○第148回(2015/1)


(承前)
 昨年末12月14日(日)に宗右衛門町ロフトプラスワンウエストでのトークイベント“日本の出版業界どないやねん!?物書きと出版社出て来いや!スペシャル”に参加し、登壇者や参加者の人たちにエネルギーをいただいた11日後の25日、イベントの様子を報告する前回の「本屋とコンピュータ」の原稿を人文書院に送信した日に、ジュンク堂難波店人文書コーナーエンド台で、“店長の本気の一押し!Stop!! ヘイトスピーチ、ヘイト本”を始め、写真と『NOヘイト!』の書評をHPにアップした。

 12月28日(日)の午後、カウンターから、「店長の本気の一押し!」フェアについて話を聞きたいとおっしゃるお客様が来られています、と内線電話を受けた。「店長本気の一押し!」フェアについてコメントや質問を受けたことは、これまでほとんどない。だが、今回のテーマは、かなり微妙だ。待ち受けるのは果たして、「敵」か「味方」か?

 カウンターの傍に立つ人のにこやかな笑顔に迎えられたぼくは、少しばかりホッとした。そのお客様は「宋君哲」と名乗り、「フェアに私の本も置いてもらっています」と仰った。「ころからの木瀬さんに教えられて来たのです。」

 宋君哲さんは、『長いは短い、短いは長い なにわの事務長「発明奮戦記」』(ころから刊)の著者で、神戸朝日病院の事務長をしながら、仕事や日常の不便をなんとか改善しようと工夫を重ね、数々の発明品を生み出してきた人である。著書には、その奮戦ぶりが、時にコミカルに、時にほろ苦く、生き生きと書かれている。第二部の「半世紀」も、35頁と短いながら、「在日」としての過酷な状況に負けない宋さんの明るさ、たくましさが印象的な文章である。宋さんが子供のころにお母様からもらったというよりも投げつけられた、ある励ましの言葉がとても利いている。

 『長いは短い 短いは長い』は、いくつかの発明品の特許を取った宋さんが、病院事務長という忙しい仕事を縫いながら、自らの発明品の販路を探し始めるところで終わる。その件を読んだ時、懐かしさがこみ上げてきた。病院と取引のあった富士商会という文房具店が、宋さんの最初の商談相手であった。富士商会は、ぼくがジュンク堂で最初に勤めた店があったサンパルビルの1階にあった。文具好きのぼくはよく買い物に行き、先代の社長にも可愛がってもらった覚えがある。しかも、読後宋さんのホームページを覗いてみると、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」の「トレンドたまご」のコーナーで取り上げられ出演した宋さんが、商談シーンで話していた常務の玉井さんは、お互いに若かりし頃、とても仲の良かった人であった。四半世紀以上、会っていない。富士商会を「また、訪ねてみよう」と、思った。本は、不思議な仕方で、思っても見なかった人と繋いでくれる。

 但し、本が繋ぐのは、懐かしい人たちとだけではない。

 翌26日、ころからの木瀬さんが人文書院のサイトにアップされた「本屋とコンピュータ」を発見してとても喜んでメールをしてくださった際、前から知らせていた「店長本気の一押し!」フェアについて、どのようなフェアか、いつ情報解禁かと聞いてこられたので、「もう始まっています。」と写真を添付して返信した。すぐに、「フェア、すごいです。 このお写真をSNSなどにアップしても大丈夫でしょうか?」と木瀬さんのメール。ぼくは「是非に」とお願いした。

 3日後の29日。木瀬さんからメール。

 「くだんの写真をいれた情報は、ツイッターでは700以上もRTされ、Facebookでは2500人以上に閲覧されています。いずれも破格の数字で、注目されているのだと改めて感じました。」

 宋君哲さんは、それを見て、来店して下さったのだ。

 木瀬さんが教えてくれた数字がどれくらい「破格の数字」なのか、ネットにそれほど詳しくないぼくにはわからない。直接声をかけて下さったのは宋さんだけだった。だが、「店長本気の一押し」フェアとしてはいつになく商品が動き出したので、木瀬さんの「情宣」がある程度効いたことは間違いない。但し、反応したのは、「味方」だけではなかった。

 最初の「攻撃」は、年が明けた1月8日(木曜日)の午後だった。この日は、二人。まず女性、その後で男性から電話がかかってきた。クレームの内容はほぼ同じ。なぜ「店長本気野の一押し!ストップ!!ヘイトスピーチ、ヘイト本」などというフェアをしているのだ?そしてそれを堂々と写真つきでホームページに載せているのだ?お前は、朝鮮人や中国人の味方なのか?そもそもヘイト本とは、どの本を指して言っているのか?朝鮮や中国は日本を侵略しようとしている、という主張も共通していた。

 最後の主張に対しては、「そのようなことは、ぼくには信じられません」と、はっきり断言したが、どの本が「ヘイト本」かについては、実際に読むまで判断できないし、ホームページに載せた書評でも特定してはいない、と答えた。但し、最近読んだ桜井誠氏の『大嫌韓時代』については、韓国や中国、そして「在日」の人たちへの敵意が明確だから、「ヘイト本」だと思う、と付け加えた。『大嫌韓時代』と『在特会とは「在日特権を許さない市民の会」の略称です!』は、14日のトークイベントで発言した理由で、フェアのラインナップに入れていた。

 そして、今回のフェアのテーマは、つまりぼくが「本気の一押し」をしたいのは、『NO!ヘイト 出版の製造者責任を考える』という本で、隣国や隣国の人々を闇雲に批判する本が横行する中、売れるからと言ってそうした本を量産する今の出版状況を出版―書店業界の人たちが自ら「それでいいのか?」と問いかけるこうした本が出たことを評価し、広く紹介したいと思ったから今回のフェアを敢行した、比重はそちらにかかっているので、具体的に「ヘイト本」を特定し攻撃するのが目的ではない、と申し上げたが、どうにも聞く耳は持っていないようで、いかにぼくの姿勢が間違ったものであるかを、一方的に主張される。こちらも、フェアのテーマ、ぼく自身のモチーフを繰り返し、「フェアを下げる、あるいはホームページからはずすつもりはありません」と明言すると、電話を切られた。

 最初に電話してきた女性の方が「ひどい目に遭っている」を連呼していた以外は、大体同じ非難が繰り返され、同じような会話のプロセスを辿った。

 翌9日(金曜日)にも、別の男性からフェアに対する同じようなクレームがあった。これも同じようなプロセスを辿り、最後には「お前に言っても埒が開かない」と切られた。その後でネットストアHONにクレームの電話が入り、それを振られた営業本部から問合せの電話がかかってきた。ぼくは二日間のクレームの経緯を話し、ぼくの対応についても説明した。了解してくれたようで、その後フェアについての指示はまったく無かった。

 テレビも入った。1月16日(金曜日)、朝日放送報道局ニュース情報センターが撮影と取材に来店され、「店長本気の一押し!」フェア、反中嫌韓本が所狭しと並ぶ書棚、そして記者のぼくへのインタビューシーンを撮影していった。凡どどラジオのぼんさんが、ヘイトスピーチやヘイトデモについて取材を続けている記者に連絡してくれたらしい。どれだけの反響があるかなあ、と期待と不安がないまぜになっていたぼくの表情に気づいたのか、記者は言った。「テレビでオンエアされただけなら、大丈夫だと思います。「彼ら」はテレビは余り見ないですから。だが、ユーチューブか何かに流れたら大きな反響があるかもしれない。」

 オンエアは、1月29日(木曜日)の18時台だった。ぼくは、棚卸の夜勤のため会社に向かう途中で、見ることができなかった。翌日、翌々日と、特に反応は無い。

 1月26日(月曜日)、『現代思想』2月号が入荷した。巻末を「憎悪・排除・批判〜闘技場(アリーナ)としての書店は、今」と題した拙稿が汚している。年末年始の手帳フェアが終わったあとのカウンター前フェア棚で、1週間前から「反知性主義と向き合う―『現代思想』2015.2号特集ブックフェア」を展開していた。先月号の予告に載っていた執筆者の著書を集めたものだ。当然拙稿だけは内容が分かっていたから、関連する商品を並べた。『NO!ヘイト』にも触れていたので、次の「店長本気の一押し!」が始まって押しだされた「ストップ!!ヘイトスピーチ、ヘイト本」の商品をすべて移してきた。

 そしてネット空間の伝播力を改めて実感していたぼくは、この新しいフェアの告知を、写真を添付してTwitterに上げたのだった。

 


 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年)