○第159回(2015/12) (承前;11月13日(金)、グランフロント大阪で開催された「BOOK EXPO 2015 秋の陣」のイベント企画「明日につなげる書店人トーク」より) 「蔦屋さんのやっていることは、うちのやっていることと似ているところがある」と、神戸市須磨区、山陽電鉄板宿駅の駅前に、25坪の店を構える井戸書店の森社長は言われた。 25坪の店では、全部の本を揃えるなんてことは絶対にできないので、「うちの店の客は誰や?」というところから、そして「社会には、いまこんな本が足らんやろな」というところから品揃えをしている、という。20年前、阪神淡路大震災の1週間後に店を開けたとき、来てくださったお客様は、みんな被災者だった、その被災者のために品揃えをしようとした経験が最初にあり、そのやり方の延長でずっと店を運営してきた。 「蔦屋さんも、やりたい放題やってもらって、新しい切り口をつくってもらったらいい」。 大阪・梅田出す店を任されることが決まった時、亀井店長がまずやったことは、開店予定地の市場調査であった。「どんな人が来るのか?」を一番大事にしたいと、3ヶ月間、大阪駅の付近に張り付いて、一日中カチカチやった。大阪駅周辺500m圏内の昼間人口(8万人)は夜間人口(2千人)の40倍。大阪駅へは、近畿エリア全体から、ビジネスパースン、クリエイター、サービスに従事する人たちが通勤してくることがわかり、そういう人たちにたいして、働き方の提案や新しいことは何なのかを提案することを第一の目標として、店をつくったと言う。 司会の星野さんは、井戸書店のような地域密着型の小規模店は、大型店と比べて特にお客様との関係が空間的にも近く、時間的にも長いのだと思うが、日ごろお客様とはどのような接し方、付き合い方をしているのですか、と訊ねた。
10月の上旬に井戸書店をお訪ねしたとき、ぼくが最初に感じたのは、「所狭し」とつけられているPOPが、どうして嫌じゃないのだろう、ということだった。ぼくはもともとPOPが好きではない。商品の一部を隠してしまうからだ。だが、井戸書店のPOPは、むしろうるさいからこそ気にならなかった。「これだ!」という風に言い切っている。入店してすぐの平台に大きなPOPとともに積み上げられていたのはSEALDs関係の本だったと思うが、はっきり「これだ!」と、ある種のリスクを省みずに言い切っているから、反応が返ってくるのだろうな、とぼくは思った。POPをつけさえすればいいだろうという風潮は嫌いで、そういうPOPは大抵邪魔なだけだが、担当者や編集者や著者が、本気で書いたポップはいい。井戸書店のポップがこんなに物理的に邪魔になっているのに邪魔に感じないのは、主張がはっきりしているからだ。 今では少なくなってしまった公設市場の魚屋さんを思い出した。その日の昼網であがった魚を店の正面に置いて客に薦める。もちろん、網羅性はないけれど、魚も店もすごく生き生きしている。 大型書店においても、今、どういう本が出てきているのか、どの本が活きがいいのかをもっとアピールしていかなければいけない。そのためには、出版社にも、もっともっと冒険していただきたい。毎朝到着する大量の新刊の山の中に、時折、なぜか光輝く、引き付ける本、目立つ本、「あれっ!?」と思う本がある。そういう本が多いときは楽しいし、ないときは寂しい。井戸書店は、そんなことを思い出させてくれる書店だった。
テーマを決めてフェアをしたりすると、そのテーマにたいして反対する人からお叱りを受けたりするが、それはむしろそのフェアの誉れと思っているので、クレームを歓迎したい気持ちさえ、ぼくにはある。まずこちらからボールを投げないと返ってこない。返ってくるのはマイナス評価かもしれないが、どうもマイナス評価を怖がるあまり、プラスの評価を産み出そうとする試みも控えられている感がある。 誰しも、自分の立ち位置はどこかに定めなくてはならない。いつも真ん中にいるのは無理だし、その必要もないし、無責任と言うべきだ。もっともっと書店が主張していってもいい。小さな店だったら、店に入ってすぐのところからそれをできるというメリットがある。大きな店でも、それをあちこちで多発的にやることも大事である。 現代は「コミュニケーションの時代」と言われる。だが、その時、大抵は、互いにプラス評価の、軋轢のないコミュニケーションを言っている。本当のコミュニケーションは、「闘い」なのだ。かなり一方的な意見を出さないと、本当のコミュニケーションは起こらないように思う。それを、ぼくは、森さんの店に行ったときに、強く感じた。本当のコミュニケーションには、時に相手を傷つけるほどの強い提案力が必要だ、と思った。 一方、大型店には別の役割もある。10月31日夜から11月1日朝にかけて、千日前店で「ジュンク堂に泊まろう」というイベントが開催された時のことである。参加者は最後に本を3冊買うことを求められていたのだが、参加した20歳の女性2人連れの一人が、松下幸之助の本を1冊買っていた。報道していたテレビ局の「なぜこれを買ったのですか?」という問いに対して、彼女は、「朝までずっと本屋さんにいることによって、初めてこんな本があることを知りました」と答えた。網羅性も、また大事なのだ。 最近増えているカフェ付きの書店や、雑貨を書店で売ることについてどう思うか、という星野さんの問いに対して、森さんはこう言った。 「うちなんか小さいからカフェなんかでけへんし、隣は喫茶店やし、こっちが喫茶のことを知っててやるんやったらええけど、ただ機械持ってきてやるだけで向こうには負けると思うし、心の中で、『お前ほんなら、本屋として一人前なんか?』と問いかけるわけです。20年やそこらで一人前やないやろし、知らん本のこと矢鱈あるのに、これは無理や、やめとこ、と。まだ本のことを積み重ねるほうがええんちゃうかな、と思う。」 ぼくの「書店人のこころ」を大いに鼓舞し、胸に響くことばだった。
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福嶋 聡 (ふくしま
・あきら) |