○第134回(2013/11)


 11月9日(土)、協同出版関西支社開設25周年記念電子書籍セミナー&感謝ツアーに参加した。協同出版がけいはんな文化学術研究都市内に関西支社を開設して25周年を記念した行事で、関西の書店と支社周辺の住民の方々が招かれていた。午前中に、何かのきっかけがなければ行くこともなさそうな国立子会図書館関西館の見学が組まれていたのにまず惹かれたのだが、ぼくが最終的に参加を決めたのは、その見学ツアーに、植村八潮氏の講演「電子書籍の現状とこれからの展望」が含まれていたからだ。

 植村さんが2010年に上梓した『電子出版の構図:実体のない書物の行方』(印刷学会出版部)からは、ぼくも多くのことを学び、啓発された。その少しあとだったか、出版局長を務めておられた東京電機大学出版局を訪ね、並んでいる局の出版物を指し、「紙の本が売れないことには、出版社は商売にならないですよ。」と言った植村さんと、大いに意気投合した。

 植村さんはその後、鰹o版デジタル機構の社長に就任、現在は会長を務めながら、専修大学文学部人文・ジャーナリズム学科教授として、教鞭を執っておられる。

 ぼくは、日本の出版物の電子化を奨励し、電子化の作業と普及に力を注いでいる出版デジタル機構について、「それは、アマゾンなどに塩を送ることになるのではないか?」と疑問を感じてきた。キンドルの日本上陸が遅れたのは、日本語の文章のデジタル化が余りに面倒くさいからではないか、という見立てをもっていたからである。

 出版デジタル機構会長に就任した植村さんの、紙の本を売ることが出版業界の本分と仰っていたかつての主張は変わったのか、それともそのままなのか、ぼくはそれを知りたかったのである。

 チャーターバスの中でチラと姿を見かけたが、補助席が満席になるほど参加人数が多く、席も遠かったので声をかけるタイミングがなく、国立国会図書館関西館で、普段は見ることのできない地下書庫へ案内される途中、階段を降りて廊下を移動しているときに、植村さんの方から声をかけられた。「知っている人がいると、話しにくいなぁ。」と、植村さんは苦笑した。

 講演が始まり、植村さんは、「電子書籍をめぐる通説」を5つ上げた。

@日本の電子出版は欧米に比べ3〜5年遅れである
A市場が大きくならない理由は、電子書籍の点数が少ないこと
B市場を立上げるには、電子化を拒んでいる人気作家(東野圭吾、村上春樹)の新作を発売すればよい
C電子書籍の販売が伸びれば、印刷書籍の売上げは落ちていく
D電子書籍は流通や印刷コストがないので、印刷書籍よりも安くなる

 植村さんは、これらの通説の一つひとつが正しいと思うか、正しくないと思うかを会場に尋ね、挙手を求めた。

 設会場の答えは、設問ごとにバラつきがあったが、植村さんの答えは、「すべて、NO」だった。

@日本の電子出版は欧米に比べ3〜5年遅れである⇒×そもそも「欧米」を一括りにすることが間違い。電子書籍への関心度は欧と米では大きな開きがある。日本の電子出版がアメリカより「遅れている」というのも、何をもってそのように言われるのか、不明。
A市場が大きくならない理由は、電子書籍の点数が少ないこと⇒×売れないから作らないんじゃないか?
B市場を立上げるには、電子化を拒んでいる人気作家(東野圭吾、村上春樹)の新作を発売すればよい⇒×作家のファンが、本を所有せずにディスプレイで読みたいと思うか?
C電子書籍の販売が伸びれば、印刷書籍の売上げは落ちていく⇒×特にアメリカでは、電子書籍が印刷出版市場を奪い、価格破壊を起こし、市場規模が小さくなるカニバリズムは確かに起こっている、だが市場規模そのものが小さくなっているので、電子書籍が印刷書籍に取って代わったとは言い切れない。
D電子書籍は流通や印刷コストがないので、印刷書籍よりも安くなる⇒×紙の本ほど高正味=流通コストが安いものはない。電子書籍は流通コストが5割ぐらい。

 紙の本は、落としても壊れない。電池も切れない。伝達手段としても、文字は簡単に運べるが、映像・音には再生装置が必要、電子書籍もそう。「読み」という点では紙にまさるものはない、と植村さんは言い切った。

 東京電機大学出版局長から出版デジタル機構会長に肩書が変わっても、植村さんの基本的なスタンスは変わっていなかった。

 そもそもいわゆる「電子書籍」のデータが、出版物のデジタル化として最も成功した電子辞書についての数字を含んでいないのはおかしい、と植村さんは言う。電子辞書を視野に収めれば、2010年を「電子書籍元年」と呼ぶことなど出来ない。その電子辞書も紙の辞書の市場をすっかり奪ったわけではないし、紙の辞書の必要性を減じたわけでもない。電子辞書も多くの種類があるが、英和なら〇〇、国語辞典は△△と、入っているコンテンツは限られている。電子辞書のユーザーは、購入のさい、辞書をつくった出版社を選んでいるのではなく、電子機器をつくったメーカーを選んでいるのだ。

 特にぼくの胸に刻まれたのは、「デジタル化に適するものは、すでにデジタル化されている」という植村さんの言葉だ。今あげた辞書(電子辞書)、時刻表(インターネットの乗換案内)、地図(カーナビ)、判例(かつての加除式のデジタル化)…。それら以外のもの、例えば文芸書をデジタルで読むメリットはないのではないか、と植村さんは言う。

 植村さんは、自らが会長を務める出版デジタル機構を否定しているわけでは、全くない。「出版物の電子化だけが電子書籍ではない。膨大な無料のインターネットコンテンツを有料で売るのが電子書籍だ。」と、冷静にして斬新な視線を、未来に向けている。その視線は、紙の本を大事にするぼくら書店人の視線と同じ方向を向いている。その意味で斬新だ。

 おそらくは会場の多くの書店関係者と同じく、その講演から希望と勇気をもらったぼくは、別れぎわに植村さんに頼んだ。「今日のお話の内容を、また本に書いてくださいよ、きっと。」ぼくは、自分たちがもらった希望と勇気を、もっと広く共有したかったのだ。

 植村さんはYesともNoとも答えず、曖昧な微笑だけを返した。数十人を前にした講演と、出版とでは、重みが違うということだろうか?植村さんの現在の立場も理解できるが、そのことこそが紙の本の存在理由を力強く語っていると思う。

 植村さんの講演内容の要旨を、差し当たりぼくが記しておこうと考えた次第である。


 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)