違う。「売場」に求められるのは、来店されたお客様の歓待であり、お客様への親切・刺激である。お客様を刺激する新刊が出るたびに、元のコード体系そのものが揺るがされる筈だ(そうでなければ、その本は読者を刺激しない)。そのことに悩みながら、棚のあり様を少しずつ改変していくのが、棚担当者の仕事である。そういう仕事にとって、そして商品の仕入れそのものにとって、お客様とのコミュニケーションは、何よりの糧となる。のみならず、そうしたコミュニケーションそのものが、お客様の来店欲を生み出し、来店動機を強化することも多い。積極的なコミュニケーションはまた、書店員の接客スキルを大いに向上させる。

 繰り返そう。お客様に来店頂くこと、一度来店されたお客様に「また来よう」という思いを抱いて返って頂くこと、そうしてリピーター、ファンを増やすこと、そのことを通してしか、「売場」の成長は、無い。
内田樹が、『街場のメディア論』で、「天職」=「召命」を引き合いに出しながら、仕事とは基本的に「他者」の要望に応えるもので、そのことによってのみ才能は開花も成長もする、と言っている通りである。書店現場において「他者」とは、言うまでもなく来店されたお客様である。

 今、多くの書店員の仕事は、「売場」ではなく「倉庫」の為の仕事となっている。実はこのことは、書店SA(ストア・オートメーション)化が議論されはじめた20年前(POSレジ導入前夜)に、既に危惧されたていたことであった。SA化反対論者の人たちはもちろん、SA化推進派であるぼく自身も、コンピュータ導入は両刃の剣であり、使い方・考え方を誤るととんでもない結果を生む危険は、十二分に感じていた……。(以下次号)

 

 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)