○第132回(2013/9)

 9月30日をもって、99年にわたる歴史に終止符を打った海文堂書店を、閉店二日前に訪れた。阪神元町駅の西口から元町本通りに入り、30年前にぼくがその地下ホールで芝居をしていた懐かしい 風月堂(※)を過ぎると、すぐに海文堂書店が見えてくる。10時半の開店時間の直後、店内はすでに閉店を惜しむお客様で賑わっていた。

 神戸で生まれ育ったぼくも、子供の頃から高校時代まで、三宮、元町界隈に出たときに、しばしば海文堂書店に足を運んだ。だが、自分自身が書店の仕事に就いてから、とりわけ88年に京都、97年からは仙台、東京と神戸を離れてからは、数えるほどしか行っていない。今回訪れたのはおそらく20年ぶり、ひょっとしたら四半世紀以上ぶりのことだったかもしれない(阪神大震災直後に行ったような気もするのだが、それは業界紙などで知らされた海文堂書店の震災直後の再開、活躍ぶりが強く印象に残っているゆえの、偽記憶のような気もする)。

 店長の福岡宏泰さんが目ざとくぼくを見つけ、声をかけてくださった。「こんなことになってしまって、申し訳ありません。」ぼくは、少しばかり動揺した。そんな風に謝罪される理由は、まったく無い。

 「いえ、本当にお疲れさまでした。また、どこかでお目にかかれることを信じています。」ぼくは、これまでの労をねぎらい、いささか無責任な希望の言葉を返すことしかできなかった。

 「リアル書店、頑張ってください。」と、最後に福岡さんが下さったのは、励ましだった。

 ことここに及んでなお福岡さんが信じている「リアル書店」の意味、それに思いを巡らしながら、ぼくは再び店内を廻り始めた。一冊一冊の本が、そしてその本の集積が、何かをぼくに訴えてくる。

 ぼくは、『海文堂書店の8月7日と8月17日』と、その他にも何か本を買うつもりだった。海文堂書店の、とてもカッコいいブックカバーが欲しかったからである。レジ近くの平台の一番左側に陳舜臣の『神戸 わがふるさと』(講談社文庫)が平積みされているのを見つけ、手に取った。神戸在住作家の、神戸に関するエッセイと神戸を舞台にした小説を集めた本だ。気楽に読めそうな本だし、知った場所が出てきて懐かしく楽しむこともできるだろう。少し右手に移動すると、土曜社の『新編 大杉栄追想』という本が積んであった。海文堂スタッフの誰かの思い入れのこもった本なのだろう。大杉栄が好きだった、震災前に亡くなった岳父の顔が浮かび、この本も手に取り、『海文堂書店の8月7日と8月17日』と合わせて三冊を購入した。

 『海文堂書店の8月7日と8月17日』以外の2冊は、まったく買う予定のなかった本だ。目にするまで、その存在を気にも留めていなかった。これが「リアル書店」のよいところだ。予想もしていなかった本を見つけることができる。そして、何かの力がその本を手に取らせ、購入を促し、その本を読むことによって思いもしなかった世界に入り込む。今回は、その力は、海文堂書店という空間、99年間、神戸の愛書家の期待に応えてきた空間、震災直後、いち早く営業を再開して人々が必要とする本や地図を読者に手渡したその空間が生んだ力だったかもしれない。その空間を愛し、支えてきたスタッフの思いだったかもしれない。先月のこの欄で紹介した、山口昌男の言う「出逢い」に導く「親和力」は、「リアル書店」でしか発生しない力なのだ。「リアル書店、頑張ってください。」という福岡さんの言葉は、そのことを知る人の、願い、否祈りだったのだ。

 旧知の作家山口泉の『避難ママ』は、福島第一原発事故による放射能を逃れて、首都圏から沖縄に避難した6人のママたちのインタビューを記録した本である。事故後かなり早い時期に、沖縄への「原発事故避難」者数は、1万人から2万人と推計されたという。

 6人のママたちが共通して証言し、また苛立っているのは、「そうこうするうちに、まわりがいつのまにか、すっかり「普通」になってしまった」「みんな「何にもなかったように」している現状」である。

 その証言の一つ。「そうこうするうち、まわりがいつのまにか、すっかり「普通」になってしまった。たしかに食べ物のこととか、みんな心配しているはずなんですけど、インターネットとか、みんなそういう情報は見ないようにしているみたいな。」

 そう、いかに大量の情報が蓄積されていても、インターネットでは、「そういう情報は見ないようにして」しまえるのだ。自分に都合の良い、耳触りの良い情報だけを選択することができる。見ない情報は、無いに等しい。

 だが、いったん書店空間に入ってしまえば、そうはいかない。そこに並んでいる本は、いやでも目に入ってくる。たとえ目を逸らせても、目を逸らせるがゆえに余計にその残像は強く心に焼きつく。「リアル書店」では、本がそこにあることが本に大きな力を与え、本の主張が来店者の胸に突き刺さるのだ。そして多くの場合、手に取らせる。そのうちの何人かの来店者は、その本の「親和力」に抗うことはできず、購入し、その本に書かれた世界へと没入していく。山口昌男の言う、「出逢い」である。インターネットの世界、あるいはインターネットを介した、通販による本の購入には、このプロセスは辿りにくい。インターネット書店は、どんな「リアル書店」でも及ばないほどの点数がラインナップされたリストを用意しているが、多くの人は、自分がよく知った世界とその周辺しか見ないからだ。自分の知らない世界の本、それゆえもしも出遭えば大きなインパクトを与え、時には自分を大きく変えてくれる本は、目を逸らす前に視野の外に置かれてしまっているのだ。

 来店者の前に常に新鮮な本のある風景を展開し、時に刺激的な本との「出遭い」を提供したい。その思いを決して疎かにすることなく、これからも精進していこう。精進して行ける喜びを忘れないでいよう。そうして、1世紀の長きにわたって神戸の読者に本を届けてきた海文堂書店の燈火を受け継いでいくことが、「リアル書店、頑張ってください。」という言葉に託された福岡さんの思いに応えることだと思いつつ、元町本通りを後にした。

(※)・・・風は几の中に百

 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)