○第140回(2014/5)


 5月20日、東京は新宿御苑にほど近いポプラ社の本社で行われた「ポプラ社コミュニケーションセミナー デジタル化が教育を破壊する」が開催された。登壇者は、衆議院議員の宮川典子氏(自民党)とぼくである。宮川氏は『漂流しはじめた日本の教育』を、ぼくは『紙の本は、滅びない』を共にポプラ新書で上梓した御縁であった。

 『漂流しはじめた日本の教育』は「教育現場のデジタル化は誰のため?」という副題を持ち、『紙の本は、滅びない』の第二章は「デジタル教科書と電子図書館」の章題を持ち、共に教科書のデジタル化、教育現場へのICTの安易な導入を批判している。

 セミナーの冒頭、宮川さんが20分間の基調講演を行った。

 子供のころから「学校の先生には決してなりたくない」と思っていた宮川さんだが、大学で教育行政学を学び、なお学校現場に行くことを逡巡していた時、恩師に「教育行政学をやってきたのは、何の為か?」と尻を叩かれて教師となる。毎日子どもたちが学校に通ってくるだけで嬉しかった」と感じながら、休む間もなく教師の仕事に邁進する五年間だった。しかし、教え子が「自分たちがどんなに努力しても報われない社会が今の日本だ」と書き残して自ら命を絶ったのをきっかけに、松下政経塾を経て衆議院議員となった。

 現在、衆議院議員として、彼女は3つの戦いに臨んでいるという。日教組との戦い、現場と教育行政とのミスマッチとの戦い、そして教育ビジネスとの戦いである。

 『紙の本は、滅びない』第二章で、ぼくは次のように書いている。“授業現場や校務へのICT導入が万能薬であるかの言説は、そこに大きな利権が存在するが故のセールストークと見た方がよい。「黒板にチョーク、あるいはノートに教科書というものは、非常に使いやすいデバイスで、それを超えることはできない」との声もある。IT業界や経産省の思惑に、教育現場が騙され、踊らされてはならない。”宮川さんの、教育行政や教育ビジネスとの戦いに、共振する思いを持つ。デジタル教科書や教育現場へのICT導入に何よりも違和感を持ったのは、そこに現場の先生の意見がまったくと言っていいほど反映されていないことだった。教師としての現場経験を持ち、エネルギッシュにかつ明確に意見する宮川さんのような人を、待望していた。

 子どもは、一人一人違う。これが、教師体験を経た宮川さんの確信である。だから、あれほど多様な参考書が書店に並んでいるのだ、と宮川さんは言う。ところが、ビジネスはマーケティングを行う、即ち子どもたちをいくつかの類型に纏めて、商売のターゲットにしようとする。教育とは、そもそもターゲットを絞り、選んで行うようなものではない。だから、「教育とは何ぞや」という理念を棚上げした、ビジネス主導のIT教育導入には、断固として戦う。

 宮川さんの言葉は、個性も環境も違う一人ひとりの子どもたちすべてを、大切に教えていくという信念に裏打ちされていた。とても、共感を持った。

 個性も環境も違う子ども一人ひとりは、それぞれの感性を持つ。そし教科書に下線を引き、書き込みをする、一人ひとりの個性的な勉強の仕方が、紙の教科書には痕跡を残す。その痕跡を見ることによって、「自分はこれだけのことをやってきたんだ」と確認する。それが、自信を生み、新たな学習への意欲と挑戦に繋がっていく。そうした「振り返り」が何よりも大切という宮川さんが、デジタル教科書に反対する所以である。

 テストも、そうである。答案も、本来、一人ひとりの学習が反映した痕跡を残すものであるべきだ。そしてその痕跡に対する教師の評価が、具体的に赤で書き入れられるべき、「メディア」である筈だ。

 ところが、機械でも採点できる昨今のテストは、そうはなっていない。「共通一次試験のマークシートが、問題だったのでは?」というぼくの問いに、宮川さんは、「択一問題ばかりになっていることが、問題。私がつくるテストには、択一問題はほとんど無かった」と言い切った。

 とはいえ、宮川さんは、IT否定論者ではない。これからの世界を生きていく子どもたちにとって、ITリテラシーを学ぶことは不可欠だし、教育実践の場へのIT教材の導入には、むしろ積極的だ。英語教師であった宮川さんは、未だに生徒にネイティブの発音を聞かせるための副教材がCDで、もはやCDラジカセが故障したら部品が無くて修理ができないような時代に苦労した経験を持つ。先生方が忙しすぎてなかなか実際には行えない理科の実験の映像などを生徒に見せたいとも思っている。

 それでも、デジタル教科書には反対で、ビジネス主導の、教育の理念を伴わないICTの教育現場への導入には、断固反対する。

 問題の腑分けを、きちんと出来る人なのだ。ぼくたちが、控室ではじめてお会いして、挨拶もそこそこに教育についての議論を始め、本番のセミナーでも、司会者が冒頭約束した質疑応答の時間もほとんど残さず対話を続けた最大の理由は、そこにあると思った。

 このセミナーの準備として、気になっていた教育書を3冊読んだ。『情熱教室のふたり』(ダイヤモンド社)、『世界を変える教室』(英治出版)、『世界はひとつの教室』(ダイヤモンド社)である。それぞれ、KIPP=“Knowledge is power program”、TFA=”Teach for America”、そしてカーン・アカデミーという、今のアメリカの教育実践、教育改革の精力的な試みを紹介した本で、どれも是非お勧めしたい。何よりも、教育格差の問題に真剣に取り組む人びとの情熱とエネルギーが沸々と伝わってくる。それぞれの実践が、互いに深く関わりあっていることも興味深い。

 特に『世界はひとつの教室』で、創始者サルマン・カーン自身によって語られるカーン・アカデミーについては、多くの人に知って欲しい。実はぼくは、「ウェブ2.0」の梅田望夫氏をはじめ、多くのIT推進派が持ち上げる、ユーチューブを利用したビデオによる教育実践にはじまるカーン・アカデミーを、むしろ批判するつもりでこの本を読み始めた。読み終えたのは、宮川さんとの対談の直前である。

 教室での一人ひとりの生徒とのコミュニケーションを何よりも大切にする宮川さん、IT技術によって世界中の子どもたちに自らの授業を届けようとするカーン。一見対極にあるように見える二人の、教育に対する情熱は、同じだった。

 カーンは、言う。「ある科目の問題を一〇問続けて正解できれば、基本的内容をしっかり理解していると判断してよいーそれが私の論法でした」「70%ラインを合格ラインとする;基準が低すぎる。私たちは「失敗」に敏感になりすぎて、それを恥ずかしいことだと考えるあまり、結果的に成功の価値をおとしめています。生徒への期待値を低く設定することで、彼らの可能性を狭めている」。子どもたちを信じ、本当に理解できるまで、徹底的に教えようとするのだ。勉強は積み重ねだから、どこかの段階で、部分的にでも理解できないままにしておくことは、結局いずれ大きな障害となって表れるのだ。

 宮川さんは言う。「3年で出来る子もいれば、4年かかる子もいます。4年かかってもいいのです。大事なことは、学ぶべきことをきちんと学び切ることです。留年は、恥ずべきことでも何でもない。学校にはそうした留年を受け止めるだけの度量はある」

 ぼくは、気づいた。反対の方向から見ているかもしれないが、ICT教育は、二人にとって、目指すべき教育の道具に過ぎないのだ。使えるならば使い、邪魔になれば捨てる、それだけのことだ。「はじめにICT導入ありき」のビジネス優先の商売人や役人とは、二人の立ち位置は対極にあるのだ。


 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年)