○第93回(2010/6) 5月29日(土曜日)、ジュンク堂書店難波店に、伊勢崎賢治さん、蓮池透さんをお招きし、トークセッションを開催した。 伊勢崎さんは、東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンなどで武装解除・平和構築活動を指揮、現在は、東京外国語大学平和構築・紛争予防学講座教授である。蓮池さんは、言わずと知れた北朝鮮拉致被害者蓮池薫氏の実兄で、1997年より2005年まで「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長(その後しばらくの間、副代表)をつとめた。 今回のトークは、蓮池さんの著書『拉致』『拉致2』(共にかもがわ出版)を読んだ伊勢崎さんが、是非直接蓮池さんに話を聞いてみたいと思い、実現したものだ。実際トーク本番も、初期の「家族会」の「強硬派」からついに今春「家族会」を事実上「除名」されるまでの、蓮池さんの考え方の変遷が中心となって、進行した。 トークに先立ち、ぼく自身もお二人の著書を合計6冊読んだ。そして、現在の蓮池さんが、“家族は、やはり当事者ですから、ある意味で感情的、情緒的なアピールをするのは当然なのです。政府が、それと同じ水準ではいけません。”“被害者を気にしすぎるという点では、マスコミも同じでしょう。”“もし日本外交の手足をしばっているのが、私たち被害者の「家族会」や「救う会」の主張や活動であるとしたら、抜本的に見直す必要がある。”と言い、「家族会」や「救う会」の言動が「北朝鮮打倒ありき」のようなイデオロギーに利用されるのは、被害者の奪還という目的を見失わせる、と主張していること、一方、伊勢崎さんが主導した武装解除活動で憲法九条が予想以上の力を持っていたこと、その「よき幻想」を、テロ特措法=給油活動の延長は、打ち砕いてしまったことを知り、「改憲派も護憲派も、現場を知らなきゃいけない」という伊勢崎さんの訴えが、心に響いた。 会場に集まられた40余名の参加者の方々もまた、一人ひとりそれぞれのしかたで、同様のシンパシイを持たれたに違いない。皆熱心にお二人のお話に聞き入っていた。二日前に、「質問の時間はあるのか?」と訊ねてこられ、「ワシは、言ってやりたいんや。そんなよその国の武装解除や援助なんかしとる場合やない、そんなことに金使う前に日本の経済を何とかせなアカンのちゃうか?」と言っておられた初老のお客様も、いちいち肯きながら聞いておられた。結局、そのお客様は「質問コーナー」では手を挙げられなかった。 その「質問コーナー」では、若い人4名がお二人に質問をした。一人の大学生は、戦前からの歴史を射程に入れながら、北朝鮮=「いじめられっ子」、日本=「いじめっ子」、アメリカ=「教師」と見たて、現在の状況を、かつて「いじめっ子」を叱ってくれていた「教師」が、恭順の姿勢を見せた「いじめっ子」と一緒になって、状況の変化にどうしてよいか分からなくなった「いじめられっ子」に制裁を加えている、という秀逸な喩えで語り、伊勢崎さんを感心させていた。 トークイベント終了後、会場近くの書棚に平積みしていたお二人の著書を、多くの参加者が買い求めてくださった。 その光景を見ながら、「購書空間」としての書店が、今成立している、と思った。 お二人の話を聞いた人びとが、ぼく同様に関心を持ち、その著書を読みたいと思い、買い求める。読後、その関心は、人それぞれに、さまざまな方向に拡がっていくかもしれない。新たな本を買い求めるかもしれないし、また別のイベントに参加するかもしれない。「購書空間」としての書店の大きな役割は、書物への興味、世界への関心の喚起、或いは書店を訪れるという行為を択んだお客様が携えてこられたそうした興味・関心の更なる増幅なのである。(中には、お二人が気さくに応じてくださった本へのサインが欲しくて、という方もいらっしゃったかもしれない。それもまた、書店現場ならではのモチヴェーション喚起だと言える。) そうしたモチヴェーション喚起・増幅という書店の役割は、何もトークセッションなどのイベントだけが果たせる訳ではない。日常の書店空間においても、さまざまな展示やブックフェア、話題書コーナーへの関連書の集結、きちんと仕分けられ整理されたそれぞれのジャンル棚そのものが、モチヴェーション喚起を促す書店空間を形成していくのだ。そうした書店空間の形成こそ、柴野京子氏が紹介した、アメリカのマーケティング学者ロー・オルダースンが理論化した「アソートメント」(流通過程で意識的に行われる財の組み合わせ)であり、だからこそ柴野氏は、“アソートメントという概念をメディア論に援用して展開することは、出版流通の機能をとらえる際に有効”と書いたのではなかったか(『書棚と平台』弘文堂 P26)。 そうした書店のモチヴェーション喚起・増幅能力を、既に随分前から知悉している業種の人びとがいる。各種専門学校の人びとである。(以下次号)
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福嶋 聡 (ふくしま
・あきら) |