○第86回(2009/10)
もしも将来、書物が刊行されなくなったならば―すなわち、例えばインターネット上のコンテンツに押され、書物が商品として、あるいは非売品としても流通することがなくなったならば、そしてその挙句に、いつか書物というものが家の中でも、街角でも、学校の中でも目にすることが無くなってしまったならば、いつか次のような会話がなされるようなことはないだろうか?
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「おい、本っていうもの、知ってるか?これは便利なものだぜ。文字情報を必要なものだけ拾い上げて、プリントアウトした上に、きちんと綴じてあるんだ。」
「じゃ、どこにでも持ち運びができるわけだ。」
「もちろん。おまけに、読むのに、端末も、ソフトも、電源もいらないんだ。」
「へえ。そんな便利なもの、誰が発明したんだろう?!」
「いやいや、昔は世界中に溢れていたらしい。」
「昔は、便利だったんだね!」 |
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こんな空想が、あながち書物を商う者の断末魔に似た最後の悪あがきではないのではないか?と、第29回日本ミステリ大賞を受賞した貴志祐介の『新世界より』を読んだ時に、感じた。物語の後半、主人公たちは「ニセミノシロモドキ」と呼ばれる過去の(すなわち現在の)電子端末の記録を読みとるため、それを再起動させるための電源を得るのに、四苦八苦する。最後には太陽電池での充電によって再起動に成功するのだが、本ならばこんな苦労をしなくてすむよな、と思ったのだ。そもそも書物が無いこと(過去の記録がそこに住む人々に共有されていないこと)、それはその貴志の描く未来世界の秘密と密接な関係がある……。
携帯性や環境無依存性(電源不要など)、要はそのコンパクトさ、アクセスの簡便さは、書物の電子メディアに対する優位性として挙げられることは多い。先の仮想会話で言えば、「読むのに、端末も、ソフトも、電源もいらない」という部分である。また、「プリントアウトした上に、きちんと綴じてある」という点も、それらと並ぶ書物の優位性かもしれない。実際、ぼくたちが電子媒体のコンテンツに接する時、それが少し長いものになれば、大抵プリントアウトして、ホッチキスか何かで綴じる。翻って書物とは、初めからそこまでしてくれているメディアなのである。
それは詭弁だろうか?あるいは、単に習慣の問題、現在ある一定の世代以上が、コンテンツに触れる時にまず最初に、そして日常的に「書物」という媒体を通してきた結果に過ぎず、「デジタルネイティヴ」の割合がどんどん大きくなるにつれて、「書物」は過去の遺物となっていくのだろうか?
確かにそうした部分はあるだろう。これから世代が下っていくに従って、冊子体が「本」の形態を独占する状況は去り、まだ見ぬものも含めてさまざまな電子端末でコンテンツに接する割合が増えていくであろう。しかしそうした予測を以て性急に「書物」の終焉を説くことは、言い換えれば「形態」にこだわることは、「書物」の持つもっと大事な特長を看過することであり、ひょっとすると冊子体(「書物」)の優位性も見逃してしまうことになるかもしれないのである。それは、先の仮想会話の中の「文字情報を必要なものだけ拾い上げて」といわれている優位性である。
インターネットは本当に便利である。プライベートでももちろんだが、書物を売る現場=書店店頭においても、商品そのものや人物、事柄などの検索に、すばらしい力を発揮してくれる。しかし、使えば使うほど、この場合は書物の方が便利だな、と思うことも多くなってくる。書き込みができる、一覧性があるなど形態に素材や形態にかかわることもさりながら、何よりも情報がある目的に合わせて収集、整理されていることの恩恵を、強く感じるのだ。そう、「編集」ということである。
周知のように、テクストとは元々「布地」のことである。だから、書かれたもの(エクリチュール)には、縦糸・横糸という比喩がよく似合う。縦糸と横糸を編みこんで「布地(テクスト)」を生み出す。その作業が「編集」である。
一方、荒っぽく言えば、インターネット空間は、「糸の集合」である。ユーザーが自由に選び取り、それぞれの必要と趣味に応じて時には自由に編み直すことができる原材料の宝庫といえる。だが、選んだ原材料がよいものである、あるいは編み直し方が正しいものである保証は、無い。言わば、出来上がった布地(テクスト)に責任を負う者が、誰もいない。
思えば、遠い昔、口承伝承されたさまざまなコンテンツが、集められ、選ばれ、ある判断の下で確定されたものが、「書物」ではなかったか?〈仏典結集〉もまた、コンテンツが広く、さまざまな形で、膨大な量で流布していった状況で、必要に迫られてなされた作業ではなかったか?ひょっとしたら、「聖書」もまた、似たような経緯をもって、成立したのではなかろうか?
インターネット空間に漂うコンテンツが膨大になればなるほど、「書物」の必要性が増すのではないか、とぼくが思う所以である。 |