本屋とコンピュータ(59)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店)

 前回紹介した『「みんなの意見」は案外正しい』は、実はその邦訳タイトルが素晴らしい。「案外」という副詞が、実に的を射ているのだ。“正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりも優れている”(P10)の「正しい状況下では」というニュアンスを巧みに伝えているからだ。言い換えれば、『「みんなの意見」は常に正しい』のではない。原題の“The Wisdom of Crowds”では、このニュアンスは伝わらない。逆に、おそらく「案外」という言葉の持つニュアンスは、英訳できないであろう。日本語の「あいまいさ」の長所である。

 一方、 “賢い集団の特徴である四つの要件”を、スロウィッキーは実に論理的=明確に語る。その明確さは、日本語による文章が、伝統的に獲得してこなかった、あるいは獲得を拒否してきたものであるかもしれない。しかしだからこそ、それは我々にとって、実に示唆的なものなのだ。

 スロウィッキーのいう四つの要件とは、意見の多様性(それが既知の事実のかなり突拍子もない解釈だとしても、各人が独自の私的情報を多少なりとも持っている)、独立性(他者の考えに左右されない)、分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)、集約性(個々人の判断を集計して集団として一つの判断に集約するメカニズムの存在)である。

 “この四つの要件を満たした集団は、正確な判断が下しやすい。なぜか。多様で、自立した個人から構成される、ある程度の規模の集団に予測や推測をしてもらう。その集団の回答を均すと一人ひとりの個人が回答を出す過程で犯した間違いが相殺される。言ってみれば、個人の回答には情報と間違いという二つの要素がある。算数のようなもので、間違いを引き算したら情報が残るというわけだ。”(P27)だから、“私たちは集団としてなら賢くなれるよう、プログラミングされているように思えてくる。”(P27)と、スロウィッキーは言う。

ならば、何よりも肝要なのは、そのようなプログラミングに従って、「賢い集団」を構築すべく、スロウィッキーのいう「四つの要件」をクリアしていくことではないだろうか。

意見の多様性、独立性を保つことは、(恐らくは特に日本においては)既存の集団にとって、実は容易なことではない。“均質な集団は多様な集団よりもはるかにまとまっている。集団のまとまりが強くなるとメンバーの集団への依存度が増し、外部の意見から隔絶されてしまう。その結果、集団の意見は正しいに違いないと思い込むようになる。自分たちが間違えることは絶対にないという幻想、その集団の意見に対して考えられるあらゆる反論を何とか理屈をつけて退けようと躍起になる姿勢、異なる意見は役に立たないという信念がこうした集団には共通して見られる。”(P56)からだ。例えばリナックスの成功は、明らかにプログラマーたちの多様性と独立性による。そのプロセスは、前回紹介した「ミツバチの知恵」に似ている。メンバー同士の影響力、依存性の強い集団では、そのようなプロセスは望めない。相互依存性が市場においてもたらす悲劇が、バブルの発生とその崩壊である。“株式市場では独立した意思決定と相互依存的な意思決定が、ある程度の割合で常時交じり合って存在しているはずである。この割合が相互依存の方向に大きく傾いたときに、バブルが発生する。”(P256

 スロウィッキーは断言する。“みんなの意見が正しくなる鍵は、人々に、周りの意見に耳を貸さないよう説得できるかにある。”(P80)と。

 いったん成立した「賢い集団」も、常に自らを更新していかなければならない。“集団が物事をいちばんよくわかっているとしたら、集団のやることをなぞるのは合理的な戦略だと言える。問題は、みんながこの戦略をとると、集団は賢くなくなってしまい、集団に従う戦略自体が合理的でなくなってしまうことだ。”(P62)「賢い集団」とは、極めて弁証法的な存在、より正確に言えばプロセスなのである。

 そのプロセスをよりよい方向に導く(即ち「賢い集団」を「賢い」まま維持する、さらには「より賢い集団」へと進化させる)動因こそ、「天邪鬼」の存在である。

 “天邪鬼がいないところでは、話し合いが行なわれた結果、集団の判断が前よりもひどい内容になることもある。これは「集団的極性化」と呼ばれる現象が原因だ。私たちは議論をとおして合理性と中庸が生まれると考えているので、意見を交わせば交わすほど人々は極端に走りにくくなると思い込みがちだ。ところが、三〇年に及ぶさまざまな実験や陪審の経験から得られた知見は、多くの場合、まったく逆の事態が生じることを示す。”(P202)“集合的な意思決定は合意形成といっしょくたに考えられることが多いが、集団の知恵を活用するうえで合意は本来的には必要ない、合意形成を主題に置くと、誰かを刺激することもない代わりに誰の感情も害さないような、どうでもいい最大公約数的なソリューションになりやすい。合意志向のグループは慣れ親しんだ意見ばかり大事にして、挑発的な意見は叩き潰すからだ。”(P211)“自信過剰な人はネガティブな情報化カスケード()に巻き込まれにくく、ときには情報カスケードを壊すこともあるので、社会全体にとってはいい話だ。人々が自分の持っている私的情報よりも公的情報を重要視していると、情報カスケードは、脈々と続く。”(P76

スロウィッキーの言葉に、「見せかけ」や「形ばかり」ではない真に実効的な(「賢い」)「民主主義」へのヒントを見いだしながら、ぼくは秘かに、自分自身のレゾン=デートルにほんのささやかな自信を持った。

 (注)カスケード=滝;“市場や投票制度のように、みんなが持っている私的情報を集約するのではなく、情報不足の状態で次から次へと判断が積み重なるというのが情報カスケードである。情報カスケードが抱える根本的な問題は、ある時点を過ぎると自分が持っている私的情報に関心を払う代わりに、代わりの人の行動を真似することが合理的に思える点にある。みんな自分の知っている情報に基づいて判断をしていると思っているけれど、実際には先人が知っていると自分が思い込んでいる情報に基づいて判断をしている。そのため。集団は誤った判断をしてしまう。”(P70

   
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© Akira    Fukushima
 2006/06
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