本屋とコンピュータ(58)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店)

 引き続き、『ウェブ進化論』について。

「コンピュータの私有に感動した」世代から「パソコンの向こうの無限性に感動した」世代へと、ITをリードする主体はシフトしている。前者の代表格がビル・ゲイツでありマイクロソフトであれば、後者の代表格が、検索エンジンをビジネスモデルへと引き上げ、莫大な利益を上げる(かつこれまでにないモデルで分配する)グーグルであり、自社の生命線たる商品データベースを公開することでネット小売り業者からeコマースのプラットフォーム企業へと変貌を遂げたアマゾンである。

“権威ある学者の言説を重視すべきだとか、一流の新聞社や出版社のお墨付きがついた解説の価値が高いとか、そういったこれまでの常識をグーグルはすべて消し去り、「世界中に散在し日に日に増殖する無数のウェブサイトが、ある知についてどう評価するか」というたった一つの基準で、グーグルはすべて知を再編成しようとする。”(『ウェブ進化論』P54)こうして、グーグルは「民主主義」を徹底的に追求する。

“自前のウェブサイトを持つ個人や小企業が「アドセンス」に無料登録すれば、グーグルの情報発電所がそのサイトの内容を自動的に分析し、そこにどんな広告を載せたらいいかを判断する。そしてグーグルに寄せられたたくさんの出向候補広告の中から、そのサイトにマッチした広告を選び出し自動配置するのである。そしてそのウェブサイトを訪れた人が、グーグルによって配置された広告をクリックした瞬間に、サイト運営者たる個人や小企業にカネ(広告主がグーグルに支払う広告費の一部)が落ちる仕組みなのである。つまりサイト運営者は「アドセンス」に無料登録し、そのウェブサイトを粛々と続けて集客するだけで、月々の稼ぎができるようになるのだ。“(同P74)こうして、グーグルは、新しい利益の分配の形をつくった。

“民主主義だ、経済的格差是正だなんて大仰なことを標榜したIT企業は過去に存在しない。そこにグーグルの新しさがある。「インターネットの意志」に従えば「世界はより良い場所になる」と彼らは心から信じているのだ。”(同P77

 一方、“ウェブサービスの公開からわずか一年たらずで、ウェブサービスを利用して作られた無数のサイト経由でアマゾン商品を購入したユーザは、数千万人にのぼった。アマゾンはこのウェブサービス経由での売り上げから十五%の手数料を得る仕組みを導入していたので、アマゾン島事業自身よりもアマゾン経済圏支援事業の利益率のほうが高くなった。自社の生命線たる商品データベースを公開することで、アマゾンはネット小売り業者からeコマースのプラットフォーム企業へ、テクノロジー企業へと変貌を遂げたのである。これがアマゾンのWeb2.0化である。”(同P116)「Web2.0化」の推進力は、「不特定多数無限大を信頼できるか否か」にある、と梅田は断言する。

これに対して、例えば「2ちゃんねる」などで起こる「フレーミング」、個人情報のデータベース化や漏洩などの負の部分を論うのは、「忌避と思考停止は何も生み出さない」と敢えてオプティミズムを貫く梅田の議論とはすれ違うだけだ。

 むしろ「Web2.0化」の推進力そのものの有効性を、市場原理や「民主主義」の至上性という、「近代」の理念そのものを、真正面から問うべきなのではないか。「民主主義」・「経済的格差是正」を標榜するグーグルが、ワーカホリックを思わせる知的エリートによって運営され、自らの理念を振りかざして他国への爆撃・占領に何の躊躇もない、かの国の産なればこそ、なおさらにそう思う。

 そんな風に考えながら、梅田が“「適切な状況の下では、人々の集団こそが、世の中で最も優れた個人よりも優れた判断を下すことがある」というテーマを追求した刺激的な本”(P205)と紹介する『「みんなの意見」は案外正しい』(J・スロウィッキー著 角川書店)を読んでみた。「クイズ・ミリオネア」のスタジオ視聴者の正答率、遭難した潜水艦スコーピオン号の捜索、チャレンジャー事故後の開発関連会社の株価の動き、大統領選挙結果の予想など、“正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりも優れている”(『「みんなの意見」は案外正しい』P10)例が、次々に挙げられる。その際の「集団の知力」は、「ミツバチの知恵」に譬えられる。

“蜂たちは、みんなが一か所に集まってどこに徴発部隊を送り込むかなんていう議論はしない。その代わり、偵察部隊をコロニーの周辺にたくさん送り出す。偵察に行った蜂が花蜜のふんだんにありそうな場所を見つけると、コロニーに戻って8の字ダンスを踊る。ダンスの激しさは、花蜜の量によって変わる。……その結果、蜂の徴発部隊はあちらこちらに散らばっている花蜜のある場所にうまく配分されて送り込まれ、探索にかける時間とエネルギーに対して最大限の食料が確保できるようになっている。”(同P45

「集団の知力」を説明する実に巧みな譬えである。但し重要なのは、先の引用文における“正しい状況下では”という限定である。「賢い集団」であるためには、条件があるのだ。その条件が満たされない時、「集団の知力」は極めて劣悪な結果をもたらす。典型的な例が、バブルの発生とその崩壊である。

スロウィッキーが語る“賢い集団の特徴である四つの要件”(同P27)は実に示唆的であり、傾聴に値する。詳細は、次回に。

   
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© Akira    Fukushima
 2006/05
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