○第122回(2012/11)
11月19日、米・アマゾンのKindleがついに日本で発売となった。それを受け、楽天新型「kobo」をはじめタブレット端末も含めて各社、続々と新型を投入。Kindle上陸とともに電子書籍市場の爆発に期待した人々も多くいただろうが、その意に反して「市況は思ったほどには盛り上がっていないのではないか。その原因はどこにあるのか。」
『新文化』編集部のそうした問いかけに、クリエイシオン高木利弘代表が「2010年は本当の意味で「電子書籍元年」と呼ばれるにふさわしい年」と答える(『新文化』11月22日(2960)号)。「国際的な電子書籍の標準フォーマットであるEPUB3が実用化され、楽天のkobo、Googleplayブックス、アマゾンのKindleストアがオープンし、iPad
miniも登場した。」ところが、「その割には今一つ「電子書籍ブーム」が起こっていない。」
高木は、その理由を、電子書籍の価格決定権をめぐるアマゾンと出版社の攻防に見る。アマゾンは、米国同様に、ストア側が価格決定権をもつ「ホールセール・モデル」の契約を出版社に迫ったが、多くの出版社は、自分たちが価格決定権をもつ「エージェンシー・モデル」による契約を主張、その結果アマゾンは両方の契約を用意し出版社が選択できるようにしてKindkleストアのオープンに漕ぎ着けたのである。
だが、アメリカの電子書籍市場を急速に拡大したのは、アマゾンの赤字をも厭わないバーゲンセールであった。それは、紙の本のネット書店を始めた頃からのアマゾンの「伝統」である。「1995年にアマゾンを公開したとき、ベゾスはすべてを割り引き対象にした。特にベストセラーのトップ20タイトルほどは、定価の30%引きと損失覚悟の目玉商品にした。」
(『ワンクリック ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛』リチャード・ブラント 日経BP社2012年)
買い手は、少しでも安いものを選択して買う。これが経済学の原則であり、前提である。「世界一の小売店」をつくろうとしたジェフ・ベゾスが第一に依拠したことである。商材として本を選んだのも、特別な思い入れ故ではない。「本というのはある面でものすごく特徴的です。つまり、製品の豊富さという面で本は圧倒的なトップなのです」(『ワンクリック』P69)と、ベゾスはを端的に語っている。PCが普及し、インターネット環境が整って多くの人がアクセスるようになった1990年代に相応しい商材として、ベゾスの炯眼に捉えられたのが本だったのだ。「書籍のカタログ通信販売が人気なのもバーチャルな書店でやっていける可能性を示唆していた。」(『ワンクリック』P70)
だから、ベゾスには本に対する「物神崇拝」は、無い。企業の目的は顧客の獲得であり、経営とはそのための方法を考え、実現することである。ベゾスにとって、値引きは、読者が喜び、アマゾンを利用してくれる理由となるならば、極めて有効な方法だったのだ。
もちろん、ベゾスには値引きだけではない様々なサービスを考案し、実現する能力があった。だから電子書籍の戦場に立っても、彼は自信をもってこう言うのだ。
「現代の消費者向けエレクトロニクス市場においては単なるデバイスをつくっても成功することはできない。タブレットをつくっている会社の多くは単なるタブレットをつくっている。サービスがつくられていない」(『出版新聞絶望未来』山田順 東洋経済新報社 2012年 P42)。山田順はベゾスのこの言葉を次のように引き取る。「どんなイノベーションも新しいビジネスモデルも、実際のビジネスとして成立させなければ、資本主義社会において時代を変えることにはつながらない。つまり、そこに多大な資本をつぎ込み、多くの犠牲を払って変革していく起業家なり、組織なりが必要なのである。アメリカでは、この役割をアマゾン1社が引き受けた。」そして「日本ではいまのところ、そんな組織も会社もない」と(『出版新聞絶望未来』P49)。
「ベゾスのやり方は「競合他社より多くのイノベーションを実現し、顧客が望むものを提供する」で、実現は難しいが方針そのものはシンプルである。事業を立ち上げてしばらく経過し、経営が安定すると、企業はこういう初心を忘れることが多い。利益や株価ばかりを気にして、価格の引き上げと人員の削減が勝利への道だと考えるようになる。ベゾスは、このようなまちがいを犯さない。」(『ワンクリック』P154)
ジェフ・ベゾスの力の、それゆえわれわれ日本の書店業界にとっての脅威の根源は、徹底して「顧客が望むものを提供する」その単純さである。赤字をも省みない「値引き」をはじめとしたサービスで、〈顧客の喜ぶことをする→顧客を獲得する→売上げが伸びる→儲かる〉という1次方程式を、但し徹底的に追及するSimpleさであり、それが決してぶれないことなのだ。これは簡単なようで、非常に困難なことである。だから、「アメリカではアマゾン1社、日本にはいまのところ無い」のである。
実際「1999年は7億2000万ドルの赤字で、累損は20億ドルに達していた。この金利負担だけで1億2500万ドルにのぼる。」(『ワンクリック』P166)それでも、アマゾンの株価は上昇し続け、そのおかげで、ベゾスは、地上最高の小売企業を作るという壮大な夢の実現に向け、倉庫の建設、在庫の増強、企業の買収ができるだけのキャッシュと資本を得た。
こんな企業が、日本に、否アマゾン以外に、あるだろうか?毎年赤字を脹れあがらせても、顧客獲得にまっしぐら、損得抜きで突き進んでいける企業が。
立ち上げ期から「少人数のアマゾンチームが重要な点を見失うことはなかった―顧客の財布から少しでも多くしぼり取ろうとするのではなく、顧客のニーズを重視し続けたのだ。顧客が気に入る点と気に入らない点に注目した。アマゾンが幸先のいいスタートを切れたのはこのアプローチのおかげであり、このアプローチはその後も灯台としてアマゾンの進む道を照らしていく。」(『ワンクリック』P111)
実のところ、アマゾンが乗り込んで来たら、対抗できる電子書店は無いのではないか、とぼくは密かに予感していた。長く再販制を維持してきた出版業界の商慣習もあってか価格設定に関しては「エージェンシー・モデル」が認められたものの、今後の販売動向によってどう変化していくかは、予想できない。まして、ベゾスがどんな連立方程式を仕掛けて来るかは、誰にも分からない。だが、ベゾスなら、「顧客が望むものを提供して顧客を獲得する」という基本が、ブレることはないだろう。そして、電子書籍には、再販制は無い。
「すごいアイデアひとつで業界を変えることはできない。たくさんのアイデアとほぼ完璧な実行、そして根性が必要だ。ベンチャーキャピタルから資金を調達したあと、ベゾスは、ハロウィーンでお菓子を集めて歩く子どものように人を集め、ウェブサイトに機能を追加していった。」(『ワンクリック』P136)
そのようにして、ベゾスは実際に業界を変えていった。アメリカでは、「キンドルの発表を境に、出版界の関心は「読者は電子書籍を望んでいるのか?」から「読者は今後、物理的な本を読みたいと思うのか?」へ移った。ジェフ・ベゾスはキンドルで出版界を根底からひっくり返してしまったのだ。」(『ワンクリック』P192)
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「米国では、Kindleストアが売れ筋タイトルについて徹底したバーゲンセールを行ったにも関わらず紙の書籍市場はさほど大きな縮小をしていない。そして、電子書籍市場は、このバーゲンセールによって成長が加速されたのであった。一方、日本の場合は、Kindleストアが上陸する以前から、紙の書籍市場の縮小に歯止めがかからない状態になっている。だとすれば、一刻も早く電子書籍市場の拡大を図るべき」(『新文化』2960号)と、高木は言う。
「新聞、出版などのプリントメディアが生き残るには、まずデジタルメディアに生まれ変わること。そして、デジタルでも紙のときと同じように収益を上げること。この道しかないようだ。」(『出版新聞絶望未来』P194)と山田順も言う。
アメリカでこの変換を現実化したのは、アマゾンだったと言って過言ではない。だとしたら、日本の出版=書店業界も、Kindleという黒船を受け容れ、その後ろ盾で「維新」を遂行するほか、道はないのだろうか?
気づいてほしい。日本側の二つの文章はあくまで市場を、業界を守るために出版物のデジタル化を提唱しているが、ベゾスは徹底的に顧客の立場に立っている。これが何よりも重要な点であり、これでは、日本側に勝ち目は無い。
あとは、ベゾスが宇宙に飛び立ってくれるのを待つしかないのだろうか?(これは、あながちあり得ない話ではない。2000年、本体のアマゾンがばらばらになりそうに見えた時期に、立ち上げた「ブルーオリジン」は、本気で過酸化物と灯油による推進システムで乗客を宇宙空間と大気圏の境目、さらには周回軌道まで連れていこうというプログラムを推進しているからだ。高校生総代のスピーチで「宇宙旅行を安全・低料金で実現してみたいと思うのです」と言ったことを、ベゾスは本気で現実化しようとしているのだ。「多くの人が宇宙へ行けるように、また、人類が太陽系の探査を継続できるように、我々は、辛抱強く、一歩ずつ、宇宙旅行のコスト削減に取り組んでいます。」ここでも、ベゾスは、間違いなく本気である(『ワンクリック』P248〜)。)
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