○第85回(2009/7)

722日(水)、ジュンク堂書店難波店がオープンした。

ぼくは久し振りに(97年仙台店以来)、新店立ち上げの店長を拝命した。

JR難波駅の上に建つOCATに隣接し、地下通路がJR難波駅と、地下鉄四つ橋線「なんば」駅、近鉄・阪神「大阪難波」駅を結ぶマルイト難波ビルのB1F(コミック売場300坪)、3F1100坪)に店を構える大型店である。(ややこしくて申し訳ないが、旧「難波店」は、少し前から「千日前店」と改称し営業中。)3Fの売場にはジュンク堂の特色である専門書を充実、書籍・雑誌のみで売場を構成している。

オープン約1ヶ月後に控えた6月24日、難波店に最初に足を踏み入れたとき眼前に広がったのは、未だ本が収納されていない書棚がはてしなく林立する風景だった。その風景が、新入社員だった四半世紀余り前、開店準備が始まる前のサンパル店(現在は移転し、三宮駅前店として営業)に入った時に目にした情景の既視感(デジャヴュ)を伴っていた。ふとぼくの頭に浮かんだ言葉が、「樹海」であった。

翌日から商品が入り、全国から集まって来たジュンク堂のスタッフたちの手で書棚に収まっていく中、風景は「本の樹海」と化していった。

開店前日、最後のチェックにやってきた社長が、書棚の間を廻りながら、一瞬驚いた顔をして、言った。「今、急に方向がわからなくなったわ。どっち向いて歩いているのか…」

ぼくは、即座に応えた。

「それこそ、迷子になりそうな書店空間こそ、目指すところでは?」

読者と本との多くの偶然の出会いを実現するためには、書店はひょっとしたら、すぐに目的地に辿り着けるわかりやすい空間であっては、むしろいけないかもしれないのだ。

難波店最初のブックフェアは、「迷い込め、本の樹海へ!」と名付けられていた。

オープン初日、テレビ大阪の取材を受けた。「出版業界が低迷、危機を迎えているといっていい状況でのこうした大型店の出店の意味は?」と単刀直入に訊ねられた。(余談だが、担当した佐久間アナウンサーには、昨年、新刊出版を機に旧知の俳優辰巳琢郎と四半世紀ぶりに一杯飲った時にお目にかかっていた。)考えてみれば、大阪でのこの規模の新規出店は、おそらく99年ジュンク堂大阪本店がオープンして以来約一〇年振りである。

ぼくは躊躇うことなく、また肩肘張ることもなく、答えた。

「そんな時だからこそ、改めて本という商品が持っている可能性を信じ、それに賭けたいと思うのです。」

『新文化』は792797)号、7162798)号の二号にわたり、「2009年 出版界上半期の動き」という特集を組んだ。それぞれ、「構造疲弊?…合従連衡、体質改善の大波」、「脱委託、中古本…生き残りをかけて」と題され、「業界再編・DNP連合」「Googleブック検索裁判」「取次の配送・返品協業化」、「責任販売 版元も続々」「中古本 新たな動き」「上期新規店 2極化」と三本ずつの見出しが並んだ。

「疲弊」、「生き残りをかけて」など、危機感に満ちた語が目立つ。売上の下降、雑誌の休刊、出版社の倒産、書店の廃業と、出版界の現状を見ると、それも当然のことだし、記事のほとんどは、危機を脱しようとするさまざまな試みで埋められている。

『出版状況クロニクル』(論創社)の著者小田光雄氏が言うように、雑誌に支えられた日本の近代出版流通システムが立ちいかなくなったことが、危機の大きな要因であろう。「責任販売制」などの販売条件、流通条件の見直しも、さまざまな企業再編も、危機認識の共有の上のものだと言ってよい。

ただ、出版業界の危機感やそれへの対策をめぐる言説に触れるにつけしばしば思うのは、危機意識の中で何もかも一緒くたにしてしまっていないか、別々の問題を、ごっちゃに論じてしまっているのではないか、ということである。いま本当に必要なのは、出版界をめぐる様々な状況とそれへの対応の試みを、いくつかの層に腑分けして、問題の混同を避けることではないか、と痛切に感じるのである。

先ごろ刊行された『書棚と平台』(弘文堂)で、柴野京子氏が“話をややこしくしているのは、出版産業体の経営問題と一般的な読書問題との混同である。”と指摘する通りである。状況を冷静に腑分けすることは、それぞれの層の当事者を明確にすることにもなるだろう。

その上で、腑分けされた層同士の連関を改めて考えてみることが、次に重要な作業となる。二段階にわたるそうした作業が、出版界全体の状況判断と対策を、それぞれ正確で有意なものにするために不可欠なものであると、思うのである。

そこでまず、(文字)情報を求める「読者」が、情報にアクセスする方法の選択肢を、系統図風にまとめてみた。

 

   

 

たとえば「Googleブック検索」の問題は、分岐②の段階での問題であり、アマゾンの脅威は、分岐③での問題である。(だから、理屈の上ではアマゾンは出版社にとっては脅威でも何でもない筈だ。既存の書店が食われた分をアマゾンが販売するという状況は、出版社にとって計算上何の問題もないからである。先ほど「それぞれの層の当事者を明確にする」といったのは、例えばそういうことだ。)「読者」の選択を遡れば、その前にインターネット上のコンテンツを選ぶか、書物のコンテンツを選ぶかという分岐@がある。それぞれの分岐点での選択の動機・理由は、それぞれ独立した別個のものである。状況と対応を腑分けし混同を避ける必要があるのは、それゆえである。

「読者」がリアル書店で本を購入するのは、①、②、③の分岐点をすべて右側に下りてきた時のみである。上位の分岐は、下位の分岐の前提となる。腑分けされた層同士の連関とは、まさにそのことであり、そもそも@の分岐点で「読者」が右に下りることが、すなわち、書物を選択する動機・理由が、言い換えれば、インターネット上のコンテンツへの書物に乗ったコンテンツの優位性こそが、常に大前提になるということなのである。それゆえ下位の分岐点における状況判断も対策も、すべてその大前提を頭に置いたものでなければならない。

書物の「優位性」とは何か?そもそもそれは存在するのか?

そのことの検証が、まず第一になされなければならない、すべての議論の「根」である。

 

 

 

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)