○第95回(2010/8)
ジュンク堂書店難波店では、8月11日にカウンター前フェアコーナーの商品を入れ替え、ブックフェア「グーグルと著作権」を始めた。「電子書籍騒動に右往左往して、グーグル全文検索問題を忘れちゃいませんか?」という長い副題を持ったフェアである。
今春の「電子書籍」騒動では、アマゾンやアップルの後塵を拝した感もあるグーグルだったが、そもそも昨年、「グーグル全文検索」という、「電子書籍」以上の大砲をいきなりぶっ放したのはグーグルであることを、忘れてはいけない。グーグルは、既に莫大な量の書籍のスキャン=デジタル化を完了しているのである。昨年を約2万3000人上回る8万7000人が来場した第17回東京国際ブックフェア開催日の7月8日に、グーグルは電子書籍の販売サービス「Googleエディション」を今夏にアメリカ、今秋にはヨーロッパ、来年初めには日本でスタートすると発表した。
ますます危機感をつのらせるべき、というのは、もちろんぼくの本意ではない。
キンドル、iPadの上陸は、しばしば、「黒船来航」に譬えられるが、江戸時代末期に日本沿岸にいきなり現れ人々を瞠目させた「黒船」と、電子書籍を巡る状況は、まったく違う。電子書籍の開発・製作・販売は、20世紀末から始まっていたからだ。日米共に、様々な試みが紆余曲折と盛衰を経てきた。むしろ、ケータイ小説やコミックコンテンツの配信を中心に、電子書籍の市場規模では、日本はアメリカを凌駕してきた。
そのことを冷静にそして丁寧に伝え、「電子書籍騒動の右往左往」を鎮めてくれるのが、7月に刊行された植村八潮氏の『電子出版の構図〜実体のない書物の行方』(印刷学会出版部 2100円)である。20世紀の終わりから「電子書籍」とそれを巡る言説の渦の中にあり続け、その動向を観察・報告・コメント・議論してきた植村氏の文章をまとめた本書を、「電子書籍」と聞いて無用に怯えたり、逆に過剰な期待を寄せる出版関係の人々に、いわば一種の「啓蒙書」として、是非読んでいただきたいと思う。特に心に刻んで欲しいと思うのは、次の件り。
“出版不況は売れないことだけが問題なのではない。類似の企画、雑な編集、安易な新雑誌の創刊。どれもこれも出版界の精神的不況の結果である。貧すれば鈍する。だから本が危ないのである。”(『電子出版の構図』P85)植村さんがこれを書いたのは、21世紀が始まって間もなくである。出版不況の問題の核心は、10年来何も変わっていないと言える。
植村さんは、次のようにも言いきっている。
“「電子書籍元年」といった表現が使われているが、もう何度も「元年」とうたわれながら、いまだ年を重ねていないのが電子書籍である。”(同P126)こう書かれたのは、2003年のことである。
他にも示唆に富んだ部分、勉強させていただいた部分は多々あるが、中でも特にぼくの目を引いたのは、次の一文である。
“アマゾングループ全体では第三者間取引に関連した売上総数が全体の23%を占めるまでになった。”(同P105)
アマゾンにおける「第三者間取引」とは具体的にどのような取引までを含むのかは明らかでないが、それに「関連した売上総数が全体の23%を占める」とは、見逃せない数字である。この文章が書かれたのは2003年頃だが、現在その数字を押し上げているのは、所謂「せどり屋」であることが、考えられる。
「せどり屋」については、このコラムでも既に書いた(第83、84回)。
もともとは、ブックオフなど「新古書店」で「商品」を仕入れ転売する「市場」としてアマゾンのサイトを利用してきた「せどり屋」は、「商品」調達の場として、新刊書店も視野に入れ始めた。その場合、もちろん「出品価格」は、「定価」=再販価格よりも高くなる。
新刊書店で買った本を、品薄であることをよいことに利益を上乗せして転売する、そのこと自体を「けしからん」と言う向きもある。本が再販商品であることが微妙に影響しているのかもしれないが、買われた本は購入者の所有物であり、それをどんな理由で、どんな価格で第三者に販売しても、咎める罪状はない。それが「古書」である以上、もっと言えば販売者が再販売価格維持契約を結んでいない限り、売価に何の縛りもないからだ。
ぼくが問題にしたいのは、アマゾンが「上前を撥ねている」ことだ。「出品者」がアマゾンのサイトに広告した本が売れるたびに、アマゾンは手数料を手に入れる。商品の配送、代金の徴収は全て「出品者」の作業となる。一連のやり取りの中で、おそらくアマゾン側には、労力やコストはほとんどかからず、リスクも無い。アマゾンは「商売する場所を提供している」だけであり、そもそもその「場所」は、インターネット空間という「共有地(コモンズ)」なのだ。
「ショバ代」を取るヤクザに似たその商法は、意外と古臭いというべきなのか。いや古臭いと同時に新しいのである。インターネット空間で展開される様々な業態を思えば、「せどり屋」たちの商売の「プラットフォーム」をつくることも、現在最先端の業態の一つと言えるからである。
マラッツィ著『資本と言語』(人文書院)の解説で、水嶋一憲は言う。
“かつての封建制度のもとでのレント(地代)が共有地(コモンズ)の領有から生じたとすれば、今日の―「デジタルな新封建制度」(マッテオ・パスキネッリ)のもとでの?―レントはネットワーク状に結びついた非物質的なコモンズの領有から生じるわけである。したがってまた、相対的にみて産業資本主義が労働力の搾取によって生み出された〈利潤〉に支えられていたとするならば、ポスト産業資本主義は一般的知性の私有化を通じて領有された〈レント〉に支えられつつある、と指摘することも可能だろう。じっさい、すでに私たちは、一般的知性の私有化を通じてレントを領有することを目指す、諸種のプラットフォームやアプリケーション(グーグルやミクシィ、ツィッターが提供するような)のために、日夜、〈小作人〉としてその〈土地〉をせっせと耕してはいないだろうか?”(P180)
「せどり屋」たちも、アマゾンに〈レント〉(地代)を上納するためにせっせと働いているのだと言えないだろうか?
そうして獲得したレント(地代)を或いは原資として、送料サービスなどで顧客を集め、アマゾンが売上日本一とも言われる「書店」を築き上げたのだとしたら……。
逆に言えば、アマゾンの「本業」である本の宅配サービスにおいて、アマゾンにしか出来ないことなど無い。扱える商品に違いがあるわけではなく、サービス内容に大きな差があるわけでもない。調達日数の勝負においては、商品の在庫点数、在庫量が鍵となる。
ジュンク堂書店難波店では、この9月から、朝注文のあった書籍をその日のうちにお届けする「お急ぎ便」サービスを関西圏で開始、反撃の狼煙をあげる。
|