○第83回(2009/1)

ある朝、検品をしていて、『せどりで副業!30代ダブルワーカーの日記』(ブイツーソリューション)という新刊に出会った。多くの注文品を大勢のスタッフで検品しているなか、それは単なる偶然であったのか、「運命的」な出会いであったのか。その日のうちに買い求め、読んでみた。

“背取り(せどり、「競取り」とも)は、書籍・雑誌などを古書店から安く購入し転売する行為。本の背表紙を片っ端から見て本を選ぶことからこう呼ばれる。これらを行う者は古書店バイヤーであったりあるいはインターネットオークションやamazon.co.jpなどで転売し利鞘を儲けにする目的で古書店めぐりをする人を指す。その本を売って利益を得られるかどうかという目利きが重要である。”(P8)

「せどり」という言葉は知っている。書店人であるから、同じく本を扱うことを生業とするお隣の古書業界についても、関心と少しばかりの知識はある。古書を商う業者が、同業の書店をめぐり、あるいは即売会などで、転売が利益を生みそうな本を仕入れる(買い取る)ことである。上に引用した本書での説明も、基本的には違っていない。ただ、環境の変化が、「せどり」という行為の具体的なあり様やそれを担う主体に変化をもたらしたことは、間違いないように思われる。

かつては、「せどり」された古書は、自店の店頭で販売するか、即売会で古書愛好家や同業者への転売を待つしかなかった。今や、“インターネットオークションやamazon.co.jpなどで転売し利鞘を儲けにする”ことができる。店舗を持つ必要が無いから、本書の著者のように割合簡単に「副業」に出来る。著者の商売のフィールドである「ヤフオク」や「マケプレ」はまさに「市場」であり、価格は市場原理で決まる。一冊一冊の古書の価値を見定めていたかつての「せどり」とは、いささか(あえていうが決定的にではない)異なっているかもしれない。

そして、「せどらー」たちが仕入れることができる場、著者も仕入れの拠点としているブックオフの存在も、大きな環境の変化であろう。いわば、かつては書店から読者に渡った時点で終了していた本の流通が、さらなる彷徨い・流離いの場を持っているのだ。そしてそこに市場が成立しているのである。

いわば、ブックオフ、インターネットという新しい業態、市場が、古書業界に伝統的な「せどり」に、新たな形態をもたらしたと言ってもいい。

そのことを、糾弾する権利はぼくたちにはないし、そうしたいとも思わない。それが「副業」であることに異議を申し立てる根拠もない。「既得権」への拘泥は、醜い。

むしろ、ぼくたちは学ぶべきなのだ。本をあくまでも商材として、市場原理の中で扱っている「せどらー」たちに。

“週1日3時間の仕入れ、毎日20分程度の梱包、マケプレ中心…スタイルについてはいったん確立したのが、2008年の秋になります。これが絶対正しいスタイルなのか?と言われると、自信は全くありません。それでも、本業に差し障り無く、まさに“副”業と言える無理ないパワーバランスでできるビジネスとしては、一応成り立っていると思います。“(P99)著者は、「副業」として無理なく成立するパフォーマンスを、常に考えている。

「せどらーであれば、ほぼ全員が持っているであろうTカード(ブックオフのポイントカード)」を著者は「仕入れ金額の端数分を使うというやり方で」使っているという。理由は、「Tポイントは100円単位でつくから」で、「99円未満はTポイントの対象にはならないので、ポイントを使って削ってしま」うのである。“高々数円の話ではありますが、金額ではなく、これってコスト感覚だと思うんです。”(P113)

何よりも見習うべきは、“商売するうえで追わなきゃならないのは利益じゃなくて「信用」”という姿勢だ。“「信用」というものを勝ち得たら、そこから莫大な利益を得られる”(P135)と著者は言い、気づかずに書き込みのある本を、そうした注意書きなく販売してしまった場合などには、心から誠意ある謝罪とアフターサービスを行っている。

そんな中で、時々だが、「定価超え」さえもある。ブックオフで105円で買った本が、元の定価以上の値で売れることもあるというのだ。

「なんで定価よりも高い価格で出品しているんですか?(要旨)」と質問してきた新規のユーザーに対し、「入手困難でプレミアがつくためです。アマゾンでは定価より高い価格で取引されていて、それと比べればこの商品はまだ安いほうです。(要旨)」と、自信をもって答えている。“価格の設定は、出品者の権利だと思います。”(P70)

ここに、同じ本という商材を扱いながら、われわれ書店人とは全く違う感性があること、そして「せどらー」たちが、本書で紹介される「副業」以上のフィールドを持ち得ることを思い知らされる。

時々だが、「定価超え」さえもあるのである。ならば、十分な情報収集と目利きさえあれば、「せどらー」たちの仕入れ先は、ブックオフに限らない。「定価超え」さえ可能なら、新刊書店でも構わないのである。現に、そうした商売が成立しているという話も聞く。アマゾンなどのサイトを注意深く見れば、あるいはそれに関連するブログを含めたネット上の情報をたどれば、現に書店店頭にまだ在庫がある本が、「定価超え」で売買されている現実があるのである。

そこで売買されている本は、出版社品切れ本、新刊売れ行き良好書でなかなか店頭に並ばない本など、様々な理由で入手困難な本である。「せどらー」たちはそうした本が並んでいる書店で、「仕入」れる。そしてマージンを上乗せして、「定価超え」でネット販売する。

言い換えれば「定価超え」でも買う、その本を必要としている読者がいる。

「せどらー」たちにぼくたちが学ぶべきは、そうした読者を見つけ出す努力かもしれない。そして、「せどらー」たちがそうした努力に対価を取っていることに対して、「容認」はもちろん、その努力に学ぶことかもしれない。

さりながら、ぼくがいま思うのは、ジュンク堂には、たくさんの稀少本がありますよ、「せどらー」たちに頼まなくても、問い合わせていただければ、全国の支店から、稀少本も探しますよ、ということを、そうした読者に訴えたいということだ。

どんなに手間をかけたとしても、もちろん、ぼくたちは定価で販売します。

 

 

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© Akira Fukushima
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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年)『希望の書店論』(人文書院、2007年)