本屋とコンピュータ(60)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店)

 前回は、スロウィッキーのいう“賢い集団の特徴である四つの要件”のうち、主に、「意見の多様性」と「独立性」について書いた。そこで得たヒントは、「天邪鬼」の存在意義であった。今回は、残りの二つの要件、「分散性」と「集約性」を取り上げる。

  “まず、何か問題が起きた場合、できるだけ現場に近い人たちが意思決定を行なうべきだ。フリードリッヒ・ハイエクは暗黙知―経験からしか生まれない知識―が市場の効率性に必要不可欠だと喝破した。暗黙知は組織の効率性にも同じくらい必要不可欠だ。”(P227 “自分の働く環境に関して意思決定できる権限を人々に与えると、業績が目に見えて改善するケースが多い。”(P228)“知的労働であるサービス業などでは、社員を歯車の一部として処遇してもうまくいかない。”(P230

 スロウィッキーが「身近な情報に特化し、それを利用できること」という「分散性」は、組織における「現場主義」だと言ってもいいだろう。情報や事件は、さまざまな現場で発生し、迅速な対応を迫られることも多い。また、あらかじめ予測できるものではないそれらに、事前に設定したそのまま適用できないことの方が普通だ。そんな時力を発揮するのが、経験からしか生まれない知識である「暗黙知」である。

 “企業のオペレーションのすべてを命令と管理だけで行なおうとするのは不毛だし、トップが本来かかずりあうべきではない情報に悩まされることになる一方で、従業員やマネージャーのやる気も奪ってしまう”(P220)“何千という人を組織化して一つの企業のために働かせる唯一の理由は、人的資源の効率性を向上させ、個々で働くよりももっと賢くなれるように、というものである。そのためには一人ひとりが個人で独立して事業しているような気概をもって一所懸命働き、質の高い情報をもとに行動しなければならない。”(P221

 思えば、ミツバチもまた、あちらこちらに散らばっている花蜜のある場所に徴発部隊をどんどん送り込む「分散性」によって収穫を得るのであった。

 「意見の多様性」「独立性」「分散性」と取り上げてくると、「賢い集団」にとって何よりも重要なのは、個の自由・自立性であるように思える。しかし、それだけでは不足なのだ。スロウィッキーは四つ目の要件として「集約性」を挙げる。

 “本書の前提からして筆者がさまざまな活動を分散化することで、中央で一元管理するよりもよい結果が得られると信じていることは明らかだ。だが、分散性が特定の状況下ではうまく機能しても、それ以外ではあまりうまく機能しないことも事実だ。”とスロウィッキーは言う。“分散性をうまく機能させることは極めて難しく、うまく機能させることはさらに難しい。交通渋滞やアメリカの諜報機関を見れば一目瞭然だが、分散性は簡単に無秩序に陥ってしまう。” (P91

 “分散化されたシステムが本当に賢い結果を生み出すためには、システムに参加しているメンバー全体の持っている情報を集約するメカニズムが必要となる。集約できなければ、分散性は賢い結果につながらない。”(P90

 “日本が大規模な軍事行動に出そうだという証拠が山ほどあったのに、どこも真珠湾攻撃を事前に察知できなかったという苦い経験”(P81)を持つアメリカ連邦議会は、1947年、国家安全保障法を可決し、中央情報局(CIA)を設立した。それでも、「9.11」を阻止することはできなかった。“諜報機関が収集した情報の集合的な意義を理解するためには、単純に中央で一元管理すればいいという話ではない。分散した情報を集約しなければいけないのだ。”(P94

 フォーマルな組織を持たず、システムの改善に携わる人が世界中に分散しているリナックスの成功は、明らかにその「分散性」に負っている。“リナックスの改善に携わりたいと思っているプログラマーの数は驚くほど多い。そのおかげで、ソリューションの選択肢の幅が大きく広がる。プログラマーは多様で、人数も多いので、どんなバグが発見されても誰かがそれを修正する方法を思いつく。”(P89)だが一方、“リナックスの場合、リーナス自身を含む一握りの人たちが、オペレーティング・システムのソースコードに加えるべき修正点を綿密に検証する。世界中にリナックスのプログラマーになりたい人はたくさんいるが、最終的にすべての道はリーナスに通じていて、彼が決めるのである。”(P90)ここでも、最後には、「集約性」が重要な機能を果たしているのだ。

 「民主主義」や「経済的格差是正」を大真面目に標榜するIT企業であるグーグル自身は、

 “思想的に「不特定多数無限大を信頼する」という会社ではない。むしろ「ベスト・アンド・ブライテスト」を集めて才能至上主義的唯我独尊経営を志向する会社だ。”(「ウェブ進化論」P225

 そのあたりの不整合性、不徹底性を糾弾する、あるいは「民主主義」の無力さを主張したり、「究極の民主主義」の不可能性に絶望したりすることには、何の生産性もない。重要なのは、スロウィッキーのいう“賢い集団の特徴である四つの要件” 、時として相矛盾することもあるであろう「意見の多様性」、「独立性」、「分散性」、「集約性」のすべてを重んじながら、困難を承知の上で“賢い集団”を目指す努力を重ねることであろう。

 スロウィッキーは、『「みんなの意見」は案外正しい』の巻末を、次のように締める。

 “それ(民主主義)は認知の問題を解決したり公益を発見したりするための仕組みではない。だが、協調と調整に関わるいちばん根本的な問題に取り組む一つの方法なのである。

 私たちはどのようにすれば共生できるのか。どのようにすればみんなの利益になるように力を合わせられるのか。民主主義はこうした問いに答える力を貸してくれる。“(P281

   
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© Akira    Fukushima
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