○第142回(2014/7)


 7月21日(土)、富山市の富山市民プラザで行われたイベント「談論風発の集い ネット時代だから活字を!」(読売新聞北陸支社、活字文化推進会議主催)に、パネリストとして参加した。

  イベント冒頭は成毛眞氏の講演。元マイクロソフト日本法人社長で、現在は書評サイトHONZ代表を努めている。14年間本の紹介を続け、ノンフィクションを読む価値を訴えてきた。『本は同時に10冊読め』(三笠書房)『面白い本』(岩波書店)など、読書論、ブックガイドの著書も多い。
成毛さんは、最近のオススメ本として『ノアの洪水』(集英社)と『毛沢東の大飢饉』(草思社)を挙げ、前者は読む者に広い視野を与え、後者は今日の中国の人たちの行動規範が理解できるようになる、とその効用を話した。

  次に登壇したのが、女優・脚本家・作家の中江有里さん。長くNHK・BS『週間ブックレビュー』のアシスタント、司会を務め、月に30冊は読む愛書家として知られる。著書に、小説『ティンホインッスル』(角川書店)、エッセイ『ホンのひととき』(毎日新聞社)などがある。

  子どものころから読書に親しんでいた中江さんは、読書感想文が大好きだったという。理由は、「答えがないから」。同じ理由で、多くの子どもは、読書感想文が嫌いだ。鎌田實さんの『○に近い△を生きる』(ポプラ新書)というタイトルの本や、若松英輔さんの「著者に書けるのは、本の高々70%までです。それを100%にするのは、読者の読みです」という言葉を思い出す。

  中江さんは、「読書の効用は相手の気持ちを思いやること。子ども時代に読書感想文を書くことで、自分と違う世界を持つ人がいるんだということを学んだ」と振り返り、読むことと書くことは「想像力のキャッチボール」だと言う。

  三人目の講演者、東京大学大学院の酒井邦嘉教授(脳科学)が言う、「読書が脳を創る」際のカギとなるのも、想像力である。

  酒井教授は、「聞く、読む」ためには想像力が、「話す、書く」ためには創造力が必要、そして前者への入力は適度に少なく、後者の出力はできるだけ多いことが大切だと言う。その意味で、想像力を伸ばすのに、書物は恰好の入力装置だといえる。読書により、「行間を読む想像力や自分の言葉で考える力が自然に高められる」からだ。

  酒井教授はまた、「読書は著者との対話。自分だけの思考には限界がある。自分以外の人が介在することで、自分の力も引き出せる」と、脳の成長にいかに読書が重要かを説いた。“他者の言説を聞き、書物を読み深めていきながらそれらに「不法侵入」を許し、自らの「思考」を励起させていくこと、その繰り返しのみが、各自の「思考術」を蓄積、進化させていくのである。”という大澤真幸の『思考術』(河出ブックス)とも重なる。
読む者の脳を進化させていくのが、本なのだ。

  だから、成毛さんは、”自分の好きなものしか目に入らなくなったら、おしまいだ。信じたくないことは、一切視野に入れない。信じたいこと、興味をもったことは、逆にやたらと目につく。”(『実践!多読術』角川書店)と書く。先月のこの欄で紹介した鈴木邦男さんの「自分の考えが崩される、自分の思い込みが崩れると、嬉しい。ああ、そうだったのか、と。そういう異質なものに出会うために本というものはあるんですよ。自分と違う考え、自分とは全く反対の、自分には理解できない考えが、なぜそうなるのかを知るために、本というものは読む必要がある」という言葉を思い出す。元マイクロソフト日本法人社長とかつての右翼活動家のリーダー、全く立場の異なる二人が、読書についてほぼ同じ趣旨のことを言っているのが不思議だが、言い換えればそれだけ真実であるということだ。

  中江さんも、言う。“「わからない」ことを「知る」というのは、大変な喜びがあります。勉強ではなく、純粋に自分の好奇心を追求すること。これが読書を面白くする最適な方法です。”(『ホンのひととき』)

  本は、読む者を、確実に変化させる。

  本が読まれる前に既に、新しい本が生まれてきた時に小さな変化を見せるのが、書店の棚である。その小さな変化は時として、やがて来る棚の大変動の予兆であったりする。

  成毛さんが編集した『ノンフィクションはこれを読め!』(中央公論新社)は、HONZの書評サイトを集めた本だが、その中で、田中大輔という人が『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』を評したした文章で引かれている、「本屋の棚はガウディの建築のようなもの」という喩えが、ぼくの心に響いた。

  “本屋というのはセレクトショップである。これはあまり知られていない。いくら大きな店であっても、すべての本がおいてあるわけではない。店ごとに品揃えはまったく違うのだ。さらに本屋は1日としておなじ状態が存在しない。まさにガウディの建築のように、毎日少しずつ棚が入れ替わっている。”

  「本当に新しい本」は、書店の棚に並んでいる、その本は棚に最初は小さな変化を与え、やがて棚のコードをも変えてしまう、と主張するぼくにとって、我が意を得たり、というべき文章だった。

  「まず、書店に来てください」後半のトークセッションに参加したぼくは、話をこう切り出した。「書店の棚は、その時々の社会のあり方、人々の関心を見事に映し出しています。そして、社会の関心の推移に合わせて、棚の様相は着実に変わっていきます。一時あれほど書店の棚を席巻した『インド数学』の本たちは、どこに行ってしまったのでしょう?さらに遡れば、あの紅茶キノコの本たちは?」そして続けた。「映し出す社会のあり様と同じく、書店の棚はいつも美しく、快いものであるとは、限りません。『嫌韓』『呆韓』などという、隣国に対する誹謗に満ち、憎悪を煽るタイトルが氾濫する書棚は、つくっているぼくたち自身が見たくない」それでも、書店に足を運んで、その『見たくない現実』を直視して欲しい。
書店の棚に映し出された社会を変える、閉塞状況を突破するのもまた、本だからだ。そうした「本当に新しい本」は、気づけば棚の中に入り込み(「不法侵入」?)、時として「地」となる書棚とは鮮やかなコントラストを感じさせながら、読者の前に浮かび上がってくる。本当に新しい本には書店の棚でこそ出会うことができる、とぼくが自信を持って言う所以である。

  酒井教授は「書店では、ちょうど自分が知りたいと思っているものになぜか出会う。脳が常にキーワードをサーチしているからだ」と言い、田中大輔さんは、“本屋の楽しみといえば、想定外の出会いがあるということだろう。買うつもりのなかった本を買わされてしまう。”と書く。
「本屋というのは、世界と繋がる場所」なのだ。そこに映し出された現実の世界と、そして時としてそこから変わりゆくべき未来の世界とも。
『実践!多読術』で、成毛さんは次のように書いている。

  “この点ではアマゾンは住宅地の駅前にある古びた個人書店と同様なのである。取次業者からパターンで配本された本を並べ、アダルト本やマンガを売上げの中心に据えているように見える。おそらく他のネット書店でも同様であろう。ロングテール理論のままに品ぞろえを増やし、売れている順に商品を陳列することの弊害なのかもしれない。”

  「書店よ、そのようになるな!」という成毛さんの叱咤激励であり、エールであると受け取った。その言葉を受け止め、実践しない書店がアマゾンに勝てる訳はなく、生き残りも限りなく困難であると、言わねばならないだろう。


 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年)