○第202回(2019/10)

 2019年、年号が「平成」から「令和」に変わった今年、ジュンク堂書店難波店では、今までになく多くのトークイベントを開催した。9月までに20回以上を数え、10月以降もすでに4件の予定が入っている。7月でオープン10周年を迎え、これまでもコツコツと続けてきたトークイベント開催がさらに増えたらいいな、と思っていた程度で、店内にパイプ椅子を並べての即席会場、メイン通路脇の開催で誰でも聞ける中で木戸銭を取ることもままならず、結果ゲストに謝礼も払えない状況下で、こちらから強く働きかけができないところを、むしろ著者や出版社から「やりたい」というオファーが途切れなかった。

繋がる書店イベント

 イベントがイベントを呼び、点が線になっていく。

 3月の「薔薇マークキャンペーン」トークは、いくつものトークと繋がっていった。「薔薇マークキャンペーン」とは、財政緊縮を掲げてきた「新自由主義」路線に対抗し、公共支出拡大と雇用拡大を提唱する世界的なムーブメントで、その考え方に適う「反緊縮」的な思想・信条を掲げる候補者に、「薔薇マーク」を与える運動である。3月31日には、4月の統一地方選を前に薔薇マークキャンペーン事務局長の西郷南海子さんらがトークセッション「薔薇マークキャンペーン? 日本にも“反緊縮の選択肢を!”?」を開催。6月29日には、7月の参院選を睨みながら、3月にも登壇していた関西学院大学の朴勝俊さんが政治学者の山本圭さんらを招き、「反緊縮と左派ポピュリズム」と題したトークを行った。斎藤幸平さんが『未来への大分岐――資本主義の終わりか、人間の終焉か?』(集英社新書)刊行記念トーク(9月1日)のお相手として選んだのも、『「反緊縮!」宣言』(亜紀書房)編著者の松尾匡さんで、「反緊縮」路線のイベントは、さらに繋がった。

 6月22日のトークイベント「歩けなくても、ちがっていても大丈夫!」では、生まれつき骨が弱い「骨形成不全症」の安積宇宙(あさかうみ)さんをお招きした。安積さんは、ニュージーランドのオタゴ大学に初めての車椅子に乗った正規の留学生として入学し、社会福祉を専攻中。大学三年次に学生会の中で留学生の代表という役員を務め、同年、ニュージーランドの若者省から「多様性と共生賞」を受賞した。同じく「骨形成不全症」のお母様との共著『多様性のレッスン――車いすに乗るピアカウンセラー母娘が答える47のQ&A』(ミツイパブリッシング)を上梓され、来阪の機会に開催したイベントであった。お相手の(やはり「骨形成不全症」の)伊是名夏子さんが怪我で来阪できなくなり、急遽スカイプを使った対談となったが、お二人の明るくユーモラスなトークが、8名の車椅子のお客様も含めた満席の会場を湧かせた。

 驚いたのは、終了後、満面の笑みで握手を求めてくれた安積さんが、なぜ今回来阪されたのかを聞いた時だった。彼女は、参議院選挙に比例代表で立候補している社民党の大椿ゆうこさんの応援・激励に来たのだという。もと障がい学生支援コーディネーターで、大阪教育合同労組委員長も務めた大椿さんも、「財政緊縮」ではなく説教的な財政出動を訴える「薔薇マーク」候補者だったのだ。ここでも、イベントは繋がっていた(少し考えれば意外でも何でもない。「財政緊縮」によって真っ先に切り捨てられるのは、多くの場合福祉予算だからだ)。

専門家と書店員はどんな対話ができるのか?

 神戸大学の小笠原博毅さんは、これまで著書が出るたびに連絡を下さり、何度もトークイベントを開いてくださっている。その小笠原さんが、イギリスに留学して師事したスチュアート・ホールについて20年以上にわたって書き溜めてきた論文を集めた『真実を語れ、そのまったき複雑性において――スチュアート・ホールの思考』(新泉社)を6月に上梓、6月15日に行ったその記念トークでは、6月29日の「反緊縮と左派ポピュリズム」のトークのチラシを見て、「右でも左でも、ポピュリズムはダメ!」とはっきり言われた。

 そのトークで、小笠原さんは、対談相手にぼくを指名してきた。「これまでトーク前の打ち合わせの時に、福嶋さんが指摘してくれることがとても参考になったから」というのが、その理由だった。その事自体は大変光栄で、嬉しいことだった。トークイベントを開催するとき、たいていぼくはテーマとなっている本を事前に読む。打ち合わせやトーク後に、色々質問したり、意見を述べたりすることも多い。何より、ぼく自身が勉強したいからだ。トーク後の質問コーナーで、会場からなかなか声が上がらない時、「席亭が最初に質問して申し訳ありませんが……」と呼び水として質問することも多い。

 また、これまでトークそのものに登壇することも何度もあった。6月14日の「「謝罪力」は生き抜く力。?謝罪しなくっていい方法、お教えいたします?」では、もとよしもとクリエイティブ広報担当の竹中功さんが、豊富な圭謙と巧みな話術で会場を湧かせてくださったが、さまざまな芸人の謝罪会見を仕切ってきた竹中さんに対して、「書店の店長も、謝るのが仕事ですから」と自らお相手を買って出た(蓋を開ければ、ほとんど竹中さんのお話で終始した。折しも吉本の「闇営業」騒動の最中であり、そのお話は大変興味深かった)。

 ただ、スチュアート・ホールは、荷が重かった。『真実を語れ、そのまったき複雑性において』を読んだが、小笠原さんがその謦咳に接しながら深く研究した思想家であり、かつ20年以上にわたる論文の集積である。一朝一夕に理解できるものではなかった。そもそもカルチュラル・スタディーズは日本の書店員にとって、躓きの石である。書店の棚を見ても文化研究やメディア研究と 一緒くたにされているが、元はイギリスのニューレフトの思想なのだ。同時期に生まれ、日本に入ってきたポストコロニアル研究とも、混じり合っている。ホール自身がカリブ人であることもあって、そもそも「カルスタ」と「ポスコロ」を峻別することはできないのである(余談であるが、ぼくは語の安易な省略形が嫌いである。何やら、エセ専門家の臭いを感じ取ってしまのだ。最近書店員に、ISBNをISと省略する輩もいる。「イスラム国」か?)。

 そのような混同は、書店員のみならず、研究者にも見られると小笠原さんは言う。一介の書店員が簡単に理解できるような代物ではないのである。

聞き手が驚き、学ぶ「徹子の部屋」式イベント

 だが、だからこそいいのではないか、と思い直した。

 トーク本番、小笠原さんが言った「通常文化として扱われないものを、文化的に捉えて研究する」という定義によって、例えば『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫)がカルチュラル・スタディーズの代表的な文献であることが腑に落ちた。また、小笠原さんが何度も強調した、「in but not of(そのただ中で、しかしその一部ではなく)」というスチュアート・ホールのスタンスが、とても好ましく思え、書店員(会社員)としてのぼくも、そうありたいと思った。そのスタンスは、アサダワタルの「コミュニティ難民」にも通じ、多様な考え方を持つ人びとの、それぞれのコミュニティに対して柔軟であるべき書店員がとるべきスタンスだと思えた。

 こうして、トークの進行とともに、ぼく自身が学んでいく、それこそ、聞き手として最も重要な姿勢ではないか。そうであればこそ、会場の人たちにも、講師の言いたいことを伝えることができるのではないか。

 専門家同士の対談や鼎談は、結局素人には分からない。そのことを、アルファベットの略語やテクニカルタームを周知のものとして使う『現代思想』の対談・鼎談で、ぼくは何度も感じていた。語り手と聞き手の知識に落差があった方が、それを読んだり、聞いたりする者には、わかりやすいのだ。聞き手とともに、学ぶことができるのだ。

 お手本は、「徹子の部屋」である。黒柳徹子は、どんな話を聞いても、驚き、聞き返す。彼女の質問内容から、予め話を聞いていることは薄々感じられるのであるが、初めて聞く話のように驚く。ゲストが芸能界以外の人である時、黒柳徹子は特にすぐれた聞き手=何も知らない聞き手になる。野球選手をゲストとして迎えたとき、彼女はバッターが、打った後どちらに走り出すかも知らなかったのだ!「徹子の部屋」が超長寿番組であることの秘密は、ここにあると思った。

 「徹子の部屋」で行こう。トーク前の打ち合わせで、ぼくは正直に小笠原さんに話した。控室から会場に向かう道すがら、小笠原さんとぼくは、「ルールル、ルルル、ルールル、ルルル……」と、自然と「徹子の部屋」のテーマソングを口ずさんでいた。

 


 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ社、2014年) 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)