○第153回(2015/6)

 『絶歌』(元少年A著 太田出版)を読んだ。

 発売と同時に話題となり、同時に批判の十字砲火を浴びた。販売を自粛した書店もあった。販売した書店では、在庫はすぐに払底した。

 「売らない」という選択をした書店があった以上、売った書店の人間として、売った理由を答える必要が、少なくとも、考えておく必要はあると思った。だから、読んだ。

 「酒鬼薔薇事件」と呼ばれた、あの常軌を逸した凄惨な連続児童殺傷事件からもう18年が経つ。そして、その2年前の、日本全国を震撼させてたオウム真理教事件から、早20年の時間が流れた…。

 「地下鉄サリン事件」他の実行犯が麻原彰晃らオウム真理教幹部であったことが発覚すると、日本全国のほとんどの書店が、オウム出版の本を外した。だが、ぼくは外さず販売を続けた。その理由について、次のように書いた。(『希望の書店論』人文書院 X-9「オウム真理教事件」)

 

@「地下鉄サリン事件」がオウムの犯行であることが明るみに出たあとで、「書籍に騙されて」入信する人はいないだろう。だから今こそオウム出版の本は無害になったと言える。

Aあのような大事件のあと、識者、学会、ジャーナリズムは、その原因、発生させた状況について検証し、意見を述べる義務がある。その原資料としてオウム出版の本を提供するのが、書店の義務だ。

Bすべてのマスコミ、世論がオウム真理教を敵対視し、住む場所さえ奪われた信者たちは、まったくの閉塞状況に陥っていた。唯一の自己主張の場ともいえる出版物の全面的な排除は、彼らを必要以上に追い詰める可能性がある。

 

 麻原ら幹部の逮捕後、オウム出版から本は出ていないから、書かれたのが事件の前か(十何年も)前かの違いはある。一方は、宗教教団という集団による犯行、他方は個人、それも14才の少年の犯行である。状況や性格にさまざまな差異はあるが、ぼく個人にとっては、『絶歌』を棚から外さない理由は、オウム出版の本の場合と通底する。

 @ 『絶歌』が、新たな犯罪を誘発する危険がある、という意見がある。しかし、犯罪者が書いた手記は、数多く出版されている。フィクションの世界ではもっと陰惨な描写を含んだ、あるいはそれを売りにした作品も無数にある。映像作品については、言うに及ばずであろう。『絶歌』だけが、販売も、すなわち読者の目に触れることもゆるされるべきでないほど危険であるという読後感を、少なくともぼくは持たなかった。

 フィクションと並べて論じるべきものではない、そこには事実が書かれているのだから、と言うのだろうか。少なくともマスコミや評論家から、そのような言葉は聞きたくない。どんな事件に際しても、マイクを突き立て、「まず、事実を正直に話しなさい!」と強く要求してきたのは、あなた方ではなかったか?

 A その通り、事実にこそ、少なくとも識者と呼ばれる人たちは注目すべきではないのか?

 14 歳の中学生が、なぜ、そしてどういうプロセスで、あのような事件を起こすに至ってしまったのか? そのことの解明と、再発防止こそが、専門家の責務ではないだろうか? そして、その作業にとって、本人の手記は、恰好の資料ではないのか? 本人の手になるものであるがゆえに、慎重な扱いは必要だろう。自分自身のことを書くとき、誰でも防衛本能は働く。美化もする。だが、それを掻い潜って真実を見極めることが、専門家の仕事ではないか? 嫌悪感と忌避感情で、擲ってしまうことは許されないと思う。

 誤解を恐れずに言えば、『絶歌』を読んでいて、13〜14歳頃の自分に、思い当たることはある。性に目覚めたとき、人は死に向き合い始める。性と死、どちらも簡単に折り合いをつけることができないものだ。それでも、ぼくたちは、本を読んだり、友と語ったり、独りで思索したりして、なんとか折り合いをつける。誰でも、いつでもそれがうまくいくとは限らない。時には、他者が介入して、助けを与えなければならないこともある。それができない、あるいはそれを回避しようとするのなら、科学や思想は、全く無力・無益というべきではないか?

 B「元少年A」は、追い込まれていると思う。10数年かかって手に入れた平穏な生活から再び嵐の中に舞い戻る危険を冒し、自分を支えてくれた多くの人々を裏切り、ようやく築き始めたかもしれない被害者家族との関係を破壊してでも、どうしても手記を出したかったのは、自分自身の内側から追い込まれていたからではないのか?こうした形で自分自身をある種客観化して見つめ直さない限り身動きもとれない隘路に追いつめられていたからではないか?

 

 “自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。”(『絶歌』P294)

 

 『絶歌』の出版そのものを否定することは、さらに外側から彼を出口のない袋小路に追い詰めていくことになり、「元少年A」にとっても、周囲の人間にとっても、社会にとっても、むしろ危険なことではないだろうか。

 これまでに、殺人事件の犯人、被疑者の本は何冊も出版されている。最近では、市橋達也の『逮捕されるまで』(幻冬舎)、 木嶋佳苗の『礼讚』(KADOKAWA) などがある。「アキハバラ事件」の加藤智大は、『殺人予防』をはじめ、既に4冊の著書を上梓した(いずれも批評社)。過去に遡れば、永山則夫の『無知の涙』は、現代日本文学の傑作と、評価も高い。

 それらの本と較べても、『絶歌』へのバッシングは、ことの他激しい。何が違うのだろうか?

 最大の違いは、「元少年A」が、現在被疑者でも受刑者でもないことである。市橋は無期懲役で服役中、木嶋は死刑判決を受けて裁判係争中、加藤は死刑確定、永山は1997年に処刑された。

 それに対して、「元少年A」は、事件後、司法の判断で医療少年院に6年5ヶ月入所して退院、保護観察期間も無事に過ごし、2005年元旦に本退院、その後は何の法的拘束の無い一市民として生活している。それがバッシングの最大の動機ではないだろうか?

 「あのような犯罪をおかしながら、ぬけぬけと生きていることが許せない。」ネット上には、「死ね!」という書き込みも、ある。

 だが、法に照らして下された決定に従い、司法の判断によって拘束を解かれた人間に、生きていくことを許さないのは、「私刑(リンチ)」である。

 「一人の男がこれほどの憎しみを見せたのなら、私たちはどれほどに人を愛せるかを示しましょう」 ノルウェイで総計77名の犠牲者を出した連続テロ事件惨劇の現場にいながら、殺戮を免れた少女が言ったことばである。事件現場を訪れた犯人の母親を、被害者の母親たちは抱きかかえて共に泣いたという(森達也『クラウド』dZERO)。.

 「たとえイスラエル人全員に復讐できたとして、それで娘たちは帰ってくるのだろうか?憎しみは病だ。それは治療と平和を妨げる。」「わたしが言えるのはこれだけだ―死ぬのはわたしの娘たちで最後にしてほしい。この悲劇が世界の目を開かせて欲しい。」イスラエル軍の砲撃によって三人の娘と姪を一瞬にして殺されたパレスチナ人医師イゼルディン・アブエライシュのことばである(『それでも、私は憎まない』イゼルディン・アブエライシュ著 亜紀書房)。

 これらのことばを知ると、改めて、この国には「赦し」が無い、と思う。あったとしても、公然とそれを表明することは憚られる。そうした状況こそが、犯罪の連鎖の温床ではないだろうか?



 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)