○第117回(2012/6)

 5月31日に、大阪大学の赤尾光春先生から、今度『ディアスポラの力を結集する』という本を出すのだが、その記念トークセッションを難波店で出来ないか、という電話をいただいた。松籟社から刊行されるその本自体が、2009年2月6日に、ボヤーリン兄弟の『ディアスポラの力―ユダヤ文化の今日性をめぐる試論』(平凡社)の翻訳刊行をきっかけとして赤尾氏らによって企画開催されたシンポジウムの討議記録を中心に編集されたもので、その本を巡るディスカッションを更に書店で行いたい、との提案である。通常出版社から、或いは出版社を通してなされることが多いそうした依頼を、編著者として自らいきなり書店に持ち込んできた赤尾氏は、話してみてもさすがに意気盛んで、パネラーもすぐに集めることができるとのことであったので、5月27日(日)に行った檜垣立哉×岡本源太トークにまずまずの人数を集めることができて気を良くしていたぼくは、二つ返事でOKし、6月24日(日)17:00からの開催を決定した。

 数日後、見本出来の段階で、松籟社から『ディアスポラの力を結集する』が送られてきた。さっそく読んでみると、一応言葉としては知っていて、書棚に並ぶ背表紙でも目にしていた「ディアスポラ」という概念の、言ってみれば世界史全体を貫く奥深さと、オルタナティブを見据える可能性を感じ、とても勉強になった。

 「ディアスポラ」とは、世界史の教科書に沿っていえば、“紀元前六世紀のバビロン捕囚後のユダヤ民族が被った強制的離散”であるが、イエス=キリストの死後、紀元70年、ローマ帝国によるエルサレム陥落=神殿破壊による、近現代に至るまで続くユダヤ民族の離散を言うこともあれば、1492年、キリスト教徒がイスラム教徒からイベリア半島を奪還した「レコンキスタ」で、イスラム教徒同様ユダヤ人も追放され、「マラーノ」=「隠れユダヤ人」としてオランダその他に離散したことを含めることもある。かのスピノザがその一人であり、その後の西洋哲学のビッグネームとしてユダヤ人が並ぶ端緒とも言える。

 こうして世界史の進展と共に含意が厚くなっていく「ディアスポラ」だが、この言葉がユダヤ民族の離散に充てられたのは『七十人訳聖書』(紀元前三世紀)における転用がその嚆矢であり、もともと「ディアスポラ」というギリシャ語は、古代ギリシャ人の入植活動および戦争による離散の両方に用いられていた。

 当初からそのような両義性、多義性を持つ「ディアスポラ」が、時代を下るにしたがって、今度は「ユダヤ人の離散」から様々なことがらに転用されていく。「レコンキスタ」の1492年は、奇しくもコロンブスによるアメリカ大陸発見の年であり、近代の奴隷制、そしてアフリカ黒人の奴隷化・アメリカ大陸への強制移住の起点でもある。それを「ブラック・ディアスポラ」と呼べば、その規模は狭義の(ユダヤ人の)「ディアスポラ」を上回る。

 フランス革命を経て「国民国家」の時代を迎えた19世紀、「ディアスポラ」は、「国民国家」の対立概念であると同時に「国民国家」を正当化するために不可欠な概念とされるようになる。そして帝国主義=世界の植民地化や「東西対立」は、更に多様な「ディアスポラ」を生む。2007年、やはり同名のワークショップを基に編まれた『ディアスポラから世界を読む』(明石書店 2009年)には、アルメニア人、モンゴル系カルムイク、雲南ムスリム、韓国華僑、在日朝鮮人、山谷などの、さまざまな「ディアスポラ」の報告が寄せられ、付録として収められた、「ディアスポラ」概念そのものの「離散」を論じた『ディアスポラのディアスポラ』(ロジャーズ・ブルーベイカー)で締められることとなる。

 この付録は、決して「ディアスポラ」概念そのものの「離散」を批判したり揶揄するものではなく、「ディアスポラ」を、“境界づけられた集団としてではなく、むしろ実践、事業、企図、態度などのカテゴリーとして扱う”ことによって、“移民や同化に関する目的論的、国民国家手主義的な理解に対する代替案を用意”せしめることを目指す。これは、『ディアスポラの力を結集する』の副題として、『ブラック・アトランティック』のギルロイ、「サバルタン」のスピヴァクと共に列挙されるボヤーリン兄弟の主張=“ディアスポラが教えてくれるのは、土地を支配せずとも、ましてや、他の民族を支配せず、彼らから土地を奪う必然性をつくり出さずとも、一つの民族が独自の文化を保持することは可能であるということ”にも通底するだろう(ボヤーリン兄弟は、シオニストらによって貶められてきた、疎外を余儀なくされ、無力でみじめな否定的ディアスポラ観から、ユダヤ人にとっての創造性と倫理性の源泉としての肯定的ディアスポラ観への価値転換を図る一連の試みで知られる)。

 多様な「ディアスポラ」の力を結集するように、イベントには多彩なパネラーが集結、それぞれの立場から見た「ディアスポラ」を、熱のこもったトークを繰り広げた。イギリスのカルチュラル・スタディーズが専門で、サッカーや人種差別にも詳しい小笠原博毅神戸大学准教授、カルチュラル・スタディーズ、ポピュラー音楽研究を専門とし、『レゲエ・トレイン ディアスポラの響き』(青土社)の著者である鈴木慎一郎関西学院大学教授、そして専門はドイツ思想で、ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』(岩波書店)他の著書がある細見和之大阪府立大学教授という面々である。

 多義的な「ディアスポラ」の意味の拡張は、ぼくの中で、様々な繋がりを連想させた。ディスカッションを聞きながら、ぼくは、5月27日のトークセッションで、自著『ヴィータ・テクニカ』について熱く語る檜垣立哉教授を思い出していた。

 「西洋哲学は、自分が親から生まれたという当たり前のことを、拒絶する。私たちは生物学的身体を持って存在するしかない、ということを認め、社会を群れと捉えて、群棲とか集団性に結びついたかたちでの哲学のあり方に、我々が〈いる・生きている〉ということを引き戻して考えなければいけないのではないか?」

 様々な方向に「種」をまくという意味を持つ(この「種」には植物におけるそればかりか、動物や人間の「種」も含まれる)ギリシア語の「ディアスペレイン」に由来し、生殖と初めからつながっている「ディアスポラ」と、現代哲学の「生態学的転回」との連結点である。

 ”そもそも、古く狩猟を中心とした遊動生活から農耕を中心とした定住生活へのいわゆる「定住革命」以来、人類は、〈暇と退屈〉に悩まされてきた”とする國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社 2011年)の議論も頭をよぎる。
そして、「福島第一原発災害は20万人以上の「ディアスポラ」を生んだ」と語る赤尾氏の言葉に、7月22日(日)に予定している、安冨歩先生の「原発危機と『東大話法』」をめぐるトークイベントへと思いを馳せる。

 トークセッション終了後、ぼくは会場に向かって、「今「大阪」フェアを行っている人文書のフェア棚で、その「大阪」フェアの本とも絡めて、「ディアスポラ」フェアをやります。」とアナウンスした。『ディアスポラから世界を読む』では、「山谷」に一章が割かれている。東に「山谷」あれば、西には「釜ヶ崎」がある。昨秋酒井隆史著『通天閣』(青土社)、『釜ヶ崎のススメ』(洛北出版)が相次いで出版されて以来、半年以上にわたり、酒井氏のトークイベント、ブックフェア、写真展と、こだわり続けた「大阪ディープサウス」と「ディアスポラ」が合流するのである。

 こうした連携の起点はすすべて、それぞれの本が刊行されたことである。そして、それを実際に読んで見ることによって、企画イメージが膨らんでいく。それらがかたちづくり、時代を写しながら時代を変えていく力を生んでいく連帯の輪の結節点となるのは、著者や編集者が手塩にかけた汗の結晶である一冊一冊の本なのである。


 追記 思い起こせば、神戸を発祥とし関西で店舗展開していたジュンク堂書店が、「一地域に集中していてはいざという時に危ない」と思い知らされて全国展開へと舵を切った契機は、1995年の阪神淡路大震災だった。定義を広く取れば、それも一つの「ディアスポラ」と言えるかもしれない。ならば、ぼくたちもまた、「土地を支配せずとも、ましてや、他の民族を支配せず、彼らから土地を奪う必然性をつくり出さずとも、一つの民族が独自の文化を保持することは可能である」という肯定的、積極的な「ディアスポラ」に学びたいと思う。


 

 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)