○第124回(2013/1)

 ジュンク堂京都BAL店が、1月末をもって一旦閉店となった。ビルの解体・増築のためだからいかんともしようがないとはいえ、淋しさは否めない。それは、自社の支店のひとつが姿を消すことよりも、四条河原町の変貌から来る淋しさである。

 35年前、大学生として京都に住み始めたとき、四条河原町は紛れもなく「本の街」だった。いや、子供の時分、東福寺の塔頭の一つである祖父の家にお正月や夏休みに必ず数日間遊びに来ていた頃から、父に連れられて四条河原町の書店を巡っていたから、「本の街」の記憶はもっと前に遡る。

 京都丸善があった。駸々堂京宝店があった。オーム社が、京都書院があった。小さいがその性格が明確だった、共産党系のミレー書房、そして山の本で有名だったその名は何故か海南堂という店もあった。萬字堂、そろばん屋……。

 ジュンク堂が京都に進出した1988年にも、その風景は健在だった。ぼくらは、まさに激戦場に赴く覚悟をもって、上洛した。

 京都の書店現場の人たちは、ぼくたちを暖かく迎えてくれた。最初の年の年末に駸々堂の人たちが主要メンバーを自店の忘年会に呼んでくれ、それが後の、書店、出版社、取次が100人以上集まる「ザ忘年会京都」へと発展していく。それだけ、京都の書店の世界は、懐が深かった。それは、多くの書店がそれぞれの特色を出して共存できたからであり、つまりは京都の読者の懐が深かったということである。上洛した地方・小出版流通センターの川上賢一社長は、「四条河原町は、第二の神田神保町たるべし!」と檄を飛ばされた。

 それが……。

 1997年、仙台店に移り、2000年から池袋と、ぼくが約10年間東国にいる間に、四条河原町は、大きく様変わりした。大小を問わず書店の多くが閉店した。駸々堂は倒産し、京宝店のあとにはブックファーストが入ったがやがてビル建て替えのため撤退、京都丸善は、何とカラオケ屋になってしまった。結果的に、界隈の大型店としては、四条富小路の京都店とBAL店のジュンク堂2店が残った。「ライバルがいなくなって万々歳!」などとは、とんでもない。2店合わせても、かつて書店で賑わっていた90年代の京都店1店の売上に届かなくなる。書店が消えていくのに比例して、四条河原町を訪れる読者も減っていってしまったのだ。

 かつて、四条河原町で飲みながら激論を飛ばしあった学徒たちは、歩いて京都大学近辺の下宿に帰ったという。そんな京都の街の小ささが、「京都学派」を生んだとも言われている。その京都の中心部から、書店街が消えてしまってよいものだろうか。

 関西の新卒採用面接をしていても、初めのうちは80年代に開店した京都店の知名度の方が高かったが、すぐに「普段はBAL店を利用している」という学生の方が多くなった。その店が無くなってしまった後、「学問の街」京都の学生たち、研究者たちはどこに行くのだろうか?

  京都河原町の交差点を挟むブックファースト、ふたば書房の二店と烏丸通との中間地点にあるジュンク堂京都店では、規模と品揃えからいって、到底補い切れるものではない。BAL店店長の星野に、「大垣さんに頼んで、どこか、そんなに広くなくてもいいから一軒貸してもらえや。」と半分冗談、でも半分は本気で言った。専門書だけでいい。BAL店に専門書を買いに来ていた学生、研究者の人たちが代わりに訪れることのできる書店が、どうしても必要だと思った。彼ら彼女らが、「しょうがないから、アマゾンで」と諦めてしまう前に。

 「専門書専門店」というイメージが膨らんだ時、懐かしい店名が頭をよぎった。サンパル店、ぼくが1982年にジュンク堂に入社したのとほぼ時を同じくしてオープンしたジュンク堂の2号店である(今は場所を少し西に移して、三宮駅前店となっている)。当時としては(おそらく今でも)「常識破り」の専門書専門店だった。

 そんな思いが通じたのか、2月20日に、朝日会館(河原町三条上ル、かつて駸々堂コミックランドがあった場所)にBAL店の代替店をオープンすることになった。そして、ぼくが直接進言したわけではないが、サンパル店をイメージした専門書専門店にするようにとの命が、社長から下った。コミックはもとより、学参も児童書も置かない。その点ではサンパル店以上に徹底している。

 今では数少なくなった初期サンパル組の一人であるぼくも意見を求められたので、星野にメールを書き送った。
 

「朝日会館の店に、サンパルを復活させること、前に貴君にもいった通り、ぼくは大賛成です。でないと、専門書を買う客が、京都から逃げるからです。また、Amazonに行く。

 ただ、時代が違うのでサンパルをそのまま写すわけにもいくまい、たとえばぼくがサンパルにいた当時は、PC 書なんかありません。

 棚割りなどの形ではなく、何より、精神を復活させて欲しい。一言でいえば、本好きがそこに行くことが自慢になるような店です。あるいは、利用することが研究者、学生のステータスとなるような店です。そういう評判が立てば、読者は徐々にですが集まってきます。目指すべくは、「この店は繁盛しそうだな」とは決して思われないような佇まいです。

 それはある意味で、アマゾンとの本当の勝負になるかもしれません。だから、ほんとうに大切なのは、人だと思います。

 佇まいの面での注意点を言うと、

 1.棚は確かに差しのみでいいけれど、サンパルと違って今の書棚には平台がないので、一段だけ面出しの段にして、きれいに揃えること、つまり一段端から端まで、棚差しを交えず。

 2.話題書コーナーは要らないけれど、新刊コーナーははっきりとわかるようにつくること。プロの読者はそれを望みます。京都店時代に実証済み。

 3.棚に本が整然とならんでいることをアピールするように、全集類を大切に揃えること。シリーズも、むやみにばらさず、判型は、できるだけ揃えること。どちらかを選ぶ必要があれば、ソフトカバーではなくハードカバーを、値段の安い方ではなく高い方を選ぶこと。」


京都の街から、専門書の充実した書棚が立ち並ぶ風景を消してはいけない。

そしてそれ以上に、再び燃え上がらせて欲しいのは、「神戸の地でも専門書を売るんだ!」という、30年前の熱い情熱である。




 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)