○第143回(2014/8) 8月22日(金)、尼崎市女性センター・トレピエで、「図書実務担当者のためのステップアップ研修」の講師として、「書店の戦略 人と人をつなぐ」と題して講演をした。 参加者は、女性センター、男女共同参画センターの情報資料室(ライブラリー)担当者など約20名の方々だった。そのような聴衆相手に、それも「ステップアップ研修」の講師として、どのような話をすればよいのかいささか戸惑いもあったが、二日間の研修の冒頭の講演であったし、本に関わる仕事をされている方々は、今誰しも本が、書店がどうなっているのか、どうなっていくのかに関心を持ってくださっているので、どんな場合でも何より自分が知っていること、考えていることを話すのが結果的に関心を持って聞いてくださるという経験則から、書店の現状、電子書籍の問題、それにからんで図書館やデジタル教科書について考えていることを中心にお話しした。 主催者側の窓口になってくださった尼崎市女性センター・トレピエの米田さんは、最初講演タイトルとして「書店の戦略 人と本をつなぐ」を提案してくださった。元々タイトルにはこだわらないぼくは「それでいきましょう」と言いかけたが、ふと気が変わり、「いや、『人と本』ではなく、『人と人』にしてください」とお願いした。本が人と人をつないでくれることを、最近とみに痛感していたからである。 例えばトークイベントで、本を通じてぼくは実に多くの著者の方にお会いしてきた。それが書店員の特権であることはよく分かっているし、その特権をぼくが十二分に利用してきたことは認めるが、イベントに参加された方も、本を仲立ちに著者に会い直接話を聞いているのは、同じだ。トークイベントやサイン会などで直接著者に会うことがなくとも、本を読むという行為は、そもそも著者との一対一の語らいである。鈴木邦男さんは、「本を書いている人に会う時には、必ずその人が書いたものを読んでから会う。そんなこと、当たり前でしょう」と言い、中江有里さんは、「本を読むことによって、他の人を理解することができるようになります」と言う。本に関わる仕事に携わっている者はみな、自ら人と出会い本を提供することで、その人が他の人(たとえば著者)と出会うことをサポートしているのだという自負を持ってよい。それは、書店員も、図書館員も、その日集まってこられた図書担当者の人たちも同じだと思う。だから、ぼくは講演タイトルの「人と人」に拘ったのであり、レジュメの第一項目も、「なぜ、『人と人をつなぐ』か?」としたのである。 講演をそんな風に切り出したぼくは、さらに続けてこんな話をした。本を出させていただく、というのは本当にありがたいことで、例えば本は、ぼくにとって強力な「名刺代わり」だった。こういう研修会で話をさせていただくのも、おそらく本を書いたおかげだと思う。かつて多忙を理由に面会を断られた、当時全国の書店員のあこがれの人であった池袋西武の今泉正光さんも、最初の本『書店人のしごと』を上梓した直後には喜んで迎えてくれたし、自著をきっかけに巡り合えた人は、30年来の論敵にして盟友である湯浅俊彦氏をはじめ、数多い。ぼくの個人的な経験から言っても、本は必ず人と人をつないでくれるのだ。 最近ふと思ったのは、本というのは、かなり効率の良いスターシステムかもしれない、ということだ。たとえば齋藤孝氏は、『声に出して読みたい日本語』シリーズがベストセラーにならなかったら、今テレビで北野武や渡辺えりと親しく語り合っていただろうか?ほかにも話題となった著書がきっかけでコメンテーターなどになっている人は多い(研究者の場合はそのことがその後の研究を邪魔してしまっているという意見もあるが)。アイドル売り出しなどの本来の意味でのスターシステムにどれくらいのお金が使われているかはよく知らないが、本を出すという方法は、おそらくリスクの小さい小額投資の部類に入るのではないだろうか。 閑話休題。 レジュメの最後の項目は、「魅力ある棚づくり、とは?」であった。7月25日(金)に大学生協事業連合で話したときもそうだったが、このテーマは講演依頼の中に入ることが多い。今回も依頼内容の一つだったが、結果的に持ち時間も少なくなり、さらっと流した。 さすがに、質疑応答で突っ込まれた。「余りにさらっと流されたけれど、もうすこし魅力ある棚づくりについて、話してください」。質問の手を挙げられたのは、次の研修の講師である尼川洋子さんだった。 尼川さんとぼくが最初に会ったのは、ぼくがジュンク堂で最初に勤務したサンパル店時代のこと、もう30年以上前になる。当時尼川さんは、神戸大学の図書館に勤務しておられたが、サンパル店で「女の本」のブックフェアを主催、図書館勤務後に毎日のように来店され、本を並べてくださった。後に娘さんと一緒にサンパル店に立ち寄られたとき、「ここ、お母さんが勤めている本屋さんだね」と言われたそうである。その後、大阪のドーンセンターの立ち上げにも中心人物として参画されているから、今回の研修でも講師というより主催者側の人と言える。 ぼくが、「さらっと流した」のは、時間切れが理由ではなく(それくらいの時間配分はできる)、また、1997年に仙台店店長になって棚担当を離れ、棚づくりについては15年以上のブランクがある、というのも大きな理由ではない。その後も、長く担当した人文書を中心に、自店の書棚の本の並びには常に関心を持ちコミットもしてきたし、人文会会員社を始め多くの出版社の方々と議論もしてきた。結論的に言える「魅力ある棚づくり」の条件は、「客をよく見ていること」に尽きるのである。 リブロ西武全盛期の「今泉棚」も、往来堂安藤哲也元店長の「文脈棚」も、それが成功した最大の要因は、彼らの知識や思い入れ以上に、「客をよく見ていること」だったのは、『紙の本は、滅びない』に書いたとおりである。(P158〜159) そしてそれ以上に、「棚づくり」に焦点を当て過ぎることで、書店として、本を商う者としてもっと大切なことを見えなくさせてしまうのではないか、という危惧がある。もっと大切なこととは、即ち本を通じて「人と人をつなぐ」ことである。それは、決してイベントに多くの人を呼ぶことではない。それも有効な手段のひとつではあるが、あくまで書店員の本分は、一人ひとりの客と真正面から向き合い、対話して、必要な本を確実に手渡すことである。そして真のゴールは、その先にある。読まれた本こそが真に「人と人をつなぐ」からである。 「棚づくり」も、そのための手段である。決して目的ではない。そして、読者一人ひとりがさまざまな本との関わりを持ち、その時々でさまざまな必要から本を求めてくる以上、「究極の棚」は、無い。「これこそ、完璧な棚だ」と思った瞬間、その棚は死ぬのだ。毎日、新しい本が生まれ、入ってくる。書店の棚を「まるでガウディの建築のようです」と言った人がいる(嶋浩一郎『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』祥伝社新書)。日々刻々と変化し、永久に完成しない・・・。とてもうれしい喩えだ。それこそ、書棚が生きていることの証しであり、磁場を生み出す源なのだ。 そして、磁場に引き寄せられ来店する客一人ひとりに、同じ書棚が違って見える。一人ひとりの客が、一つの書店空間の中にそれぞれ別の世界を見る。だから、客と対話することが、書店員にとって最も大切な仕事なのだ。時に実際に言葉を交わして、時に棚に並ぶ本を介して。対話が、確定してしまった問題―正解の対に留まらず、常に新たな問いを生み出していく。 客に一冊の本を所望される。検索機を叩いて、機械が教える書棚の場所に行き、それが機械の言うとおりだったことに満足して本を抜き取り客に渡す。そこで仕事が完結してしまうなら、書店員は間違いなく機械に取って代わられるだろう。客自らがキーボードを叩いて、あるいは液晶画面をタッチして本を注文して入手するネット書店では、すでにそうなっているのである。「そちらの方が便利でいい」という声がもっと大きくなったとしたら、書店員の働く場は無くなる。 最近、ある人からこういう手紙を頂いた。「私見ながら、いまのジュンク堂担当者の中には書籍を分野ごとにきっちり並べるのが自分に課せられた仕事であるかのように振舞われている方が多い、ように思われますが・・・・・・」 ぼくは、聞き取るべき警鐘だと思う。 |
福嶋 聡 (ふくしま
・あきら) |