○第156回(2015/9)

 9月15日(火)、名古屋のシマウマ書房の鈴木創さんと、はじめてお会いした。鈴木さんは石橋毅史さんと共に来阪、大阪堂島の「本は人生のおやつです」で開催された、店主坂上友紀さんと鈴木さん、石橋さんによる鼎談『本おやで「本屋」を語るの会』に、ぼくも参加したのだ。

 鈴木さんと坂上さんは、石橋さんの『「本屋」は死なない』の第8章に登場する。第2章で紹介していただいたぼくと著者である石橋さん、『「本屋」は死なない』の登場人物4人がひとつ所に集まる。そんな状況も面白いかもしれないと思っていた。

 鼎談では、鈴木さんが「シマウマ書房」を、坂上さんが「本は人生のおやつです」をどのような思いで始め、それぞれの10 年間、5年間がどのように推移し、今その思いがどう変化してきたかが語られた。話は途切れることなく、1時間の予定が、あっという間に2時間が過ぎた。閉会後、3人は司会役を決めなかったことを反省していたが、さまざまなエピソードに彩られた内容はとても興味深く、ぼくには学ぶところが多かった。

 何よりも教えられたのは、そして今のぼくたちに最も欠けていると思い知らされたのは、「本屋は人だ」ということである。その「人」とは決して売り手側の「人」だけを言うのではない。訪れて下さるお客様を含めた、その本屋にいる人である。

 坂上さんは、自分が本当にいいと思った本を売りたいと思って、勤めていた書店を退職後に「本は人生のおやつです」を始めた。当初は小さな新刊書店のつもりだったが、その方針は2、3ヶ月で変わる。取次の口座開設のための障壁が高かったということもあるが、それ以上に、訪れてくださる本好きの方々と話すうちに、古本を扱う意味を見いだしたからだ。といっても、古書専門になったわけではない。「これぞ」と思う本があれば、出版社に直接電話して直取引で仕入れ、販売する。通常個々の書店との直取引には応じない大手版元も彼女の情熱に押され、直取引で送本してくれたという。「本おや」の書棚には新刊書と古本が区別なく並び、独特の空間を形成している。

 「独特の空間」といえるのは、そこに「本おや」ならではの秩序と嗜好がまぎれもなく存在するからだ。それは、坂上さんの志向によってのみ成立したものではない。誰かが売ってくれない限り、古本は店内には並ばない。訪れたお客様が、「この棚なら、是非この本を置いておくべきだ」と自らの蔵書を売ってくれるのだ。その結果、知らず知らずのうちに、棚にストーリーが生まれる。気がつくと新刊:古本の在庫比は7:3から3:7に逆転していた。

 テーマを決めて古本市をやると、必ず誰かお客様がそのテーマに沿った本を売りに来てくれ、それが売れると「じゃあ、次はこれ」という風に続いていくのだそうだ。考えてみれば、そのお客様自身が自分の関心に従って読み続けた本の一塊が自宅にあるのだから、その本をまた他の誰かが読んでくれることを喜び、楽しんでくれるお客様があれば、自然とそうなる。文字通り、「客が本屋をつくっている」のである。

 本屋とはそこに来てくださる人とのつながりだ、坂上さんは確信に満ちた顔でそう言った。「本ちゃうねん、人やねん」と。

 シマウマ書房の鈴木さんは、「今、上の世代の人で蔵書を手放す方が多い」と言う。たくさんの本を買い読んだ団塊の世代が、自ら本を整理し、あるいは亡くなった結果であろう。柴野京子は、『書棚と平台』で、家の書棚がその家に住む人の思想と人生を何よりも現している、と書いた。古本屋にまるまる運び込まれた「書棚」は、元の持ち主の思考の文脈を形作っている。何年も、何十年もがかけられた「アソートメント」(流通過程で意識的に行われる財の組み合わせ)である。本は、書店で誰かに買われた後でも、ずっと後でも、なお生命を持って流通するのだ。

 鈴木さんは、「読者が読むタイミングというものがある。それは人それぞれに違う。そのタイミングが新刊期間3ヶ月の間にやって来るとは限らない」と言う。ぼくも、それは分かっているつもりだった。新刊書店でも、「出会った時が新刊」というキャッチフレーズで、既刊書を大事に並べ、コツコツ販売する。しかし、鈴木さんの言う「読者の読むタイミング」が訪れる時間は、もっと長い。何十年も前に絶版になった本と読者の出会いのタイミングが、古本屋にはある。

 本を読者に提供するという仕事において、書店と図書館は共存、共闘しなければならないと言い続けてきたぼくの視界がさらに開けた。そこに古本屋を入れる視点を欠いていたことを恥じた。本の生命は、ぼくらが想像する以上にもっとしぶとく、長い。

 新刊書店には新刊書店に流れる時間が、図書館には図書館に流れる時間が、古本屋には古本屋に流れる時間がある。新刊と古書をいっしょくたに売っているネット書店には、時間が無い。ならば、恐ろしく巨大で強大なネット書店(もちろん、アマゾンのことである)に対抗しようとするとき、新刊書店は、隣接するそれぞれの業態が持っている時間を、もっと大切にすべきではないだろうか?愛すべき本たちが、それぞれの業態の時間を超えて自由に流通することへの想像力を、もっと持つべきではないか?

 それは即ち、新刊書店は「今」を大切にする、ということである。「今」を映し出し、「今」を変えて未来を創り出す本をどんどん提供する。名著の復刊、オンデマンド出版に価値を見いださないわけではないけれど、それはあくまで二次的、付随的な仕事だ。過去の名著の提供、流通は、基本的にはそれを仕事とする図書館や古本屋に任せてもよい。出版社には過去の遺産に寄りかかることではなく、「今」を見つめ、「今」を乗り越えて未来を拓く本を創り出すことを求めなければならない。そうした本を広く読者に提供し、利益を出版社に還流させることによってまた新たにつくられる新刊本が、図書館の蔵書となり、将来は古本屋市場を作る。そうして、本たちが自由に流通し、読者との出会いが生まれる。

 本が読者を得ること、読者が本と出会うこと、それは今も変わらず、否今こそ必要なことなのだ。「本おや」での鼎談を聞いた3日後、「安保法案」報に触れたぼくは、改めてそう思った。


 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年)